個人の性的指向(セクシャリティ)や性自認(ジェンダー・アイデンティティ)を変えることを目的とした行為を意味する、「転向療法(コンバージョン・セラピー)」。

一方で、“治療”と称される心理的・精神的介入には科学的根拠がないため、アメリカの一部の州やカナダ、フランス、ドイツなどで禁止や違法としています。ただし、この禁止に向けた動きはつい最近のこと。

イギリスでは2022年3月31日に政府が転向療法の禁止法案を出したものの、トランスジェンダーの人々が対象外とされたことから多くの批判を浴びました。そしてついに、2023年1月、この禁止法案にトランスジェンダーの人々も含まれるように変更されることが政府によって発表されました。

このような是正の動きは歓迎されることですが、イギリスではつい最近まで、転向療法を行うための施設が存在してたことも事実。

そこで本記事では、転向療法を経験した当事者たちの体験談から、この“治療”と称された行為による影響を解説。 自身もLGBTQ+当事者であるというモリー・グリーブスさんの視点も踏まえ、イギリスについ最近まで存在していた転向療法の実態を<コスモポリタン イギリス版>から紹介します。

文:モリー・グリーブス(ジャーナリスト)

知らぬ間に「転向療法」を強要され…

半年間の合宿型プログラムに参加したハンナさん(仮名)。彼女が(そうとは知らずに)転向療法を受けるプログラムに参加した当初の目的は、摂食障害の治療のためだったと言います。

敬虔なクリスチャンの家庭に育ったハンナさんは、信仰に基づく奉仕活動が自分を助けてくれると信じ、良くなりたいという思いから、指示されたことはすべてこなしていたそう。

ところが、スタッフが指示するルールは摂食障害とは関係のないものばかり。彼女は疑念を抱き始めます。実は、ハンナさんは自分が同性愛者だと告げてしまったため、あらゆる治療プログラムはセクシャリティに集中していたのです。

スタッフからは「体に潜む悪魔の匂いがする」と言われたり、子宮に手を当てて祈る外部の訪問者からは「異性愛者になって悔い改めなければ、将来子どもは望めない」と告げられたりしたこともありました。

次第に、この言葉を信じるようになっていき、自分の中の“ぞっとする部分”がなくなるように、毎日神に祈り始めたハンナさん。そして彼女自身も、自分のセクシャリティが「“病気”なのではないか」と思い込むようになったと言います。

つい最近まで存在していた転向療法

ハンナさんが初めて施設「ビリーフハウス」(仮名)を訪れたのは、およそ15年前のこと。それにもかかわらず、この半年間の無料プログラムは、つい最近まで参加者を受け入れていたと言います。

個人の性的指向を変えることを目的としたこのセラピーは、欧米では「転向療法(コンバージョン・セラピー)」という名で知られています。

イギリスのLGBTQ+慈善団体「ストーンウォール」が報告したレポートによれば、LGBTQ+当事者の20人に1人が、ハンナさんと同じようなプログラムを強要されたことがあると回答。また、トランスジェンダーの5人に1人は、なんらかのヘルスケアを受ける際に、自分の性自認を否定されるようなプログラムへの参加を強要された経験があるという結果もあります。

NHS(イギリス国民保健サービス)イングランド、国連(UN)、英国心理学会(BPS)は、2015年に転向療法には有害な影響があるとして非難を表明。2018年には、イギリス政府も転向療法を禁止する方針を明らかにしていました。

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Mark Kerrison//Getty Images

信頼していた人から傷つけられた日々

かつてハンナさんは「あなたのセクシュアリティは悪魔によってもたらされた」「あなたが女性に“執着”するようになったのは、幼い頃に母親が出て行ったことが原因だ」などと、毎日のように言われ続けていました。

しかも、その言葉を投げかけたのは、彼女が信頼を寄せていた人々。大人になった彼女は、若くて傷つきやすかった自分とは“全くの別人”になったように感じているそう。

「自分自身が罪深い存在だから“矯正”が必要なのだと言われました。そう告げられたことにもっとも傷つき、苦痛を感じ、打ちのめされたような気分になりました。恥ずかしさで頭がいっぱいになり、つい最近まで有意義な人間関係を築けなかったほどです。これは人生の大きな痛手です」

