正体不明の人にまで気遣わなアカンの、SNSって。

少し前に「私がFacebookでよく使う言葉」というアプリが流れてきて(あれ個人情報抜きとられるのでやっちゃいけないらしいのですが)、思わずやってみたことがあります。「映画」という言葉とか「更新しました」が多いのは、私がSNSを主にネット上の記事の更新告知に使っているからですが、それに次ぐ多さで使っていた言葉は「めんどくさ」でした。統計って恐ろしいわバレバレやんか、とつくづく思います。私はこの世で面倒くさいことが大嫌い。その最たるものが、他人をとやかく言う人の存在であることはいうまでもありません。

SNSはそうした面倒くささが最も渦巻くワイルドサイドで、さらにそれを「渦巻いてませんよ」みたいに表出するスーパープロトコルがあり、「うわー、すごく素敵なお誕生日ディナーですね~」とコメントしながら、本音のところは「リア充実アピールしちゃって」みたいな感じだったりする、もしくはそれを見て「あれってどうなの」と欠席裁判が始まる――みたいなことがあるとかないとか。周囲に「スーパー・スルー・スキル(SSS)」と呼ばれている(今作りましたけども)私は、こうした動きがあったとしてもどうぞご勝手になのですが、私がスルーしていても向こうから襲いかかってくる、という状況があるんだなということをこの間初めて知りました。

それはかいつまんで言えば、私が常に書いている本当にどうでもいいこと――仕事に飽きたとか、原稿書きたくない眠いとか、今月は映画見れてないとか、基本的に「毒にも薬にもならない自分のダメさ」みたいなものを、「ある人(仮にAさん)が"不快だ"と言っていた」と別の知人から聞かされ、「書かないほうが」と言われたんですね。

正直、どういう意味か何が不快なのかさっぱりわからず、そしていくつか疑問が浮かびました。ひとつめは、意味はわからんけど不快であるなら、私のことを友達(もしくはフォロワー)外しすればいいのでは?ということ。そしてふたつめは、私は結局その人が誰なのか知らないのですが(まあ、誰か知らないから書いちゃうのですが)、相手が誰かもわからない、何が不快なのかもわからない状況で、なんで私が私のSNSの投稿を改めなあかんの? マジでそんな世の中?

「どうでもよくないこと」は、そんなに多くはない

とかなんとか言ってるけど、知らず知らずのうちに他人のこと攻撃しちゃったんじゃないの~みたいに思う人もいるかもしれません。でもこの話が出た時にいた人たち全員が私のFBのお友達で、全員が「不快の理由」がよくわからなかったので、おそらくこの感覚は間違ってはいない! と、こんなふうに書くと「他人の目を気にするなんてバカらしいわ!」のカリスマみたいな感じになっちゃってるのがこっぱずかしい! こっぱずかしいほど「この人マジにダメだな~」ということしか書いてない!

それでも世の中にはそれを不快に思う人がいる。「そんなんどうでもええわ」とたいていのことをスルーしてしまうSSSの私は思いました。私にとって「どうでもいいこと」でも、その人にとっては「どうでもよくないこと」なのかもしれない。そういうことはままあるものだとは思いますが、どうでもよくないことが多い人って大変じゃないのかしら。好きでもない他人の一挙手一投足を見て、いちいち反応してあーだこーだ言い、相手が私のような「そんなん気にしてられんわ」と言う人だったら、不快の根源はまったくなくなりません。でも私が改めたとして、その人に何か得があるのかしら?と思ったりもします。少なくともそこまで近しくはない、たぶん顔見知り程度にしか私を知らない人が。友達外しのほうがよっぽどてっとり早く、不快の解消になると思うんですけど。

そんなことを思いながら、『パーティで女の子に話しかけるには』を見ました。ラストにヒロインのエル・ファニングが下す決断に――ある星の命運を決める、そし自分の将来を決めるその選択に、「"どうでもよくないこと"っていうのは、こういうことだよ」と、私は思いました。人間って「どうでもよくないこと」がひとつかふたつあると、あとのことはどうでもよくなると私は思っているのですが、謎のAさんにはそういうことがないのかしら。それとも退屈なのかしら。時間と体力があるのかしら。

パーティで女の子に話しかけるには

(C)COLONY FILMS LIMITED 2016

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