「女子力」とか言ってると、梅雨時の電車の中がモワッと臭くなる

私は料理も好きだし裁縫も好きだし子供も嫌いじゃない、なんだったら編み物だってしますが、それについて「女子力高いねー」と言われることにものすごく違和感を覚えます。例えば料理なんてプロの料理人は男性のほうが断然多いし、昭和のすし職人なんて「女が握った寿司なんて生臭くて食えるか」みたいなことすら言われる(恐ろしく偏見まみれの)世界だったし、逆に料理をほとんどしないけど素晴らしくフェミニン&ビューティな友人も私の周りには山ほどおり、そして料理をする以外の部分では「女子力高い」なんて言われたことのない自分を鑑みると、結局女子力ってなんなんですかと聞きたくなる、その時その時で都合よく使われる大雑把な概念としか言いようがありません。

そうそう、小ぎれいにしている男性に対して「女子力高い」っていうのも、ちょっと困るなあ。通常の男一般は「構わなくてもOK」(裏を返せば「女は構うべき」)とか、「男は“そんなこと”を気にするもんじゃない」(裏を返せば「女は“そんなこと”を気にするべき」)という、「性別による役割」論を肯定しているみたいで。そもそも性別とか関係なく、誰でもある程度は“そんなこと”を気にしてほしい。もっと言えば男のほうが汗かくし脂っぽいんだから、女性以上に清潔を意識してもらいたいんだよ、ホントはさあ。これからの梅雨の季節に電車の中がモワッと臭くなるのは、そういう理屈を許しているからに違いない…と、まあ暴論言ってみたりして。

まあそんなワケで、今月コスモな女子たちに見てもらいたいと思うのは、キーラ・ナイトレイ主演の『コレット』。フランスの女流作家の草分け的存在、ガブリエル・コレットの最初の結婚を描いた作品です。

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© 2017 Colette Film Holdings Ltd / The British Film Institute. All rights reserved.

コレットは19歳で年上の作家ウィリーと結婚し、彼のゴーストライターとして、自身の学生時代をネタにした処女作『学校のクロディーヌ』を書きあげます。それがベストセラーになると、今度は夫によりヒロインのモデルとして売り出され、時代のアイコンとなってゆきます。

映画前半は、結婚でパリにやってきた田舎育ちのコレットが、様々な「性別による役割」の中に押し込められてゆく様が描かれてゆきます。流行のドレスのコルセットが嫌いとか、社交界のお作法を無視して悪目立ちとか、夫の浮気をやり過ごすよう言われるとか、まあこの辺は分かりやすいっちゃ分かりやすい。

分かりづらいのは「もっと世間と関わりたい」と言った彼女に、ウィリーが与えたゴーストライターの役割と、セレブとしての“クロディーヌ”を演じること。「世間と関わり」たかった彼女にとって、それはそれで結構楽しい役割ではあるのですが――ある人物に言われて、はたと気づくのです。「“夫が望む通りの役割を演じる”っていう意味では、これまでと何も違わないのでは?」。

ここから彼女が演技やパントマイムを学び始め地方回りの女優になってゆくのは、なかなかに面白い展開といえます。つまるところ彼女は――何を演じるにしろ――自分の役を自分で選び始めるたわけですから。

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© 2017 Colette Film Holdings Ltd / The British Film Institute. All rights reserved.
夫にキレて自分の好きに生きると決めたコレット、まずはこの時代あり得なかった男装から。

外で働く、家で働く、結婚する、母親になる、結婚しない、母親にならない――どれもこれも「女子ができること」ではありますが、どれひとつとして「女子力」に関わるもの――「通常、女子ならする(すべき)こと」とか「通常、女子ならしない(すべきでない)こと」ではありません。そしてたとえできるからって、必ずしも引き受ける必要もぜんぜんない。もちろん様々な状況はあるとは思いますが、最終的にどうするかは自分次第。最近ちょっと気になっちゃうのは「外で働かせてもらうために、家事もちゃんとやる」とか「**(夫とか義母とか会社とか)が許してくれるから、子育てしながらも外で働ける」という女子たちがいたりすることです。もちろんそう気づかう理由もあるんでしょうし、気づかいができる女性は素晴らしい。でもそんなこと言いながら働いている男性はいないしと思うと、なんだか妙に悶々とします。

まあその後、あらゆる「女子の役割」を打ち破ったコレットでさえ、途中途中では「妻という役割に慣れなければ」とか「あなたを喜ばせることに力を尽くす」なんてことを考えていたりするわけで、そこには個別案件とは別の、よりベーシックな部分における「性別による役割」――「女性はあんまり強く主張するもんじゃない」「女性は男性に従うべき」――が根強くあるんだろうなあ。もしかしたら、女子の人生の自由な選択においては、ここが一番の、最大の難関なのかもしれません。

『コレット』

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