転向療法による被害者の51%の人々と同様、ハンナさんに“治療”を施したのも宗教団体でした。こうした種の転向療法には祈りや「エクソシズム(悪魔払いの儀式)」が含まれるようですが、団体の多くはエクソシズムの実施を否定する場合も少なくありません。

このセラピーの起源は、同性愛が“精神疾患”とみなされていた19世紀。当時はショック療法や化学的去勢、ロボトミー(精神外科の一種)が施されることもあったと言います。今日では、こうした“精神治療”は行われていないものの、転向療法についてはつい最近まで使われていました。

メンタルヘルスの慈善団体「マインド」の平等性向上責任者を務めるマルセル・ヴィジェさんは、その実情について下記のように説明します。

「あらゆるタイプの転向療法は、性的指向に関する不正確かつ時代遅れの仮説に基づいています。異性愛者ではない人々には“矯正”が必要だという考え方は、『同性愛嫌悪の有害なレトリック』を煽り、個人のメンタルヘルスを悪化させるだけです。これはメンタルヘルスの治療とは真逆の考えです」

若者の精神に影響を与える

30代前半のゲイ男性であるハリーさん(仮名)も、転向療法を経験した一人です。

ハリーさんの携帯電話にあったメールを見て、息子がゲイだと知った両親は彼を車に押し込むようにして教会で知り合った男性のもとへ。その男性は診療室のような部屋にハリーさんを招き入れると、向き合って座り、諭すように話し始めたといいます。

「君は本当のゲイというわけではない、とその人は言いました。その時、私はまだ14歳でした」と、ハリーさん。教会の聖職者だったその男性は、「君の中には悪霊が棲んでいる」と彼に告げたそう。信心深い家庭に育ったハリーさんはその言葉を信じ、男性がハリーさんの胸に手を当て同性愛を“押し出そう”としている間も、恐怖を感じながら座っていたそうです。

ハリーさんは当時をこう回想します。

「聖職者はその悪霊を追い出せば、同性愛も一緒に消えてなくなると考えていたんです。私はそれを見て、『自分は本当にゲイなのか? それとも別の何かのせいなのだろうか』と、幼心に疑問を覚えました」

LGBTQ+当事者たちは、性自認や性的指向に対する偏見や差別にあう人が多く、統計的に見てもメンタルヘルスの不調に悩まされやすいという結果も。そして、転向療法を受けた人の多くが驚くほど傷つきやすく、自分が「間違っている」と思い込んでしまう傾向があるそう。

また、ハリーさんのように、愛する人々から“治ってほしい”というプレッシャーを受け、まるで他の選択肢が閉ざされたように感じる人も多いと言います。

自宅に戻ってしばらくの間は落ち着いていたというハリーさん。しかし、初めて聖職者の家を訪れた2年後、再び彼の元へ送り返されることに。

「その前に、私は家から逃げ出していたんです。当時、親からは『もう愛せない』と言われ、精神的なダメージを受けていました」

「これが発端となり、サバイバルモード(逃走反応)に入りました。強い破壊衝動に駆られ、それがますますトラウマを生んで…。すべてが壊れるしかなくなって、そしてようやくおさまったんです」

“選択”できるという錯覚

イギリスのキリスト教組織「コア・イシュー・トラスト(Core Issues Trust)」のYouTubeなどのSNS(Twitterなど一部は凍結済み)では、レインボーカラーで「X」と描かれた黄色のTシャツを着た笑顔の人々が目に入ります。まるでチャリティ団体のような投稿に映っているのは、“組織が救った人々”だとされています。

コア・イシュー・トラストは公式サイト上で、「同性愛の問題を抱え、性的嗜好や性表現の変化を自ら求める男女を支援する非営利キリスト教ミニストリー(ministry=奉仕)」と自らを定義し、自分たちは転向療法士ではないと主張。

