「いいよ、私、自分が美人じゃないってわかってる」

モデルを目指して都会に出てきた田舎娘を通じて、ファッション業界と「美」のグロテスクを描く映画『ネオン・デーモン』を見て、女子と「美」について考えていて、ふと思い出したことがあります。

ある30代の女性と話していた時。彼女は私の個人的な、そしておそらく客観的な基準で見ても「美人」とは異なるタイプだったのですが、なぜか話している最中に「ここは"**さん美人だから"と言わないと」という空気が流れてしまい、にもかかわらず私は口ごもってしまいました。次の瞬間には後悔していたけれど、もはや後の祭り。私の考えを見抜いた彼女は、ややキレ気味にこう言いました。

「いいよ、私、自分が美人じゃないってわかってる」。

この言葉にビックリしてしまった理由はふたつあります。ひとつは、私もいい年こいてバカ正直だが、この人もたいがい正直すぎるなあということ。そしてもうひとつ、こっちが主なびっくりだったのですが、彼女がおそらく「美人ですね」という言葉を待っていた、という事実です。

誤解しないでほしいのは、はっきりした顔立ちの彼女は決して"ブス"と言われてしまうタイプではないし、私もそんなことは全然思っていません。

彼女は、頭の回転が速くてバイタリティがあり、女っぽいタイプではないけれど無敵の可愛げと華があり、常に集団の中心で一目置かれる上に、愛されるという太陽のような人です。お嬢様で、キャリアもバリバリで、結婚もしていて、旦那様も仕事にすごく理解がある。私は常々「ああ、この人は無敵だ、かなわない」と感じていたし、彼女の価値は「美人かどうか」なんてどうでもいいほどに、ゆるぎなく成立しているわけです。

それは例えばオリンピック競技で4連覇した女性アスリートの「美人かどうか」を論議する、この人の価値をそんなことで測るなんて失敬な!と思う、それと似たようなものなわけで、要するに私が言いたいことをかいつまめば――そんなことでキレることないじゃん。

女子的無限ループ「美人返し」や「お世辞」は、疲れるから端折りたい。

渥美さん、そこは大人になって「美人」って言っとけばよかったんですよ、誰でもそう言われたら嬉しいんだからさと思う人もあるでしょうし、私自身、頭ではそうなんだろうなと思う部分も無きにしも非ずなのですが、かといって簡単にそうはできない明確な理由もあります。それは私自身が「美人」と言われた時に、何とも言えない違和感と困惑を覚えるからです。

誤解されないでしょうが、ビジュアル面から見た私は、ほんとに普通の、「美」という面でも「醜」という面でも、ほとんど印象に残らないタイプです。そうした自認に、謙遜も卑下も喜びも悲しみも感慨も魂の叫びもなく、それ以下でもそれ以上でもありません。ブスではないかもしれないが、美人とは言えない、なんつうこともないタイプです。そんな私に、時々「美人ですね~」と言ってくる人がいます。

「それはあなたの美しさに、あなた自身が気づいてないだけ!」みたいな寝言を言ってる人はさておき。私がどうにも悶々とするのは、相手が必ずしも私を「美人」と思ってはいない、そのことがスケスケに見えてしまうことです。

そこで出てくる「美人」という言葉は、時に「あいさつ程度」で、時に「**ちゃんって美人だよね~」「そんなことないよ~。**ちゃんこそ美人」「ほんと~? でもでも**ちゃんは***だし~」「でも**ちゃんほどじゃないと思う~」みたいな「美人返し」を期待する女子的無限ループの始まりで、時に「この人のご機嫌とっておかないと」的とってつけたようなお世辞で、そういうのをわかっていながら、言われたり言ったりすることが推奨される世の中って、妙に疲れます。

「美人」と言われれば素直に喜び、嘘でもいいから「美人」と言える人間だったら、どんなに楽だったか。実はこの正月も早々に、今年初の「美人姉妹(姉と一緒だった)」と言われ、本気で言ってのか!どこが!?どこがだ!?と詰め寄りたい気持ちを抑えて苦笑いしたことを、ご報告しておきます。

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