あの人は「適当にご機嫌とっておけば大丈夫」

誰かと関わりながら何かを作り上げることが仕事の醍醐味ではありますが、自分一人で完結できたらどんなに楽だろうと思うこともあります。

それは例えば、「特別にこれを聞いてほしいというのはないので適当に」と言われたインタビューが終わり、原稿を構成する段階で「***については聞きました?」って言われるとか、「3日後に仕上げてほしい」と言われてレイアウトが上がってきたのが3日後とか、そんな仕事を引き受けてしまった時だったりするのですが、さらに悪いのはそうした発注主が次に会う時に手土産(といっても編集部に転がっているもの)を持ってきて、それに意外と喜んじゃってる自分に気づいた時です。私って"適当にご機嫌とっておけば大丈夫な人"という感じに思われているんではあるまいか。これ結構悶々とします。

仕事をするうえで大事なことは何かを考えた時、例えば私のようなフリーライターの場合、「一定レベルの原稿が書けること」「(締め切りや取材時間を守るなど)それなりにマジメなこと」などを最低条件として、それ以外は?と聞けば「仕事がしやすいこと」だったりします。

一見、やけに包括的な褒め言葉に思えるこれは、それゆえに玉虫色の言葉で、使う人により「コミュニケーション能力が高い」「性格が穏やか」「腰が低い」「無理が言いやすい」「丸投げできる」「言った通りに書いてくれる」「勝手に直しても文句を言わない」「タダ同然のギャラで使える」など、その意味合いは様々です。つまり「仕事がしやすい」は、時に「敬意を欠いても構わない相手」という含意が下品に聞こえないための言い換えだったりもするわけです。

これは"フリーランス残酷物語"だと思っていましたがどうやらそうでもないらしく、会社員、特に女子の場合は、これに似たようなこともままあるようです。それは「**さんは気立てがいい」といった褒め言葉で、含意は「性格が穏やか」「無理を聞いてくれる」「丸投げできる」「モノで誤魔化されてくれる」「余計なことを考えない」「セクハラしても怒らない」「出世・昇給がなくても文句を言わない」「最終的には折れてくれる」。

世の中にはいちいち騒ぎを起こして「ゴネ得」を実践する人もいて、例えば給料を上げるために親が会社にねじ込むとか、ちょっとにわかに信じられない話もきいたことがあり、そういうのをは「いかがなものか」と思うのですが、ちょっと待て、そういう意味不明がまかり通るのは「あの人は面倒くさいから」と許してしまう人がいるからではないかと思うんですね。「**さんは気立てがいい(面倒くさくない)」はまさにその裏返し。「ゴネ得」を許す人が、"適当にご機嫌捕っておけばOK"と思う相手の気持ちを、決して掬い取ってはくれません。

敬意を欠いた扱いには、女子だってキレるべき

さて今回のネタは『ゼロ・ダーク・サーティー』。オサマ・ビン・ラディン暗殺作戦の裏側を描いた作品です。映画の主人公は作戦の立役者となったCIAの女性分析官マヤで、入局以来ずーっとビン・ラディンだけを追い続けてきた人物として描かれています。

冒頭でパキスタンに赴任したばかりの彼女を、男たちは「お嬢ちゃんが、こんな場所に絶えられるかな」と半ば面白がって見ているわけですが、冷血漢と噂の彼女は大した反応もなし。映画はここから10年、自分が「ビン・ラディン発見の糸口になる」と信じた謎の男を追い続ける彼女を追っていくわけですが、その執念、信念、頑固さ、熱さ、強さ、妥協の無さに、「気立てのいい子」要素は何ひとつありません。

そんな彼女が、ある事件をきっかけに冷血漢でいられなくなってゆきます。追いかけて10年目、目先の手柄を挙げることにしか興味がなく、ここぞという作戦にも常に及び腰の上司に、ついにマヤは「あんたはパキスタンのこともアルカイダのことも全然わかってない」とキレます。この支局長、その指摘を証明するかのような出来事によってパキスタンを去ることになるのですが、後任にこんな言葉を残してゆきます。「マヤには逆らわないほうがいい」。

これだよ、これ、と私は思いました。

「気立ての良さ」が女子の美徳とされること、それ自体は(まあ、女子の、というより、人間の美徳と言ってほしいところではありますが)否定しませんが、仕事や子育てをしながら「自分自身で立たねばならない」女子が敬意を欠いた扱いを受けた時、キレてもいいんじゃないかと私は思うのです。もちろん、なんもかんもいたずらに対立するのではなく、ここぞという局面で。

周囲の「気立てがいい」という褒め言葉は、あなたに何も言わせないための遠回しのプレッシャーかもしれないし、「どうせ怒らない」という侮りかもしれない、そして本人がそのことに気づいていないことを、相手は一番"しめしめ"と思っているかもしれないんですから。

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