女性のためのミズ・ファウンデーション財団(Ms. Foundation for Women)から「ウイメン・オブ・ビジョン賞(Women of Vision Awards)」を授与されたメーガン妃とともに、NYで開催された授賞式に出席した母親のドリア・ラグランドさんとヘンリー王子。会場を出た後、3人はパパラッチに執拗に追跡され、「大惨事につながりかねない」カーチェイスに巻き込まれたと言います。
サセックス公爵夫妻の広報担当者はこの件について発表した声明で、次のようにパパラッチを非難しています。
「執拗な追跡は、2時間以上にわたって続きました。走行中だった他のドライバーや歩行者たち、NY市警の2人の警官などを巻き込んだ衝突事故を起こしそうになりました」
「公人であることは、世間から高い関心をもたれることです。ですが、それは誰かの安全を犠牲にするものであってはなりません」
「このような方法で入手された写真が広く使用されることは、関係するすべての人にとって危険な、攻撃的な方法での撮影を助長させることになります」
<ハーパースバザー アメリカ版>の関係筋の話として伝えたところによると、夫妻を執拗に追跡したのは、10数台の黒塗り車。そのドライバーたちの交通ルール違反には、赤信号の無視、一方通行の道の逆走、歩道の走行、他の車の走行妨害、通話や写真撮影をしながらの運転などが含まれていました。
夫妻はこの日、友人宅に滞在しており、その住宅に関する情報を掴まれたくなかったそう。
公爵夫妻は以前から、自分たちの私生活を暴くような写真や記事を公開し、それによって収入を得ようとするパパラッチやタブロイド紙によるプライバシーの侵害を非難してきました。そして、イギリスの新聞社「アソシエイテッド・ニュースペーパーズ」など複数のメディアを提訴しています。
また、ヘンリー王子は自身の回想録『Spare(原題)』で、1997年に起きた交通事故で母のダイアナ元妃を失ったことによる心の傷についても語っています。元妃はパリ滞在中、パパラッチの追跡を振り切ろうして起こした自動車事故で、命を落としました。
同書によると、王子は23歳のとき、車でそのトンネルを走ってみたといいます。
「私たちはスピードを出して進み…数秒で(トンネルの)反対側に出た。私は座席にもたれかかり、静かにこう言った。『これだけ?…何でもないじゃないか。ただの直線のトンネルだ』」
「私はずっと、そのトンネルが危険な道なのだと、もともと危険なのだと想像していた。だが、ただの短い、単純な、何の変哲もないトンネルだった。その中で人が死ぬようなものではなかった」
From Harper’s BAZAAR.com