ボケっとしてたら脳天カチ割られた、衝撃作『ジュリアン』

あけおめ!ってことで、明けちゃった2019年のお正月。みなさん年始はどうお過ごしでしたでしょうか。私はと言えば、なんだか「ゆっくりしてもいいよ!」みたいな正月特有の空気に騙されて、「年明けまでに!」と言われた原稿がたんまりあるのに妙にのんびりしちゃったわけですが、そんな中で見た映画『ジュリアン』には「ボケーっとしてる場合かよ!」と脳天をかち割られたように衝撃を受けました。ええと、年始にはあんまり合わないDV男の話ですが、今月はぜひぜひこの作品を見てもらいたい!

「ジュリアン」っていうのは主人公の11歳の男の子の名前で、映画はその両親の離婚調停から始まります。妻側の主張は「暴力夫と別れたい、ジュリアンも会いたくないと言っている」なわけですが、結局は、共同親権を主張する夫に月に2回の面会を許す裁判所決定が出てしまいます。でも父親側の本当の狙いは親権ではなく、それを母親を再び支配する糸口にしたいだけということがわかってくるんですね。母親と直接会って話す(つまり締め上げる)機会を作ろうとしているわけです。

この映画の凄いところは、いわゆる暴力描写がほとんどないのに、めちゃめちゃコワいこと。それはひとえに父親役の俳優さんがバカでかい――身長は184cmで、体重はおそらく余裕で100kg超え――という理由も。その姿は、幼いジュリアンと同じフレームに納まるとほとんどヒグマとぁ相撲取りレベル。11歳の男の子がこんな大男に「母さんはどこにいるんだ!」と大声で怒鳴られたら、恐怖で何もできなくなってしまうのは当然のこと――なのですが。

これ偏見を与えかねないので書いておきますが、DVの加害者って、そもそもが「自身のデカい身体にものを言わせて、幼い頃から暴力で他者を圧倒してきた人」とか「貧乏人で学がなく、頭脳よりも拳にものを言わせる」とかいうタイプに限らないんじゃないかしら。こんなニュースもあるし、それって精神の病にも似たものなんじゃないかしら。

ジュリアンpinterest
©2016 – KG Productions – France 3 Cinéma

相手が逃げ出すのが許せないのは、自分の“所有物”だから

だってそもそも暴力振るった相手が自分から逃げるのを「なんで逃げるんだ」って、普通に考えたら「いや当たり前でしょ」って話だし、何度電話番号を変えてもそれを突き止めて、百万回電話かけてくるとか、さらに何度転居を繰り返してもそれを突き止めて、何度も押しかけてくるとかって、社会生活から完全に逸脱していないとなかなかできません。相手が知らない異性と一言言葉を交わしただけで「そいつと寝てるのか!」とキレて締技かけてくるとか、そういう偏執ぶりも異常としか思えません。相手を支配していいと思い、そこから逃げ出すことが許せないと暴力をふるうのは、つまるところ相手を“人間”でなく“所有物”と思っているから。つまり差別意識も満点。さらにそういう自分のすべてを許すことを相手に強要するとか、その幼児性には、おええええ、ヘドが出ます。

お正月に見ていた別の北欧のドラマでもDV男が出てきて、逃げた奥さんに「お前がいないとダメだ。俺は変わったんだ」と泣き落ししていて、私は画面に向かって全身全霊で「嘘こけ!」と罵声浴びせたのですが、奥さんがその言葉にほだされて再び受け入れてしまいそうで、あああああ!と悶々としました。でも『ジュリアン』のお母さんはある意味一歩も引いておらず、これがまたDV男にまつわる物事の複雑さを物語っているような気がします。つまりDV男が必ずしも「貧しくて下品で無教養」でないのと同じで、「DV男に騙されてしまう女」も必ずしも「NOと言えないタイプ」ではないんじゃないかしら。「リッチで洗練されてて高学歴」だからDV男のはずがないと思っていたら……!なんてこともあるに違いなく、2019年も男選びにはお気を付けください。

そして老婆心ながら付け加えるなら、夜ベッドに入る時には、携帯電話の充電を忘れないように!そして近所のおせっかいおばちゃんも大切に!――ってワケわかんないと思いますが、映画見たらきっとみんなそう思うはず!!ということで、ことよろ!

『ジュリアン』

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