映画ライター、映画コラムニストの渥美志保による、コスモ世代におすすめの作品を紹介する連載企画「女子の悶々」。第125回は、Netflixで配信中の『ミス・アメリカーナ』を紐解きます。

歳を重ねながらポップであり続ける難しさ

アイドルなんかに取材すると、みなさん「ファンが何を望んでるか」みたいなことを常に考えていて胸を打たれます。私なんかは「ファン(いませんけども)」どころか、友達とか親が何を望んでいるかとかもほとんど考えない、ほぼ「自分がどうしたいかしか」のみで生きているタイプなので、そういう事考え出すと抑圧としか思えないんだけども、ステージとかで「愛され」を全身で浴びることには、それなりの陶酔があるのかもしれません。

でもそういう生活を5年とか10年とか過ごしちゃった後が大変。「他者に望まれる」は要するに「自分がない」ことで、よく言えば「軽快でポップ」、悪く言えば「ペラッと感」が魅力なわけで、歳を重ねてこれをキープするのはマジで大変なことです。人間って歳を取るとどうしたって「重量感」とか「陰影」がでてきちゃうものです。

関係ないと思ってる人も多いかもしれませんが、外見的な部分も実はすごく大きい。たとえばほとんどの20代のことを「軽快でポップ」な存在感に思えるのは、その外見が理由の場合が多い。ただ年を重ねながらこれをキープしようとしても、なかなか難しいもの。

もしそういうのぜーんぶクリアにできたとしても、歳を重ねることで良い意味で表情とか態度に、そこはかとない「重み」ってものが出てきちゃうものなんですな、これがまた。たとえ「まだまだ全然若い」と思っていたとしても、本物の20代が目の前に現れた途端に「あ…」と否応なく気付かされる。相当ハートが強い人でなければ、彼らと同じ「軽快でポップ」な行動や態度を貫けはしません。

女性に「ホンモノ」や「大人」は求めていない!?

とはいえ、これが男性の場合は「ツンデレ」とか「オレ様」というジャンルがあるために、アイドル時代から「ファンはオレを信じてついてきてくれる」なんてことも言えちゃうし、「ホンモノを目指すオレ」をカッコイイと思ってくれるファン層も一定数いたりして、恋愛や犯罪以外のたいていのことは許してもらえたり。

さらには「出世魚的二段構え」みたいな世の中のコンセンサスがあり、恋愛で「アイドル」的世界から脱皮し「本物の俳優」とか「大人のアーティスト」になるみたいな展開が「格が上がった」的に前向きに捉えてもらえたりするものです。

ところが女性の場合は「ファンの望みを叶える」の中に、女性差別とか処女信仰などが不気味に絡みつき、人気をキープしつつ「本物」や「大人」として格を上げることがものすごく難しい。テイラー・スウィフイトに密着したドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』を見て、心底そう思いました。

2019 american music awards   roaming show and backstage
Kevin Mazur/AMA2019//Getty Images

冒頭で彼女は、スターになることを夢見ていた13歳の頃の日記を読み返して語ります。

「当時は「Good Girl(いい子)」になるのを目指していたの」

そして作品は、30歳の彼女が今、なぜ「いい子」でいることを辞めたのかを描いてゆきます。食べずに運動してスタイルをキープしないと「太った」と言われ、明るく前向きな態度は時に「ぶりっ子」と揶揄され、カニエ・ウェストの「本物じゃない」発言を覆そうとがむしゃらに楽曲制作し、「老けた女性アーティストが捨てられる世界」で男の100倍は新しいことに挑戦し、勇気を出して性的暴行を告発し…なんてタフな世界と思いつつも――いや待って、女性なら誰もがこんなようなことを、学校や職場で体験しているんでは?

アメリカは男女平等が進んだ国と思われていますが、それは結局のところ局部的に限られたもので、都会と地方の落差は日本以上に激しいものがあるのかもしれないと、映画を見て思います。

つまり女性アーティストが政治的な発言をすることは、ときに致命的なことにもなりかねません。先のアメリカ大統領選挙で、彼女が早々に「トランプ不支持」を公に発表した裏にはどんな理由があったのか。ぜーんぶ繋がっているその理由が、映画には描かれています。

『ミス・アメリカーナ』

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
『ミス・アメリカーナ』予告編 - Netflix
『ミス・アメリカーナ』予告編 - Netflix thumnail
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※Netflixにて公開中

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