ロンドンの約60キロ西に位置する、レディングのあるスーパーの前に集まる男性たち。茶色い帽子をかぶった中年男性が「Pray for Abortion(中絶撤廃のために祈りを)」というサインを掲げ、黒いTシャツを着たもう一人は、十字架のついた数珠を握りながらブツブツと祈りを捧げています。

スーパーの向かいにあるのは、人工妊娠中絶のための医療サービスを提供する英国妊娠相談サービス(BPAS)。

中絶を提供するクリニックを“見張る”人々

この男性たちは“平和”な祈りの力でクリニックを閉鎖させるため、昼の休憩時間や夕方、週末などを使って当番で活動する団体のメンバーです。キリスト教の教えに従い、“女性たちを助け”、彼らの言う中絶の“トラウマ”から救おうとしているそう。

この活動の裏には「40 Days for Life(40日間の命)」という組織があります。グローバルに展開するプロ・ライフ(胎児の生命を尊重する立場から中絶の合法化に反対する)派の団体で、キリスト教をルーツとして2004年にテキサス州で中絶にかかる医療を提供するあるクリニック閉鎖を目的に立ちあがりました。

実際このクリニックはその7年後、資金面などを理由に閉鎖しています。そしてイギリスでも存在感を増しながら、2024年時点で100万人以上のボランディアが参加すると言う、レディング以外にも12カ所のイギリス国内拠点をもつ団体になっているのです。

団体の活動の中核にある一大イベントは、年に2回、40日間にわたって行われるキャンペーン。これは中絶を提供するクリニックの外での“見張り”活動(同団体はあえてプロテスト/抗議と呼ばないようにしているそう)をさらに強化するというもの。団体は、この活動は約64カ国の1000以上の都市に広がっていると発表しています。

私が23年9月に“見張り”活動の一つを見たときはたった二人の男性しかいませんでしたが、大きな存在感を放っていました。道路を挟んで、クリニックから約25メートルのところに立っているので、嫌でも目に入ります。

このような行為への対策が全くないわけではありません。中絶を提供するすべてのクリニックの周辺150メートルを「バッファゾーン(緩衝地帯)」とする法律が2023年5月に、イングランドとウェールズで成立しました。

これはクリニック利用者やスタッフが安全に必要とする医療にアクセスできるよう、施設周辺での妨害やデモなどを制限するものです。施行はまだですが、スコットランドでも類似した法案の制定が進んでおり、北アイルランドでは一部の地域を除いて、23年秋から同様の法律が実際に施行されています。

イギリスでは国民の76%が中絶を支持しているので、リベラルな国だと思う人が多いかもしれません。しかしイングランドとウェールズでは、中絶が“違法”になることも未だにあります。

妊娠24週を越えての中絶や二人以上の医者の了承を得ない中絶を行うと、中絶を希望した人は罪に問われるのです。これはほかの医療行為では、あり得ないこと。

「40 Days for Life」に類似した活動を行う「March for Life (いのちの行進)」も、賛同者の数は右肩上がりだと主張しています。ロンドンで行われた行進の参加者は2018年が4000人だったのに対し、2023年は7000人だったそう(カトリック系のメディアからの情報しかないため、信憑性に疑問の余地はあります)

バッファゾーン(緩衝地帯)の中へ…

レディングのスーパーの前にいた茶色い帽子の男性は、マーティンと名乗りました。彼は「40 Days for Life」レディング支部の主催者で、近所のクリニック前で行う40日間の“見張り”活動を統括しています。

マーティンさんはカトリック教徒として育ち、このようなイベントには9回ほど参加していると話してくれました。そして規約を記載したパンフレットを見せ、団体の規約どおりに活動は全て平和に行っていると主張します。

“見張り”活動に参加するためには、このような19の項目を承諾し、署名しないといけないそう。

  • 「私は中絶クリニックのスタッフやボランティア、顧客に慈悲を示し、キリストの愛を与えることを誓います」
  • 「ポスターやバナーは団体の了承を得たもののみを使用すること。それらを上手に活用すること」

ほかにも、歌や掛け声のボリュームをほどほどにすることやポイ捨てをしないこと、そして「もし参加者の安全性が脅かされることがあれば一度撤退し、時間をおいて戻ること」などが書かれています。

もし警察の職務質問などを受けた際には、この19の項目が記載された「平和の誓い」を見せるように指導されているそうです。

「クリニックのスタッフから、パンフレットを配ってはダメだと言われました。しかし、現在の法律によれば、私たちにはそれをする権利があります。私は一歩も引きません」
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「クリニックにくる人にはさまざまな背景がある」

