「リベンジポルノ」とは、性的な描写を含む写真、動画、文言をインターネットなどに流し、相手に対する脅迫やリベンジ(復讐・仕返し)などのいやがらせを行うこと。

家庭内暴力(DV)のサバイバーであるナターシャ・サンダースさん(31歳)は、実際に元恋人からに“親密な写真”をもとに脅された経験をもちます。そんな自身の体験を<コスモポリタン イギリス版>に告白し、自身の精神状態に与えた影響やそんな環境から脱するまでの道のりを語りました。

※記事には、性暴力についての記述があります。心身への影響を懸念される方は、閲覧にご注意ください。

語り:ナターシャ・サンダース

元カレのジョンがスマホのカメラを私に向けるのを見て、胃が痛くなった日のことを憶えています。彼が何度も何度もボタンをタップする音が聞こえました。彼が私の“親密な写真”を撮るのは、これが初めてではありません。

でも交際から半年が経った頃から、状況は少しずつ変化したのです。彼のためにポーズをとることも、彼に命じられた露出度の高い女子高生の服を着ることも、嫌でたまりませんでした。でも、彼の要求に従わなければ、地獄を見るのは明らかでした。

自信をもたせてくれる存在だった

2006年、私はジョンに馬場(乗馬をする場所)で初めて会いました。当時私は17歳。乗馬が好きな女の子でした。彼は私から馬を買いたいと言ってきたのです。

彼はとにかくマメに連絡してきました。「毎日大量にメールを送ってくるなんて、おかしいよ」と友人たちに言われながらも、彼が私に関心を注いでいることがうれしかったのです。自分の家庭環境はすごくいいわけでもなかったので、年上の男性(ジョンは14歳年上)から「きれいだね」と言われ、「大切にするよ」と言われたことは、とても刺激的でした。

彼には娘もいて、家や車ももっていて、すべてが大人に見えたんです。交際当初は、激動ではありながらも関係は順調でした。合意の上ですばらしいセックスをして、彼は私に「君は今まで付き合った中で最高の人だ」と言いました。彼は私に自信をもたせてくれる存在だったのです。

そんな彼から「“親密な写真”を撮影する」というアイデアを提案されたとき、私は抵抗なくその提案にのったのです。ジョンのためにポーズを取ったり、自分から露出度の高い写真を送りました。そして、彼を喜ばせることができて心から嬉しく思っていました。

同棲後から束縛がエスカレートし…

出会ってからわずか数カ月後。私の18歳の誕生日の直後に、ジョンは「一緒に暮らそう」と言い出しました。そして同棲をきっかけに、彼は私が(私の)友達と会うことを禁止したのです。

「夜遊びに行く必要があるのか! 」と唇を尖らせながら言うのです。「夜遊びなんて、セックスしたい奴がするものだ。お前は俺と一緒にいるんだ。そんなことは許さない」というのが彼の主張でした。

さらに、彼は私に携帯番号の変更を強要。私が彼の要求に反抗しようとすると、決まって口論になっていました。そして、私の日々の行動やスケジュールも管理するようにも。

私は働くことも許されず(「君の面倒は僕が見るよ」というのが彼の口癖でした)、一日の大半を家で過ごすしかありませんでした。徐々に私の人生は奪われ、2人の関係からポジティブな要素が消え去り、私はもう身動きがとれないと感じました。

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Natasha Saunders

交際開始から半年ほどたったある日、私はジョンに「地元の駅でママに会いたいから外出したい」と言いました。これが事態を悪化させるきっかけとなったのです。彼は「そんなことをする必要はない」と即答。私は「犬を連れて行くから(ほかの男と会うつもりはないという意味で、彼が安心すると思いそう言いました)」と懇願しましたが、彼は断固として許可しませんでした。

そしてジョンは「“親密な写真”を家族に送るぞ」と言い、私はその場で固まってしまったのです。陳腐な表現ですが「バケツに入った冷水を頭からかぶったような感覚」でした。

自分の裸を親に見られるなんてありえない。学生時代の友人や家族、元同僚など、私の連絡先に載っている人全員に写真を送ると言われたこともあります。「それで返事がきたら、誰と関係があったかもわかるしね」とも。

出会い系サイトに写真を掲載

私はどうしていいかわからず、ジョンが望むことに一生懸命に応じました。しかし、事態はさらに悪化していきます。

なんと彼が出会い系サイトに私の写真を勝手に掲載し、ほかの女性を誘って3Pをしようとしていることがわかりました。こんなことに同意したことは、一度もありませんでした。

2008年、私は第一子を妊娠。息子が生まれてから、ジョンは私をレイプするようになりました。

最初のレイプは出産のわずか数時間後のこと。その後も定期的にレイプされるようになりましたが、手が見知らぬ人であるとか、暗い路地で突然襲われてという状況ではなく自分のパートナーだったので、「レイプされている」という認識は私自身、最初はありませんでした。

