ロンドン在住ライター・宮田華子による連載「知ったかぶりできる! コスモ・偉人伝」。名前は聞いたことがあるけれど、「何した人だっけ?」的な偉人・有名人はたくさんいるもの。知ったかぶりできる程度に「スゴイ人」の偉業をピンポイントで紹介しつつ、ぐりぐりツッコミ&切り込みます。気軽にゆるく読める偉人伝をお届け!

今回ご紹介するナイチンゲールは、児童用の「偉人伝」シリーズでもおなじみ中のおなじみの人物であり、歴史上もっとも有名な看護師。どの伝記にも必ず掲載されている黒いドレス姿のポートレート写真、そしてランプを手に持って病棟を周る「ランプの貴婦人」のイラストを思い浮かべる人は多いはずです。

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しかし、今一度彼女の人生を振り返るとみえてくるのが、看護師だけにとどまらない意外な一面。多分野に才能を発揮し、様々な点において「先駆者」だったのです。

そこで、この記事では彼女が歴史に名を残すことになった看護師としての功績に加え、一般的にはあまり知られていない実績をご紹介します。

看護師という職業を確立
――ヴィクトリア時代が生んだ「働く女性」

フローレンス・ナイチンゲール(1820年5月12日 ~ 1910年8月13日)は、ジェントリ(下級貴族・地主層)と呼ばれるイギリスの裕福な家庭の次女として、トスカーナ大公国(現イタリア・トスカーナ州)の首都フィレンツェで誕生しました。

フィレンツェで生まれたのは、両親が2年にも及ぶ新婚旅行中だったからであり、街の名前にあやかりフィレンツェの英語名「フローレンス」と名付けられました。

▲ イギリス・ダービーシャーにある、フローレンスが幼少期を過ごした家の一つ「Lea Hurst」。寝室が15もある大邸宅。

フローレンスは主にヴィクトリア時代(1837~1901年)に生きた人でしたが、この時代、女性が学校に行くことはありませんでした。しかしアカデミックだった彼女の両親は女性教育に対する先進的な考え方を持っており、姉のパルテノペと共に歴史、数学、イタリア語、文学、芸術、哲学など、当時からすれば贅沢な教育を受けて育ちました。

ロンドンの高級住宅街メイフェアに暮らしつつ、慈善活動にも熱心に取り組んだフローレンス。貧しい人たちの厳しい生活を目の当たりにしたことから、「人に奉仕する仕事をしたい」という思いが芽生えます。

▲ 26歳ごろに描かれたフローレンスの肖像画。

上流階級の娘が「職業をもつ」ことなど、当時はありえないことでした。1838年、一家は再び欧州旅行に出ますが、そこで彼女はパリ在住のイギリス人社交家メアリー・クラークと出会い「男女は同等であるべき」という考えに目覚めます。

母親はフローレンスが早く結婚することを望んでいたものの、彼女自身は「善行を行いなさい」という神の啓示を受けたと感じていました。1851年にドイツ・デュッセルドルフ郊外にある病院付の施設・カイゼルスベルト学園で数カ月間、看護教育を受けました。

当時看護師は専門性のある職業ではなく「酒を飲んだ女性がやる仕事」というイメージの職業でした。ロンドンに戻った彼女は看護師を志したものの、母と姉の猛反対を受けます。

その反対を押し切り1853年8月22日、33歳のとき「淑女病院」に看護師長として就職しましたが、なんと無給。唯一の理解者であった父から援助を受けて仕事を続けました。

「ランプの貴婦人」
――クリミア戦争へ従軍

彼女を世界的な有名人にしたのは「クリミア戦争に従軍したときの活躍」です

「クリミア戦争」とは:
1853~56年、中近東およびバルカン半島の支配権をめぐり、ロシアVSオスマントルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍で戦った戦争。

イギリスはロシアとオスマントルコとの戦いに、1854年にフランスと共に参戦。<The Times>紙の従軍記者から前線の負傷兵の悲惨な様子がイギリスに報じられ、国民にショックを与えていました。

フローレンスはこの事実を知り、14人の看護師と24人の修道女、合計38人の女性たちによる看護チームを作り、野戦病院のあるスクタリ(イスタンブール郊外)に向ったのです。

現地に着いたフローレンスは、野戦病院が予想以上に劣悪な環境であることに驚きます。軍は「縦割り組織」であり、物資不足、不潔な環境、医療行為も適切に行き届かず、負傷兵士の間に感染症や伝染病が蔓延。加えて、餓死者も出ていました。

しかし、そんななかで医療者の数が足りていないはずであるにもかかわらず、軍はフローレンスたち一行を受け入れようとしませんでした。

florence nightingale 1820 1910 english nurse, in the barrack hospital at scutari during the crimean war 1853 56wood engraving c1880
UniversalImagesGroup//Getty Images
▲ スクタリのバラック建ての病院で看護にあたるフローレンス(1880年ごろに製作された木版画)。

フローレンスは一考を案じ、医務官や看護をしていた雑役兵が目を付けていなかったトイレに着眼しました。トイレ掃除を徹底したほか、寝具を洗うなどまずは衛生面の改善に努めます。

それに加えて兵士への食事の見直しを行うことで、3カ月後には負傷兵の死亡率が42%から5%に低下。この結果を受けフローレンスはスタッフの責任者に抜擢され、野戦病院内の体制改善に挑むことに。