クレアさん(仮名)は2022年、イングランドのリーズにあるクリニックにいったときに、中絶反対派から罵声を浴びせられた一人です。

「(どの団体かは不明ですが)犯罪者のような気分にさせられました。それで決断が揺らぐほどではありません。それまで感じていなかった罪悪感を植えつけられただけです」(クレアさん)

マーティンさんは、「40 Days for Life」やその他の団体を含め、女性にハラスメントをしたり、道をふさいだり、攻撃的な態度をとったりする人々は許さないと言います。

しかしたとえ直接的に暴力的でなかったとしても、クリニックのスタッフはその存在自体が、中絶を必要とする人にとって脅威的で、医療を受けることから遠のかせたりすることを懸念します。すでに複雑でつらい思いをしている中絶希望者の一日を、さらに難しいものにしてしまう、という指摘が。

「きっと何か目的を持って、良いことをしているつもりなんでしょう」と、英国妊娠相談サービスのレディング・スラウ支部長、ジャネット・ペニコットさんは言います。

「静かに抗議をしていたとしても、(マーティンさんや抗議活動者は)女性にどのような影響を与えているのかに気づいていません。このクリニックにくる人々にはさまざまな理由があり、それぞれのストーリーがあります。人生を変えるような、大きな決断をしているのです。これ以上のプレッシャーはいりませんし、トラウマを植えつけないでほしいのです」

法整備に揺れる体制

クリニック周辺をバッファゾーンと制定する法律は可決しているものの、未だ施行が遅れているという現状があります。

ロンドンを拠点とするチャリティ「 MSIリプロダクティブチョイス」の運用マネージャー、ミケイラ・マックデイドさんはの「施行が遅れている問題は、深刻なものだ」と言います。

彼女は、法案の施行が遅れている現状を中絶反対派の団体は、政府が自分たちの活動を肯定しているサインだと受け止めているように感じているといいます。

「この法案が可決した2023年の5月から、ロンドン南部での活動が過去にないほど活発になっています。クリニックの前に抗議に人が来るのは週に1、2回ほどでしたが、今では毎日です」

内務省政務次官のシャープ男爵は、法の施行が8カ月も遅延していることについて、このようにコメント

「感情的になりがちなトピックで、多くの強い意見とともに議論されています。その適切なバランスを探すことは簡単ではありません」と、どのように実際に法を実用化させるのかをしっかりと協議する必要があることを強調しました。

クリニックや他の政治家たちは、すでに「バッファーゾーン」を導入して成功したケースを参考にできるはず、と反論しています。

クリニック周辺での迷惑行為を一時的に禁止するには、クリニックはPSPO(公共サービス保護命令)を利用することもできます。ただしこれは時間や資金が必要になるもの。そしてバッファーゾーンの法整備が整うのなら、今からあえてPSPOをするのは遠回りのようになるのではないかとランベス区議会同様にMSIは考えたと言います。

しかし、バッファーゾーンの法の施行がいつになるかは未だ不透明なまま。マックデイドさんの勤務先のクリニックは足踏み状態になっている、と言います。

「マンチェスターとロンドン西部のクリニックではPSPOが実際に出されているのですが、そこの同僚たちは、患者さんの経験も改善され、とても有益だったと話しています。クリニックの前で直に反対派の抗議を受けることもなくなったそうです。この法案も同じよう機能するべきなのです」(マックデイドさん)

バックラッシュを懸念する声も

中には、コロナ禍で自宅などでの中絶を可能にする「遠隔医療」が、イギリスでは長期的に継続されることになったなど、プロチョイス派(中絶の権利を擁護し、母体の選択権を尊重する立場)にポジティブなニュースもあります。

しかしクリニックの責任者には、これが反対派を刺激してしまうのではないかという不安も。

「40 Days for Life」の活動は、今までになく活発かつ高頻度になっています。同団体を支持する人たちは、中絶を思いとどまらせられた人を「Uターン者(turnarounds)」、どのステージの胎芽や胎児も「やがて生まれる子ども(the unborn)」と呼ぶという独自の用語を作りました。

プロチョイス派の団体「プランド・ペアレントフッド」から、反対派に意見を変えたアビー・ジョンソンなどを“中絶反対十字軍”としてもてはやし、イベントで誇らしく起用しています(同氏の多くの発言の真偽が専門家によって問題視されています)。

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マーティンさんは「中絶クリニックを閉鎖させ、クリニックの運営者を中絶反対派に改心することもできた」と言います。

