「女ってそんなもの」と「男ってそんなもの」の微妙な違い

「女ってそういうもの」とか「男ってそういうもの」みたいなことを言う人に、なーんか悶々とします。そういう物言いって、例えば「日本人と言えばサムライだよね」とかそういうレベルの極めて雑なものなのに、「女同士の嫉妬ってすごいよね」とか「女って顔で男を選ぶよね」とか「女って女だから許されると思ってるよね」なんて言われたりする。違和感があるのは、まず第一に自分が「確かに私も!」と感じることが極めて少ないこと。そして「女」を「男」に変えても、ほとんど成り立つ、つまり「そういう男」だって結構いること。

「女同士の集団って嫉妬がすごいじゃないですか」と無邪気に言ってる20代女子には、男の嫉妬がどんだけ粘着質かを伝えるようにしているのですが、実際問題として会社組織で上に上ることだけを喜びとしている男の嫉妬って、悪口言われるとか、ランチに誘われないとか、みんなのお土産はロクシタンのシアバターだったのに私だけお土産物屋の石鹸だったとか、そんな微笑ましいレベルじゃなく、衆人環視の中で1時間以上ネチネチ説教されるとか、悪事を擦り付けられるとか、地方に飛ばされるとか、パワハラレベルで追い詰めて行く…そりゃもうスーパー粘着質なものです。

まあそんな具合に「女ってそういうもの」から始まる刷り込みを、しつこくかつきめ細かく潰している私ですが、かたや「男ってそういうもの」というものに対して感じる違和感は、それとはちょっと違う。それぞれを当事者でない異性が口にする時、そのニュアンスは場合により肯定的だったり否定的だったりする。男性が「男ってそういうもの」といった時の、「ほんとしょーがないですよね」と口先だけ申し訳なさそうにしながらの、奇妙かつ全面的な肯定感。そして、そこはかとなく漂うロマンチシズム。

「男はいつまでも、夢を追っていたいもんなんだよ」とか「男はいつまでも少年なんだからさ」とか「男は女を守りたいんだよ」とか、男性がキラキラした風な瞳で遠く見つめながらで呟いたら、どうなんでしょうか。やっぱり「わあ、素敵ですね」って持ちあげなきゃいけないんでしょうか。いくつまで?いつの時代まで?

男のプライドに、「いつまでつきあえばいいのか」問題

さて今回みなさんに是非観ていただきたいのは、『帰れない二人』という作品です。主人公の女性チャオは、故郷の小さな炭鉱町を仕切るビンと恋人同士で結婚も考えているのですが、ある事件が起き、ビンを庇って刑務所に長く入ることになります。ところがビンは面会に一度も来てくれず、出所時に迎えにも来てくれず、噂を聞けば遠い町で会社を経営する金持ち女の恋人(っていうか飼い犬)になっているんですね。ビンとの愛と再会だけを支えに生きてきたチャオは、やっとのことでビンを捕まえ(チャオを避けている!)、一緒に故郷に帰ろうと説得します。「まだ故郷には帰れるわけがない。文無しで、世間から無視されている男の気持ちが、お前にわかるか」。

Conversation, Sitting,
(C)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

愛ゆえに刑務所に入った――つまり、愛があればなんでもできると思っているチャオは、ビンと自分の間にあるものが愛なのか、それともそんなものは最初からなかったのか、なんだかよくわからなくなり、ビンと別れて一人故郷に帰る.....のですが、もちろんここでは終わりません。

それぞれの愛、それぞれが愛と思っていたもの、愛と思いたいもの、愛だと思わせたいものの合間で、二人は揺れ動きます。そしてそんななかで示されるのが、「いつまで付き合えばいいのか」問題。このラストは、私としてはある種のハッピーエンドと思うのですが――まあ私は「そういうもの」の範疇からはずれたタイプだからなあ。

Photography, Fun, Shooting, Selfie, Travel, Happy, Tourism,
(C)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved
『帰れない二人』Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国公開中!

♥【女子の悶々】記事一覧はこちらでチェック


※一部の表現を変更いたしました(2019年9月19日)