ロシアがウクライナへ軍事侵攻を開始(2022年2月24日)してから、一年が経過しました。故郷ウクライナから離れた人もいれば、中には現在もウクライナに留まり生活を続けている人も。

そこで本記事では、現在ウクライナに住んでいるユリヤ・スポリシュ博士と、イギリスへ避難したインナ・ゴルジェンコさんへのインタビューを<コスモポリタン イギリス版>よりお届けします。彼女たちが経験した壮絶な一年、そして現在の心境とは。

語り:ユリヤ・スポリシュ博士本人

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Yuliya Sporysh
非営利団体「Girls」の創設者兼CEOであるユリヤ・スポリシュ博士。パートナーと3人の子どもとともに、ウクライナのキエフから25kmほど離れたイルピンに在住。彼女のチームは、運転免許や資格の取得など、女性たちが必要不可欠なスキルを取得するサポートを実施。また、衛生用品の配布や、心の健康を保つことの重要性や性別の固定観念を見直すキャンペーンを行っている。

安否確認から始まる日々

私の一日は、従業員60人の安否確認から始まります。その日の業務についての確認もしますが、最も優先して確認するのは無事であること。そして、夜間に異常はなかったかということ。電力供給が不安定なため、返事が来るまでに時間がかかることもあります。

「Girls」のチームはウクライナ全土に散らばっており、私たちの大きなミッションとして、支援組織の手がまだ行き届いていない地域への支援を届けることに注力しています。

戦争が始まってから1年が経ち、私たちはどうにか“新しい日常”に適応してきました。最初の1カ月ほどは完全に混乱していましたが、少し落ち着いてからは「仕事に戻ろう」「家族の面倒を見よう」、そして個人的には一番難しいことだと考えていますが、「自分をケアしよう」と自分に言い聞かせるようになりました。

自分自身をケアできなければ、今を生き抜くチャンスはないのです。これは、私自身も学ばなければならないし、他の人たちにも伝えていきたいと感じていることです。働きすぎによるひどい腰痛を患い、ほとんど動けなかったことがありました。これによって、「時には人を頼って任せてもいいんだ」という教訓になりました。

「予定」は意味を持たない

今のウクライナでは、電気やインターネットが1日に数時間しか使えないことに慣れなければなりませんし、まったく使えないこともあります。

電力を使っての料理や掃除、仕事などをする時間は2~3時間しかなく、常に前線からの知らせに神経をとがらせる必要があります。夜間の外出禁止令もあり、ほとんどの地域で午後10時から0時から始まり、通常は午前5時に終わります。

私たちの生活において「予定」は意味を持ちません。スケジュールを立てようとしても、いつ爆撃や攻撃があるかわからないため、シェルターに逃げ込んだり車に飛び乗って逃げる準備をしておかなくてはいけないのです。ウクライナのどの家庭でも、緊急事態に備えて、ドアの脇に荷物をまとめて置いています。

DVや性暴力の事例が増加

「Girls」のプロジェクトでは、女性たちが危険から逃れるための手段の一つとするために車の運転方法を教えています。多くの男性たちが軍隊に入っているため、日中に使われていない自家用車があるのが現状。運転技術は、逃げるためにも有効ですが、たとえば都心から離れたところに住んでいる人たちにとっては、仕事を得たり、病院に行くためにも必要です。

また私たちは、女性たちのメンタルヘルスのサポートや、女性に対する差別や加害などにも向き合っています。

実はウクライナでは、DVや性暴力の事例が増加しています。戦渦で緊張感やストレスが高まった結果、身近な人に対して暴力を振るう人が増えていると言われています。ところが、被害を受けた多くの女性たちは、戦渦であるという事実を考慮し、警察などに助けを求めようとしないのが現状です。そのため、私たちは警察に届け出ることの重要性を伝え、法的・心理的なサポートの提供を進めています。

さまざまな悩みを抱えた人から相談が寄せられるなか、妊娠中の女性からの相談も。家を破壊され将来に希望を持てず、孤独で仕事もないため、中絶を希望していたのです。最終的に「Girls」が万全なサポートをし、彼女は出産を決意。先日、無事に子どもが生まれました。

語り:インナ・ゴルジェンコさん本人

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Inna Gordiienko
インナ・ゴルジェンコさんは、夫とコーギーのクーパーと一緒に英ウェストサセックス州リトルハンプトンに住んで1年余り。彼女は心理療法士になるためのトレーニングを受けながら、イギリスに避難してきたウクライナ人を支援する活動を行っている。