「私たちは辛抱強く祈りを捧げ、笑顔でいるだけ。話を聞いてくれる人に、この問題について話しているだけです。そして考えが一致したということです」

彼は「中絶はビジネスだ」と主張していますが、イギリスでは無料であることが多く、英国妊娠相談サービスを利用した97%の人は無料で医療提供を受けています。マーティンさんはもちろん、税金がこのクリニックのサービスに使われていることをうれしく思っていません。

「40 Days for Life」共同創始者で理事長のショーン・カーニーさんは、年収24万ドル(約3600万円)で、“命を救うための教えを広める”ための有料のトレーニングコースを提供したり、そのための書籍もいくつか出版しています。彼のポッドキャストには、キャンペーンディレクターのスティーヴ・カーレンなどが登場し、中絶が行われることは「史上最大の人権危機 」だと発言しています。

団体はX(旧ツイッター)で「少なくとも505の命を救った」「二つクリニックが永久に閉鎖した」「3人の中絶クリニックのスタッフを改心させた」と投稿。<コスモポリタン イギリス版>はどうやって“祈り”だけで、そのようなことができたのかという質問を団体に送りましたが、返答は得られませんでした。

「95%の中絶経験者がその選択を後悔していない」

マーティンさんは今や、天候に関係なく1カ月以上外に立ち続けることだっていとわないという考えに至ったと言います(この活動で賃金は発生しません)。そして、年月が経つに連れ、意見はより確固としたものになったそうです。

彼は向かいにあるレディングのクリニックを閉鎖させることを目標にしていると、包み隠さず話します。また、“Uターン者”を妊娠危機センターと呼ばれる、政府や国民保健サービスと無関係な反対派の施設に送ったりもしているそう。

BBCパノラマが行った調査によると、こういった施設の約3分の1が、誤解を招く医学的な情報や倫理に反する助言を広めたことが判明しています。

さらにマーティンさんは「助けが必要な女性が来た場合は、グッド・カウンセル・ネットワーク(GNC)の番号を教ることができる」「手当の申請に関するアドバイスを提供することもできる」といったことを主張しています。

GNCは、アイルランド部門が「中絶は自殺を引き起こす/乳がんになる」といった事実無根の主張をソーシャルメディアで発信したことで、非難を受けたことも(マーティンさんはまだ、この主張は事実だと断言しています)。

リプロダクティブ・ライツ(産むか産まないかを自分で決めるなど、生殖に関する権利)について語るときの焦点に、「レイプによる妊娠」があります。

マーティンさんは以前は“無知だったため”レイプは例外と考えていたけれど、今では「どのような理由があっても中絶は正当化されないと気づいた」と考えを変えたとのこと。

その理由について「中絶を受ければ、レイプのトラウマの上に加えて、さらなるトラウマが加わることになる。(子どもを産んで)養子縁組に出すことが解決策だ」と言及。「中絶は誰もがいつか後悔することになる」と力説しています。

心理学者でトラウマ専門家のラビ・ギル博士は、中絶を選択したすべての女性のメンタルヘルスが落ち込むというエビデンスはない、と言います。過去のメンタルヘルスや妊娠が希望してのことだったかどうか、また中絶反対派に心無い声をかけられたかどうか、などによって受ける影響は変わってくると続けました。

「中絶そのものがトラウマ的な影響を与える可能性があると主張することはできますが、中絶は女性の『選択』であり、性的暴行などによって奪われたものであると、認めることが重要です。その選択は、自己肯定感や自信を再び得ていくための重要なステップになるのです」

また(アメリカで暮らす女性を対象にした)調査によると、95%の中絶経験者がその選択を後悔していないと答えたことが示されています。

英国政府の法律の施行の遅延には、保守党のリズ・サッグ貴族院議員やカロライン・ノークス下院議員、労働党のステラ・クリージー議員など、党を越えて懸念が寄せられています。

大多数が中絶が保護されるべき権利であるということを支持しているのにも関わらず、法の施行が遅れていることは問題視するべきです。プロチョイス派の数は1983年以来、2倍以上に増加しています。

同じ期間でイングランドとウェールズでキリスト教を信じる人が減り、過半数を切ったということも、関連していると考えられるでしょう。

本当の「助け」とは

イギリス全国で行われるプロライフ派団体の抗議や“見張り”活動は多種多様です。クリニックに向かう人を妨害する動画などを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

ほかにも、クリニックの利用者をわざと“ママ”と呼ぶ、赤ちゃんの形の人形を配る、クリニックのスタッフに暴言を吐く、(虚偽の情報を含む)生々しい画像イメージのプラカードを見せる、といった行為をがクリニック周辺で行われています。