「転向療法」という言葉と距離を置く理由は、「同性愛が実現可能な性表現として正常だという思想を、受け入れない個人や団体を指す蔑称だから」だと言い、「LGBTQ+のロビー活動の場合、同性愛や同性愛者の様式を捨てたいという人を支持する観点は容認されません。私たちはこれと違って、LGBTQ+の尊厳を支持しています」ともコメントしています。

イギリスの平等省は2021年の取材当初、「転向療法」という用語を一切使わず別の名称を用いる組織の存在は、転向療法の禁止を妨げる主な要因となっていると説明しています。

「転向療法は嫌悪されるべき行為であり、英国政府は禁止に向けた対策を講じていきます。私たちは、このセラピーの対象者がどのような施術を受けたかを特定できるよう、調査に全力を尽くしています。転向療法を廃止する計画概要は、追って説明する予定です」

転向療法について議論がなされるとき、「成人が、自らの意思でこうしたプログラムを受けたいと思えば、それは許容されるべき」という意見があがることもあります。しかしながら、同性愛者だからといって親に見放されたり、非難や排斥を受ける社会において、異性愛に転向することは(それがもしも可能だったとしても)本当に自由な選択と言えるのでしょうか。

ハンナさんは“厳密に言えば”、そこで何が行われているかを理解して、その上で滞在型プログラムに参加した1人。ですが同時に、それが人生でもっとも悔やまれる選択だったとも述べています。

「なぜ当事者たちが、(意思に反して)プログラムを受けつづけるのか理解できないという人もいるでしょう。ですがたいていの場合、このプログラムの考えや信念は、家族、あるいは私のように、教会によって何年間も教え込まれてきたもの。セラピーで交わされるような会話を毎週のように教会で聞いて育つので、プログラムに参加する頃にはすっかりこうした考えが植えつけられているというわけです」

ハリーさんはまだ子どもだった頃に転向療法を経験したため、当時は自らの意思で選択する術がありませんでした。ですが彼の話を聞けば、愛する人からのプレッシャーは、人々をこうした“治療”に向かわせる大きな要因であることがわかります。

「子どもの私が欲しかったのは、両親の愛だけです。そのことを母もわかっていたので、私が治療を受けて“矯正”されたら愛してくれると言ったんです」

「私が生まれるずっと前から、両親も『同性愛は間違っている』、『同性愛は悪魔だ』と洗脳されてきました。皆がしっかりした知識を持ってこの考えにに立ち向かえるわけではありません。たとえ大人であっても、それは変わりません。こうした行為は毒を盛っているようなもの。人々に問題を与え、同時に『我々がそれを解決します』と言っているのです」

前に進むために

自らを「精神の教育者でヒーラー」と称するハリーさん。彼のInstagramを見ると、北アイルランドの美しい森に囲まれながら、犬の散歩に多くの時間を費やしている様子が伺え、その回復への献身的な取り組みに胸を打たれます。

けれども、ここに至るまでにはかなりの努力が必要だったそう。

「私は発達段階の年齢で心に傷を負いました。悪魔への恐怖体験から何年間も夜驚症に悩まされ、20代になってようやく、自分がされたことを整理できるようになりました」

27歳で自殺願望が芽生え、心を癒す治療を受け始めたのは、こうした精神衰弱に陥った直後だったと言います。そして転機が訪れたのは数年前、資格を持つセラピストとの出会いでした。

「そのセラピストが私がされたことは間違っていたと、認めてくれたんです。こうして私は開放され、すべてを表現できるようになった気がします。あの部屋で恐怖に怯えていた14歳の自分が、自分の体に寄り添えるようになり、泣いたり、表に出せなかった感情を表現できるようになったりしたんです」

レインボープライドなど、lgbtq+に関する世界規模の行事も広がっているものの、人々の偏見は根深く、イギリスではいまだに転向療法(コンバージョン・セラピー)と呼ばれる矯正治療を行う施設もあるのが現状です。本記事では転向療法経験者の話をもとに、この治療と称された行為が当事者に与える影響を解説。
MARTINA LANG | JESSICA LOCKETT

