デジャブ的にありがちな、責任逃れの護送船団

さて今回も前回に続き『ゼロ・ダーク・サーティー』10年間追いかけてきたビン・ラディンの尻尾をつかんだCIAの女性分析官マヤは、ここぞという作戦なのに非協力的な支局長にキレて自分に必要なチームを手に入れ、ついにその住居と思しき驚くほど厳重警備の豪邸を発見します。でも実はここからが一苦労。

政府の答えは「確証が得られなければ、攻撃許可は出せない」。つまりビン・ラディンが出入りしている写真でもない限り、作戦は実行できないってことです。まあ当然っちゃ当然なんですが、マヤ的にはそんなんが簡単に写真が撮れるような相手ならここまで苦労しないからという感じで、ほとんど襟首に手をかけているのに何もできない、生殺しのような状況に悶々とします。

映画にはCIA長官とアルカイダチームとの会議の場面が2回あります。出席はCIAのお偉方と現場作戦をひとりで率いてきたマヤ、でもなぜかマヤは部屋の片隅のパイプ椅子に座らされます。会議のテーブルで展開するのは、マヤの説明でしか情報を知らないお偉方のアバウトな議論で、ジリジリしたマヤは発言を求められてもいないのに一言。長官が「お前は誰だ?」と尋ねると、マヤは「その屋敷を発見したクソッタレです」。彼女以外の男性陣が「…うわあ」となるのがすごく可笑しいのですが、その「…うわあ」の意味がより明確になるのが2回目の会議です。

役人でなく政治家から任命された長官は、イタリア系の下町べらんめえ調でこう尋ねます。「大統領とサシで話してくるけどよ、ぶっちゃけどうなんだ、あそこに野郎はいるのか。イエスかノーで言え」。するとお偉方の面々は……

「確信は持てません。いるかもしれないというレベルです。可能性で言えば60%」

「同感です。わたしも60%」

「私も60%。中にいるのは大物だとは思いますが、ビン・ラディンかどうかは」

50%だとどっちつかずな印象だし、70%だと「いる」に近すぎていなかった時に困る――という絶妙なところで60%。最初の人間のその数字にほぼ全員が続くのも、「いざという時に1人で責任を取るハメにならないよう、みんなで足並みをそろえておく」という護送船団的な意図が見えすぎて笑えます。男性社会、とくにエリート社会の中で働く女性ならば、きっと声を揃えて言うでしょう。

「デジャブか! 先週の会議で同じ光景見たわ!」

組織で出世するエリートは、意外とただの「逃げ上手」

例えば大企業で出世して上まで行く男性は、必ずしも最も優秀な人ではなく、一言で言えば「逃げ上手」。社内政治に強く、上司の顔色を窺い、どんな時も周到に逃げ道を用意し、のらりくらりと明言を避け、矢面には決して立ちません。

そういう人を目の当たりにすると、働く目的の違いに愕然とします。いい仕事がしたい、充実感や達成感が得たい、信念のために働きたい、どうせなら仕事を楽しみたい、世の中の役に立ちたい、もちろん生活のための――できたら生活を少しだけ楽しめる程度のお金を稼ぎたい、とこのあたりの人たちであれば、共感しながら働くことができます。

でもこの会議室にいる「…うわあ」な人たちの「保身」というモチベーションは、まったくもって理解できません。まあCIAのオサマ・ビン・ラディン暗殺計画というシチュエーションであれば、失敗は全世界的な大事になっちゃうわけで、ビビるのも仕方ない――と百歩譲って思いもしますが、単なる大きな組織のトップと考えた時に、一番高い給料もらってる人たちの仕事は「責任取ること」じゃないんですか?と言いたくなる気持ちも抑えられません。

さて、ここでマヤ。

「意見は出揃ったし、いまさら聞くまでもない」と遮るお偉方の言葉を無視して、「100%確実」と断言します。再び「…うわあ」となった会議室の空気を今度はきっちりと拾い上げると、「いえ、やっぱり95%。ビビらせたくないから。でも本音は100%」。マジですごいカタルシス、すっきりします。

彼女が断言できるのは、裏を返せば彼女が「出世」なんて考えてないからでしょう。いえいえ、出世したくないという意味ではなく、今はとにかく目の前の仕事をやり遂げたいという思いです。たいていの組織で「女性の方が仕事ができる」と言われるのは、こういう取り組み方だからだと思います。

これに対して「男性は大きな視点でものを考えられる」なんて言いますが、例えそうだとしても、その視点の先にある目的が「仕事の達成」でなく「保身と出世」であるなら、組織って一体何だろうと思います。なぜか仕事本位の人が出世しづらいそうした組織の在り方に、悶々としてなりません。

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