マックデイドさんは、「クリニックには泣きはらした女性が度々やってきます。(こうやって追い詰めることの)どこが『助け』になっているのでしょうか」と問います。

「ゲートの前で、中絶反対派に接近される利用者を何回も見ました。そのときは大丈夫そうに見えても、一歩クリニックのドアを開けて中に入ると、渡されたパンフレットを見てしまって泣き出すのです」

パンフレットには、中絶をせずに反対派が運営する“本物”の女性センターに行くことを促す文章が書いてあります。

内務省の広報担当者は、抗議活動の対応方法は警察の管轄にあたる問題であり、警察はそれぞれの場合において、人々が抗議する権利を慎重に検討し、脅迫や嫌がらせを恐れることなく合法的な業務を遂行する他の人々の権利とのバランスを考慮しなければならない、と言います。

「40 Days for Life」といった団体が行っている行為に適応されるかは明言しませんでしたが「1986年に制定された公共秩序法では、嫌がらせや恐怖、苦痛を引き起こす可能性のある画像や言葉を表示することは違法である」とも。

2023年11月時点で、政府はバッファーゾーンの制定について協議を開始することを約束していますが、施行されるまでにはまだ時間がかかる見通しです。そもそも、バッファーゾーンの制定だけでは十分でなく、中絶自体を合法化させることが重要だとマックデイドさんは補足改めて強調をしました。

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問われる民主主義の形

労働党のクリージー議員は「新しい法律を施行するには、それに伴うガイダンスが必要になることがある」と言及。

「しかしこの問題の場合は、PSPOがすでに事実上のバッファーゾーンとして機能しています。つまり、どのように運営するのかの例がすでにあるのです」

クリージー議員バッファーゾーンがすでに設置されているロンドン・イーリングのクリニックの成功例を挙げました。その施設のスタッフは、PSPOの設置後に環境が大きく改善したと言っています。

「多くのガイダンスに加え、この法案が有益であるという事例も、すでにたくさんあります。遅延している理由がわかりません」

これまで王室の承認後に法を施行するときの流れと比べても、これほど施行が遅れ、コミュニケーションが欠落している状況は過去にはなかった、とクリージー議員は言います。政府が意図的に引きずっているのではないかと指摘し、このプロセスが長引くことで、さらに多くの人がハラスメントのリスクにさらされてしまう、とも。

「イギリスの民主主義の現状を疑問視せざるを得ない問題です。そもそもギリギリの可決でもなく、圧勝で可決した法案だったことも忘れてはいけません」

“150メートル”が守れるもの

「言論の自由」を巡る対立も、この問題に関連してくるでしょう。クリージー議員は「中絶に反対する権利は擁護する」一方で、「中絶の選択をした人に何かを言う権利を擁護できない」と述べています。

「思想の取り締まり」について危惧する人も一定数存在しています。マーティンさんは、別の反対派団体(マーチ・フォー・ライフUK)のディレクター、イザベル・ヴォーン・スプルースさんが、バーミンガムのクリニックの外での抗議で、「祈りは違法だ」と言われ、逮捕された件について指摘。

スプルースさんは中絶反対のサインなどはもたず、違法な行為は行っていないと主張し、後に警察は謝罪しています。マーティンさんも、一般の人々から暴言などの被害を受けたと言います。

「(法整備が進んだことで)カードなしで静か立つことしかできなかったとしても、この活動は続けます」とマーティンさん。

「法を破りたくはありません。しかし、バッファーゾーンが施行されたらの何か抜け道を見つける必要があります」

今後、中絶反対を掲げる団体の活動は、オンライン中心になっていくことが予想されるでしょう。すでに中絶にまつわる多くの誤った情報が溢れているにも関わらず、より増えていくことを危惧します。

マーティンさんら反対派グループと時間を過ごしてわかることは、どんなに悪影響があったとしても、彼らは「自分たちの行動が正しい」「人々の役に立つ」と熱心に信じていると言うこと。

“平和”な活動と言いながら虚偽の情報を広げたり、中絶をすると“地獄行き”だと人に言うことは、叫んだり、行く手を阻んだりするような行為と同じくらい陰湿なことだと自覚があるのかは分かりません。 彼らは「神の言葉を広めている」と信じており、自分たちが特別な存在だと思っているのでしょう。

おそらく、どちら側も意見を変えることそうそうないでしょう。中絶の選択肢を尊重するかどうかは、永遠に決着のつかない論争になるかもしれません。

しかし、150メートルのバッファーゾーンが、両者の間にスペースを作るかもしれません。そうすれば少なくとも、中絶を必要とする人が、論争という“銃撃戦”に巻き込まれなくなるでしょう。


※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。
Translation: 佐立武士
COSMOPOLITAN UK