真の解決策は「教育」

転向療法を違法とするべく、この数年で多数の心理学者が政府に早急な対応を求めました。英国心理学会、英国心理療法委員会、英国カウンセリング協会といったさまざまな組織も、この行為が「非倫理的で害を及ぼす懸念がある」ことを認識し、了解覚書を提出したのです。

このように政府に言明の実行を求めていたのは、心理学者だけではありません。2017年にはイングランド国教会が転向療法を非難しており、英国ヒューマニズム協会やストーンウォールなどの社会正義団体も、ずっと以前から転向療法の禁止を訴えていました。

熟練した認定セラピストの助けを得て、ハンナさんとハリーさんは自己受容の道へ。自分たちの経験を、人助けに活かそうとしているところだそう。

現在のハンナさんはパートナーの女性と幸せな関係を築き、カウンセラーになるための勉強中。「すぐれたカウンセリングの価値だけでなく、何かを意図して強要されたカウンセリングがいかに人を傷つけるかということもわかっています」と、ハンナさんは話します。

またハリーさんは、転向療法の体験が間違っていたと認めてもらえたことが、治癒能力に大きく影響したとコメント。現在は精神面を支える個別のメンタリングを実施し、「自分の幸せを見つけながら、他の人の幸せも見つけられるんです」と力強く語ります。

とはいえ、転向療法団体の多くは、宗教団体やメンタルヘルス施設を装っているのが現状。そのため、こうした行為は決して世の中から根絶しないのではないかと懸念する人々も多くいます。

ストーンウォールのシニア政策官を務めるジェシカ・ホールデンさんは、「真の解決策は教育にある」と考えます。

「学校などの教育現場で、性自認や性的指向などについて学べる時間を持つことが重要です。LGBTQ+の当事者たちは、社会の一部であることを子どもたちに教えること。幼い頃から違いを受け入れる姿勢を促すこと。これには教育の役割が大きく影響するんです」

転向療法は、こういった教育が十分にされていない場で広がっていきます。ハンナさんの教会、ハリーさんの両親、彼らの教師…もし途中で1人でも立ち止まり声を上げていれば、状況は変わっていたかもしれません。

レインボープライドなど、lgbtq+に関する世界規模の行事も広がっているものの、人々の偏見は根深く、イギリスではいまだに転向療法(コンバージョン・セラピー)と呼ばれる矯正治療を行う施設もあるのが現状です。本記事では転向療法経験者の話をもとに、この治療と称された行為が当事者に与える影響を解説。
MARTINA LANG | JESSICA LOCKETT

「我々は進歩的な国だ」とイギリス人は主張しますが、プライドパレードの歓声の陰には、密やかながらも危険な少数派が潜んでいます。彼らを前にすると、私のような当事者たちは、自分が“普通ではない”のだと感じさせられることもあります。

今の私は、ハンナさんが初めてビリーフハウスに送られたときと同じ年齢(2021年当時)。ありがたいことに、LGBTQ+当事者としての私の経験は恵まれたもので、「女性に惹かれるのはおかしい」と直接言われることは一切ありませんでした。それにもかかわらず、私は自身のセクシャリティへの自己嫌悪や羞恥心といまだに戦い続けています。

でもその点で、自分は孤独ではないということもわかっています。もし私がクィアのアイデンティティを学校で学び、周りの子どもたちも同性愛は悪いことではないと学んでいたら、私は私であることをあまり恐れず、今より幸せだったのかもしれません。

転向療法は、不寛容な文化のしるし。そこではせいぜい、公共の場でおそるおそるパートナーと手をつなぐことが精一杯です。最悪の場合は家族から見放され、暴力を受け、自分たちは異常者なのだと思い込まされます。私たちの住むこの世界は、表面的には寛容と言えるでしょう。ですが、もう少し掘り下げてみると、寛容な世界にはほど遠いことは明らかなのです。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation: Mari Watanabe(Office Miyazaki Inc.)
COSMOPOLITAN UK