一時的な避難のはずが定住することに

この1年は、私の人生で最もつらいものでした。住む場所から外見まで、すべてが変わったんです。

私は元々、イギリス人の夫とキエフに住んでいました。家族や友人に囲まれ、仕事にも恵まれた、幸せな生活でした。

しかし、戦争が激化する前にウクライナを離れるようイギリス政府から要請があり、離れざるを得ませんでした。イギリスのみならず、カナダ、オーストラリア、イギリスなど多くのイギリス連邦諸国が、各国の国民に対して一定の期日までにウクライナを離れることを要請しました。

イギリスのリトルハンプトンにはすでに家を持っていたため、戦争が始まるほぼ1週間前に到着し、2022年2月から定住。持ち家ではありましたが「我が家」という感じではありませんでした。一時的なものだろうと思い、2週間ほどの着替えしか持ってきませんでした。1年経った今でも、まだ私たちはここにいて、終わりが見えないという事実を受け入れられずにいます。

イギリスで戦争を体験する心境

イギリスに来た当初、私はスマホに張りついていました。ウクライナに住む大切な人たちにメッセージを送ったり、SNSで無事を確認したり、ニュースサイトで常に情報を探していたり。食事や睡眠、シャワーを浴びることを忘れてしまうほど必死でした。そんな生活だったので、昨年3月に何をしていたかと聞かれても、正直なところ思い出せません。

私自身、仕事の関係で2015年から2017年に紛争地域におり、砲撃を経験したことがあります。その仕事を辞め安全な地域に戻ったとき、「友人や家族が誰もあんな目に遭わないように」と願ったことを鮮明に覚えています。だから、戦争のニュースで目が覚めたとき、私はこの世界に怒りを感じました。

あるとき、私の母が住んでいるところから200メートルほど離れたところで襲撃がありました。運よく母は家にいなかったのですが、数時間後に仕事を控えているなかで「自分を取り戻さなければならない」という状況が絶えませんでした。

こういったことから、ウクライナ難民の英国への受け入れを支援する仕事を全うするためにも、 今は、戦争に関する情報を見ることはできるだけ減らしています。

避難先の国の負担になりたくないと涙する人も

支援活動を仕事にしているため、仕事を続けることが故郷への恩返しになっているという実感を持てるようになりました。私が関わる難民の人々の約9割は女性や若者たちで、仕事を探したり、医療制度を利用するたための手助けが必要な人々です。

イギリスの医療システムはウクライナとは異なるため、クリニックを予約をしても何週間も待たされることがあることを知らない人もいました。その人はウクライナからの難民が負担をかけているからだと思い込んでしまい、私がシステムの違いを説明すると泣き出してしまったのです。彼女は自分がイギリスにとって負担になることをとても恐れていたのだそう。

故郷を捨てたわけじゃない

実は、ウクライナに2回ほど戻りました。一度目は昨年の6月、ポーランドのワルシャワに飛び、そこから電車でキエフに向かいました。とても怖かったことを覚えています。首都キエフの道路は閑散としていて違和感を感じましたが、愛する人々と再び会うことができたのは本当にうれしかったです。

友人や家族が、戦争の中で生きることに適応しすぎているのではないか…と、心配になることがあります。

最初の頃は、警報が鳴ったり砲撃音が聞こえたりすると、みんな地下室やシェルターに逃げ込んだそうです。今ではすっかり慣れてしまい、耳をすましてニュースを調べるだけで、襲撃が離れた場所で起こっていることが確認できれば、気にすることもない。ただ、自分たちがやっていたこと、やるべきことを続けるだけです。

また、私の母を含め高齢の方々に、「故郷を離れることは悪いことではない」「安全を第一に考えてほしい」と説明するのは、とても難しいことです。彼らはお金を貯めてマイホームを購入し、快適な場所を手に入れようと人生をかけてきた人たちです。突然、その居場所から追い出され途方に暮れているのです。

イギリスに避難してきたウクライナ人の多くは、故郷の安全が確認できればすぐに帰国したいという人ばかりです。戦争が始まる前まで、ウクライナでの私たちの生活は完璧なものでした。私たちは、故郷を捨てたわけではありません。

※この翻訳は抄訳です。
Translation: ARI
COSMOPOLITAN UK