行為の最中に「大嫌い 」と言うこともありましたが、彼はけっしてやめようとはしませんでした。そして彼は、レイプの様子をも撮影するようになったのです。

私の世界はますます歪み、息苦しくなっていきました。私が受けている虐待や「性的な写真やビデオを共有する」というジョンからの脅迫を警察に話すべきかと悩みましたが、「そんなことはできない」と思い込んでしまっていたのです。想像するだけで、恥じらいが体の隅々まで行き渡りました。

自分で撮った写真もあったので、自己責任であったり、ふしだらな女(Slut)思われてしまうことが怖かったのです。もし私が横たわり、両手をついてレイプされている映像が流出した場合、彼の言い分と私の言い分が対立することになります。あることないこと言われ、自信や自分への信頼もズタズタにされます。

でも、別れることもできませんでした。ジョンには、もし私が別れると言ったとしたら、ジョン自身と子どもたち(その後、私たちは娘ももうけました)を連れて湖に車で突っ込むと脅されていたからです。

母の目の前で殴られて気づいたこと

長い年月が過ぎ、やっと「目が覚めた」と感じたのは、交際を始めて8年が過ぎたころでした。

ある日の午後、実母と台所に座っていたとき、母は私におすすめの映画を尋ねました。私は「『悪魔の棲む家』かな? 」と言い、冗談交じりに俳優のライアン・レイノルズが映画の中でトップレスになっていることを口にしたのです。

この会話を聞いたジョンは真っ赤になって、私の腕を何度も殴り始めました。母は驚き、凍りつきました。当時は知りませんでしたが、母もまた虐待的な関係に陥っており、長年にわたってメンタルヘルスの問題を抱えていたのです。

それまで、ジョンは“ただ”私を突き飛ばしたり、私が失神するまで首を絞めたことが一度ありました。しかし、母の目の前で彼が私を殴ったことで、私自身がハッキリと「今起こっていることは、正しくないことだ」と気づきました。

車から飛び出して警察署に駆け込み

友人に事情を話すと、「ナターシャ、もし彼があなたを肉体的に傷つけるようになったのなら、その暴力はずっと続くよ」と言われたんです。心の中でなにかにピンときて、助けが必要だと思いました。

そしてRefuge(イギリスでDVに苦しむ女性を支援する支援団体)のヘルプラインの番号を検索し、電話を掛けました。最初はオペレーターがその場で警察に電話するのではないかと心配でしたが、電話の向こうでは女性がやさしい口調で、「あなたが経験していることを話してください」と聞いてくれたのです。見ず知らずの人に不安を解消してもらえたことは、計り知れないほどの救いとなりました。

その電話の後、私はこっそり警察に連絡を取り、それからジョンに「税金を払いたいから、街まで車で乗せていってほしい」と頼みました。そして、彼が車を減速させたとき、私は車から飛び出して警察署に駆け込んだのです。

すべてが明らかになり、彼は逮捕されました。その後、私は「Refuge」に助けを求め、一時的にシェルターに滞在し、別の都市に移って人生をやり直すことに。差止命令が出たことにより、ジョンは私に近づくことは法的にできなくなりました。

2018年3月、元恋人のジョン・チェシャーは3件のレイプと1件の性的暴行で有罪となり、12年の刑を受けました。1997年には、14歳未満の児童に対する強制わいせつを行ったという前科があることもわかりました。

私のプライベートな写真を公開するという脅迫は、私が耐えた虐待の一部でしたが、私の精神に大きな影響を及ぼしました。ジョンはいつか出所します。警察は彼のスマホを破壊しましたが、彼のメールアカウントやハードディスクから“親密な写真”やビデオにアクセスできる可能性はあるのです。

伝えたいこと

“親密な写真”を使い、他人を脅迫することが違法でないという事実は、私にとって不可解なことです。※2020年当時

※イギリスでは2015年からリベンジ・ポルノは法律で罰せられる行為とされているが、“屈辱を与える意図があったこと”を証明する必要があった(2015 年刑事司法及び裁判所法33項より)。2023年10月にイギリスは、新たにインターネット上の安全性に関する法案「オンライン安全法」を可決(188項)。性的な写真や動画を同意なく共有・作成する行為を実刑とし、リベンジ・ポルノに関する取り締まりを強化したほか、“ディープフェイク”の作成も法的に禁じた

SNSでは 「写真を撮影された自分が悪いのでは? 」と私に書き込んだ人もいますが、こういった意見は、「短いスカートを履いている女性はレイプされて当然だ」と言っているのと同じことだと思います。私が経験したことは、誰にも起こってはならないことです。彼は私をコントロールするために写真を使ったのです。

かつての私のように、虐待を受けている人に言いたいことがあります。それは「自分の直感を信じて」ということ。なにかがおかしいと感じたら、それはおそらく正しくないことなのです。

ジョンと別れた後、私は一生懸命に自分の人生を立て直し、自分自身を愛することを学びました。その後、ベンというすばらしい男性と再婚し、息子をもうけました。私たちの関係は健全で幸せ、バランスが取れています。今の生活は、あの頃夢見たことの100万倍もすばらしい。そして私自身、以前より強くなったと感じています。


※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。
Translation: 宮田華子
COSMOPOLITAN UK