彼女は昼夜問わず献身的に働き、夜は病棟内の見回りを欠かしませんでした。

兵士たちは、闇の中から聞こえる看護師たちの足音に安らぎを感じていたと言います。これが、フローレンスに「ランプの貴婦人」「クリミアの天使」というニックネームが付いたゆえんです。

▲ フローレンスが野戦病院で使っていたものと同じタイプのトルコ製のランプ(ランタン)。

男性上位の戦地で医療環境をダイナミックに変えたことは母国イギリスでも報道され、彼女は一躍有名人となりヴィクトリア女王にも称えられました。「看護師」のイメージ改善にも大きく寄与したはずです。

しかし、彼女自身はこの名声を嫌いました。戦後、すべての兵士が本国に帰還したのを確認した後、偽名を使ってひっそり帰国したほどでした。

看護師として
現場にいたのは「2年」

歴史上もっとも有名な看護師のフローレンスですが、現場で実際に看護師として働いた期間は意外と短くクリミア戦争に従軍した2年間だけと言われています。ちょっと意外?というか“拍子抜け”しませんか?(笑)

1856年、クリミア戦争から戻ると、戦地での苦い経験を基に軍隊や野戦病院の改革に取り組みました。4年後にはロンドンのセント・トーマス病院に看護学校を設立。近代看護の基礎作りに取り組み、看護師という職業を「専門職」、そして女性が自立できる職業の一つに押し上げたのです。

また、「ナースコール」「病室の水と湯の出る蛇口」「ナースステーション」など、現在ではあたりまえに備わっている病棟システムを考案したのも彼女。医療施設の構造や建築デザインにも多くの功績を残しました。

▲ フローレンスは筆まめだった様子。こちらはフローレンス・ナイチンゲール博物館が所蔵する、習い看護師に宛てた 371 通のリトグラフの手紙。

統計学者としての活躍

フローレンスは統計学者でもありました。軍隊の衛生管理改革の一環として、兵士の死因データを集計・分析し、彼女が考案した図表(「コウモリの翼」「ナイチンゲールのバラ」「鶏頭図」と呼ばれる)にまとめました。

▲ クリミア戦争における兵士死因データをフローレンスが図表化したもの。軍隊の死亡率の実態を一般人や医療関係者に分かりやすく示し、状況の改善を訴えました。青いくさびは予防可能な病気による死亡、赤いくさびは傷による死亡、黒いくさびはその他の原因による死亡を表しています。

ともすれば軍を敵に回してしまうことに繋がりうる困難な仕事でしたが、彼女は信念をもって続けました。そしてイギリス陸軍において伝染病による死亡率が圧倒的に高いこと、介入によって改善の余地があることを数値と図表で証明したのです。

フローレンスはこの研究を高く評価され、1859年にはイギリス王立統計学会初の女性会員に選ばれています。彼女は生涯に渡り統計学による医療体制の分析・研究を継続しました。

▲ 王立統計協会にフローレンスが入会したことを示す証明書。

ナイチンゲールの晩年

90歳で他界するまで医療現場の環境・衛生の改善、看護教育に力を注いだフローレンス。しかし、クリミアで感染したと思われる「ブルセラ病」を帰還後に発症し(慢性疲労症候群との説も有り)、以後約50年間のほとんどをベッドで過ごしました。

研究や執筆も自宅で行い、病魔に苦しみつつもキャリアを中断することなく看護・医療現場の改善のため力を尽くしたのです。

▲ 1900年ごろ(80歳ごろ)のフローレンス。

「ランプの貴婦人」「クリミアの天使」の呼び名は、どこか彼女にソフトなイメージを与えます。そういった優しさにあふれていたことも事実ですが、実際のフローレンスは冷静に物事を見つめ、権威とも渡り合う強さと知性を兼ね備えた人物だったはずです。

彼女が看護学校をつくったセント・トーマス病院にはフローレンス・ナイチンゲール博物館が併設されています。いつかロンドンに旅行する機会があったら、この記事を思い出して博物館に立ち寄ってみてください。

看護師としてだけでなく、女性の社会進出を促し、かつ世の中の体制にも戦いを挑んだ彼女の軌跡が分かります。

フローレンス・ナイチンゲール博物館
Florence Nightingale Museum
St Thomas’ Hospital,
2 Lambeth Palace Road,
London, SE1 7EW

参考文献

  • 『フロレンス・ナイチンゲールの生涯』(青空文庫)宮本百合子
  • 『学習まんが 世界の伝記 NEXT ナイチンゲール』(集英社)堀ノ内雅一(著)・込由野しほ(イラスト)・高田早苗(監修)
  • 『ナイチンゲールの「看護覚え書」イラスト・図解でよくわかる!』(西東社)金井一薫
  • 『ナイチンゲールは統計学者だった!―統計の人物と歴史の物語―』(日科技連出版社)丸山健夫
  • 『ナイチンゲールの神話と真実』(みすず書房)H・スモール(著)・田中京子(訳)
  • <東京新聞>ウェブサイト『医療に尽くした生涯 ナイチンゲール 先駆的な看護改革 英で生誕200年展』
  • <公益社団法人・日本心理学会> 公式サイト
  • 『順天堂醫事雑誌』(順天堂医学会、2022年 Vol68)
  • 『日本医史学雑誌』(一般社団法人日本医史学会、2022年第54巻 第1号)
  • <BBC>『Florence Nightingale: the Lady with the Lamp』
  • 『Florence Nightingale, feminist』(McFarland Publishing)Judith Lissauer Cromwell
  • <Florence Nightingale Museum>公式サイト 他多数。