人々に美しいライフスタイルと体験を届け、世界中で愛されるフランスのシャンパーニュブランド「ヴーヴ・クリコ」。

2022年に250周年を迎えたメゾンの礎を築いたのは、当時“女性は男性に養われる存在”と考えられていたフランスで、大胆に社会的規範を破った一人の女性でした。

この記事では、そんな勇敢な精神でメゾンを世界的ブランドに導いたマダム・クリコの人生について、ヴーヴ・クリコ チーフ・マーケティング&コミュニケーション・オフィサーのキャロル・ビルデさんにお話を伺いました。


【INDEX】


「偉大なる女性」マダム・クリコ

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Veuve Clicquot
バルブ=ニコル・ポンサルダン/ 1777年にフランス・ランスで生まれ、フランス革命の時代に育つ。夫の死後、彼の実家の家業であったシャンパーニュメゾンの経営を引き継ぎ、「ヴーヴ・クリコ」と屋号を変更。「現代における最初のビジネスウーマンの一人」であり、現在でも世界的に愛されるメゾンの礎を築いただけでなく、シャンパーニュ地方全体の地位向上にも貢献したことから、同地方の「ラ・グランダム(偉大なる女性)」と呼ばれました。

※ポンサルダンは旧姓。

女性が銀行口座を
もてなかった社会

バルブ=ニコル・ポンサルダン(のちのマダム・クリコ)は21歳のときに、「ヴーヴ・クリコ」の前身であるシャンパーニュ醸造所の創業者フィリップ・クリコの息子フランソワ・クリコと結婚します。

しかし、7年後の1805年に夫が急死。当時27歳だった彼女は夫の家業であるシャンパーニュメゾンの経営を継ぎ、メゾンの名前を「ヴーヴ・クリコ」と改めました。この時代のフランス社会においてこれは、勇気が必要なとても大胆な決断でした。

ビルデさんは「フランス革命が終わったばかりだった当時のフランスで、女性の権利は制限されていました」と話します。

「夫を亡くした女性以外は、働くことも銀行口座をもつことも許されませんでした」

メゾン創業者で彼女の義父であったフィリップもメゾンの売却を希望し、彼女が後継者となることには反対。“女性は男性に養われる存在”と考えられていたなかで、女性が経営の座につくとは誰も考えもしなかったことでした。

フランスで女性が選挙権を獲得したのは1世紀半先、小切手にサインする権利を得たのはさらに20年先であることを知れば、彼女の決断がどれだけ大胆なものだったかがわかるはずです。

メゾンの名前の「ヴーヴ(veuve)」がフランス語で「夫を亡くした女性」という意味であることからも、彼女の「誰にも頼らない」という経済的自立への決意が感じられます。

「彼女は、その勇気と粘り強さによって『現代における最初のビジネスウーマンの一人』となり、地域全体の地位までも高めたパイオニアとして、シャンパーニュ地方の『ラ・グランダム(偉大なる女性)』と呼ばれ、生涯にわたり高い評価を得ました」
 
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“常識”にとらわれない
数々の革新

「逆風にもかかわらず、自信をもって未来を見つめシャンパーニュ業界に革命をもたらした彼女は、当時女性にとってほとんど不可能だった“賭け”に勝ったとも言えます」と、ビルデさん。

ヴィンテージ シャンパーニュやロゼ シャンパーニュの発明など、マダム・クリコは数々の功績をシャンパーニュの歴史に残しました。

メゾンのリーダーになった当初から卓越したビジネスセンスを発揮。当時のフランス皇帝・ナポレオンによる貿易ルート封鎖を迂回するためにリスクを分散したり、シャンパーニュの極秘輸送を計画したりしたこともありました。

「1814年、彼女はロシアの対フランス禁輸措置を克服し1万550本ものシャンパーニュをサンクトペテルブルクに出荷。彼女のシャンパーニュは大歓迎を受けました」
 
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当時彼女が追加で取得したブドウ畑の区画が現在ではグラン・クリュ(特級)と評価されていることからは、優れた直感の持ち主でもあったことが伺えます。

 
Veuve Clicquot

さらに、マダム・クリコは『人』を見る目をもったリーダーでもありました。「27歳にして、社会的、階級的な規範を破った彼女は、ワイン業界における先見の明と才能のある人材に恵まれました」と、ビルデさん。

「その筆頭が『ヴーヴ・クリコ』の有能な販売代理人で、ブランドの海外展開に大きな役割を果たしたルイ・ボーヌです」

また、世襲制が一般的だった当時の企業経営において、後継者に家族ではないエドゥアール・ヴェルレという人物を指名したことは極めて異例なことでした。

従業員が病気になった際に治療費を負担したり、後継者のヴェルレとともに地元ランスの貧しい人々のための老人ホームに資金を提供したりするなど、他人を思いやる寛大な人物であったことも伝えられています。

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Veuve Clicquot

ビジネスリーダーとして活躍した彼女ですが、その一方で母親としての顔ももっていました。夫が亡くなったとき、娘のクレマンティーヌはまだ5歳。

生涯再婚することがなかった彼女は、経営者の責任を果たしつつ一人娘の面倒をみることにも熱心だったと言われています。

彼女の精神を未来に

マダム・クリコの勇敢で大胆な精神を受け継ぐように女性をエンパワーし、社会やビジネスの各方面における女性の活躍をサポートしてきた「ヴーヴ・クリコ」。

女性の影響力を国際的に高め、女性がより多くの社会的側面において、また重要な決定事項に対して、参加し包含される世界を目指すプログラム「Bold by ヴーヴ・クリコ」を展開しています。

その中心となり、毎年開催される「Bold Woman Award(ボールド・ウーマン・アワード)」は、メゾンが創立200周年を迎えた1972年に創設された、マダム・クリコのような大胆な精神をもつ女性リーダーを称え、敬意を表すためのアワードです。

「50年にわたって27カ国・450人以上の、ビジネスを立ち上げたり、引き継いだり、発展させたりした女性たちに賞を贈り、その功績を称えてきました」

2019年には、各国の女性起業家の状況を評価する初めての国際的指標を発表。日本を含む17カ国で3万人以上を対象に調査を行いました。

「2023年には指標のアップデートを予定しています」

その他にも「Bold Conversation(ボールド・カンバセーション)」や女性起業家向けのメンタリングセッションなど、様々な領域で活躍する女性を応援するイベントを開催しています。

「(これらのイベントは)女性起業家に具体的な支援と成功するためのカギを与えるために企画されています」

今年、スタートから50周年を迎える「Bold by ヴーヴ・クリコ」。これを記念する新たな世界的取り組みが、2022年12月に本国・パリで発表予定です。


「ヴーヴ・クリコ」公式サイト