好感度が低いから「あの女が言ってることは信じられない」
先日、ある地方の女性議員が、自分の上司たるその自治体の首長にレイプされたことを告発した本を出した――というニュースをやっていた某お昼の番組でのこと。
司会者が「この事件どうなの」とまず2人の弁護士に振ると、「両者の言い分が食い違っている現時点で、どちらが正しいかは言えない」。まあ当然のコメントだったわけですが、この後のコメンテーターがひどかった。「どうして今になって本を出して告発するのか」「首長の方は、絶対に名誉棄損で訴えてる。無実でない人はそこまではしない」と、完全に女性を嘘つき呼ばわり。
何の専門知識もなく、「直感」と言えば聞こえはいいけど、根拠のない雰囲気だけでものを言うコメンテーターって害悪でしかないなと思った瞬間なのですが、まあそれはさておき。なんでそうなるのと考えた時、やや穿った私の頭に浮かんだのは「見た目問題」です。誤解を恐れずに言うならば、画面に映る彼女の好感度の低さに、暗澹たる気持ちになりました――もし真実であったとしても、大衆は味方してくれないかもしれない、と。コメンテーターの反応はまさにそれを裏付けるものだったわけです。
さて今回ご紹介する作品は、ある美男美女カップルの物語『テッド・バンディ』。主人公は、法学生のテッドとその恋人リズ。シアトルで暮らすシングルマザーのリズと、普段は大学のあるユタ州に住むテッドは、シアトルのバーで出合って互いに一目惚れし、長い休暇のたびにテッドが帰郷する形で遠距離恋愛が始まります。
テッドはイケメンで優しいく、リズを愛するだけでなくリズの幼い娘も可愛がってくれる、まさに理想の男性。そのテッドがいくつかの殺人事件の容疑者にされ、二人は離れ離れに…という感じで映画は進んでいくのですが。
実はこのテッド・バンディ、70~80年代にわかっているだけで30人する以上の女性を暴行殺害した、アメリカ史上最悪の連続殺人鬼。そして「連続殺人鬼」のイメージを覆した、白人で高学歴、弁舌鮮やかで人好きのする、映画俳優レベルのイケメンです。
「人は見た目じゃない」と言ってるあなたも、ホントはルッキズムの奴隷
映画は恋愛映画化のように、引き裂かれた恋人たちを描いてゆきます。「冤罪だ」と主張するテッドに対し、警察の捜査や拘束や取調べはなんだか理不尽にも思えるし、テッドは離れ離れになったリズに何度も電話して「愛してる」と告げる。リズはテッドを信じながらも、次々出てくる状況証拠に、もう何を信じていいか分からなくなってくる。
そして「よう考えとるなあ」と思うのは、映画はテッドが女性を手にかけている場面をほぼ見せません。つまり映画の中は、「あの人カッコいい~」「でも鬼畜だって噂なんだよね。恋人のことボコボコに殴るって」「え~、信じられない。だってそんなふうに見えないし」みたいな状況になっているわけです。
テレビ中継されたその裁判は、なんだかようわからん浮かれっぷりです。傍聴に押し掛けた若い女性たちは、「彼は殺人鬼とは思えない」「怖くないわ、魅力的」「彼のことが好き」と笑顔(実際の映像)で口々に言います。一方のテッドは、カメラを意識して笑顔投げるわウィンクするわ、しまいには弁護士きどりで自身で弁護をしはじめ、決め台詞言ったらギャラリーに向かって「きめっ!」「どや!」と両腕を広げ、ギャラリーから拍手喝采と黄色い声援が。
なんだそれ、いや、分かるだろこの酷薄そうな顔、自分が二枚目だからたいていのこと許されるって思ってるやつだろ、どう考えたってこの言動は自己顕示欲の塊だろと、思うわけですが、それは私が事実を知りながら見ているからかもしれません。実際に「自分は無罪」と言い続けている人がイケメンだったら、もしくはものすごく醜かったら。冒頭のコメンテーターよろしく、何の根拠もなく印象だけで「やっていない」「やっていそう」と言ってしまうかもしれません。
SNSの時代はまさに一瞬で切り取られた「美」と「好感度」の時代で、人は理論的根拠を欠いたまま、一足飛びに印象と気分で何かを断じてしまうものです。私が「美しさなんてなんぼのもんじゃ!」と、美人やイケメンに喧嘩売って唾して歩くギラついた活動家とかならアレですが、実際のところそういう人を前にすると、つい「いいもん見せてもらった寿命が延びた」みたいに思っちゃったりする。
映画はそんな私に、「もっともらしいこと言っとるが、一皮むけばあんたも同じやで」とか突きつけてくるわけで、「いやあの、それでも人間は見ため“だけ”じゃないと思うんですけど…」とほそぼそ反抗してみる、いやほんとに「見た目で判断なんて間違ってる」と思うのですが、これほんと、いかんともしがたい永遠の問題よねえ。
『テッド・バンディ』
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