※本記事は、『ザ・クラウン』シーズン6のネタバレを含みます
『ザ・クラウン』シーズン6の第1話には、ダイアナ元妃(エリザベス・デビッキ)とドディ・アル・ファイド(ハリド・アブダラ)が、それぞれの父親であるジョン・スペンサーとモハメド・アルファイドとの複雑な関係について話し合うシーンが登場します。
そこでは、ダイアナはドディに父について次のように話しています。
「父親に愛されているのね。私は気にもされなかった。必死で気を引いた。バレリーナのマネもした。見てもくれないから、ピアノまで練習した。毎週寮から手紙を書いたし、彼のシャツにアイロンをかけてあげて、ケーキも焼いてあげて、皇太子と結婚までした」
「自慢の娘と思ってもらうために、彼に気付いてもらうためなら何でもした。私の父とあなたの父は友人だったのだから、子どもに関心を持つことをあなたの父親から学べたはず」
ここからは、ダイアナ元妃とジョン・スペンサーは実際どんな関係だったのか、そしてジョンとモハメド・アルファイドは本当に友人だったのかなど、ダイアナ元妃の父親について知っておくべきことをお届けします。
貴族出身
ジョンは1924年、第7代スペンサー伯爵アルバート・スペンサーと、その夫人シンシア・ハミルトンの間に生まれ、誕生と同時に「オルソープ子爵」の称号が与えられました。ゴッドファーザーはエリザベス女王の伯父であり、ウィンザー公爵としても知られるエドワード8世で、英国王室と近しい名家で育ちます。
イートン校とサンドハースト王立陸軍士官学校で学び(どちらもウィリアム王子がのちに通った学校)、父アルバート・スペンサーの死去にともない、1975年に第8代スペンサー伯爵位を継承しました。なお、現在の第9代スペンサー伯爵は、ダイアナ元妃の弟であるチャールズ・スペンサー。
5人の子をもうけた
ジョン・スペンサーは1954年にフランシス・ルース・ロシュと結婚し、ウェストミンスター寺院で行われた結婚式には、エリザベス女王をはじめとするロイヤルも出席。2人は、セーラ(1955年生まれ)、ジェーン(1957年生まれ)、ジョン(生後10時間で他界)、のちのプリンセスであるダイアナ(1961年生まれ)、チャールズ(1964年生まれ)という5人の子どもをもうけました。
ダイアナ元妃の弟であるチャールズ・スペンサーは2018年、X(旧Twitter)で次のように投稿しています。
「彼は穏やかで、親切で、気取らない人でした。愛情深い父親であり、あらゆる背景を持つ人々との出会いを楽しみ、どんな人に対しても敬意を持って接していました」
エリザベス女王の侍従だった
第二次世界大戦後は、南オーストラリア総督の補佐官を務めていたジョン。その後、1950年から1952年まではジョージ6世の侍従として、そして1952年から1954年まではエリザベス2世の侍従として仕えた経験もあるそう。
1976年に再婚
ジョンとフランシスは1969年に離婚しますが、フランシスはその後すぐにピーター・シャンド・キッドと再婚。
セーラとジェーンはすでにボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に入っていましたが、ジョンが子どもたちの親権を勝ち取り、ダイアナは1975年から父親と弟チャールズと一緒にオルソープ邸で暮らし始めます。
チャールズは<サンデー・タイムズ>紙に対して次のように話しています。
「ダイアナと私には2人の姉がいるのですが、姉たちは寄宿学校に入っていたため、ダイアナと私はよく一緒にいました。父は物静かでいつも愛情を注いでくれましたが、母は子育てには向いていませんでした。彼女が悪いわけではなく、ただできなかっただけなのです。彼女は他の誰かと恋に落ちて夢中になっていました」
翌1976年、ジョンはダートマス伯爵夫人レインと再婚。ダイアナ元妃と継母レインは不仲だったと伝えられています。
娘のロイヤルウエディングでバージンロードを歩いた
ジョンは(ダイアナ元妃の)婚約のニュースが出た後に、「彼女(ダイアナ元妃)がもし普通の男性と結婚していたら、私は彼女と義理の息子とともに、オルソープの敷地内で暮らせたのにと思うときもあります」と語る場面も。
ジョンは、1992年3月29日に68歳で他界しました。
From TOWN&COUNTRY via 25ans