圧倒的なファッションセンスが世界的に注目され、音楽、映画、アートとあらゆるジャンルで活躍の場を広げている新世代のポップアイコン、YOSHIさん。香港人の父、日本人の母を持つ17歳で、Z世代から絶大な支持を得るYOSHIさんに、ブレイクのきっかけとなった出来事から、現在の活動や今後の野望、気になるプライベートまで、たっぷり語っていただきました!

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――改めて生い立ちや、現在に至るまでの経緯を教えてください。

広島の福山というところで生まれて、1歳の時に東京に来ました。ゲットーな場所というか、ダウンタウンに引っ越してきて、今もそこに住んでいます。保育園に通って、小学校に行って、中学ではバスケットボール部に入って…2年生の時に人生を変える出来事が起こりました。

――それがブレイクのきっかけになったことですよね?

その前にまず、小学5年生か、6年生の頃にミニ四駆にハマっていたんですよ。今の僕の職業も我が道を突き進んでいるわけですけど、ミニ四駆から学んだのも、やっぱり1つのものに集中して向かっていくと、栄光って必ず訪れるんだなということ。すごくロマンのある遊びだなと思っていたんですね。それで中1の後半くらいまでやっていました。その頃から服が好きで、ミニ四駆のレアなパーツを売ったりして、自分で服を買っていたんですけど、「オフホワイト」が好きで、すごく買っていた時期があって。

ある時なんとなく、腰に巻くロゴベルトを首につけてみようと思ったんです。それで青山のお店に遊びに行ったら、背の高い人がいたんですよ。僕、店員さんと仲良くなるのが超得意なので聞いてみたら、彼が「オフホワイト」のデザイナーだよって教えてもらいました。僕、その時ヴァージル・アブローが誰だかも知らなくて。偶然だったんです。

「せっかくだからサインもらっていけば?」と店員さんに言われてお願いしに行ったら、ヴァージルが「お前、マジやべーな」ってなって(笑)。たぶん世界で僕だけですよ。あの青山のお店で、机の上に立って写真を撮ったの。彼がそれをInstagramにポンとあげてくれて、そこからです。次の日にはフォロワー数が1.5万になっていました。あ、人生変わったなという瞬間でしたね。

――それが中学2年生の時で、そこからすぐに仕事を始めたんですか?

いろんな事務所からマネージメントの誘いが来ました。でも13歳で、社会のルールもわからないし、一人前の男として自立するまでやらなきゃいけないことがあるとすごく思っていて。ここは一回我慢して、努力しないといけないと思ったので、事務所は話だけ聞いて、全部断りました。

そこから毎日メールを書いたり、企画書を作ったり、プレゼンしたりして、自分で仕事をとっていくという日々でしたね。友達のイベントのプロデュースとか、裏方っぽいこともやりつつ、マスというよりは主にアンダーグラウンドで働いていました。いろいろやっているうちにフォロワー数も増えていって、という感じです。

――ファッションセンスで注目を集めたYOSHIさんが、歌や演技を始めたきっかけは?

ある友達のPV撮影に遊びに行って、僕がDJブースの横で歌っていた時、今の事務所に所属しているプロデューサーのマット・キャブに「歌、できるじゃん、ブースに入ろう」と言われました。

その時にリョウという社長に歌ができるのか聞かれて「できますよ、余裕でしょ」と答えたんですけど、スタジオに行きながら、実はすごく緊張していて。もともと歌は好きだったし、『津軽海峡冬景色』もカラオケで98点取っちゃうくらいだったので自信もあって、すごく興味はあったんですよ。

でも実際ブースで歌うのはどうなんだろうと思っていたんですけど、外に出て聞いてみたら、「ああ、これが全世界の人々に届いたら、絶対に何かを動かせる歌声だ!」って、僕は思っちゃったんですよ。基本的に自分がやっていることがすべて1番だと思っているので。

映画もたまたま話が来て、「主役か、やってみようか」って感じなんです。『タロウのバカ』という作品では、オーディションと言っても、話しただけで気がついたら配役が決まっていたり。すごくタイミングがいいですね、ここまでは。本当に感謝なんですけど。

――アンダーグラウンドな世界から、マスメディアで活動することにした理由は?

普通、事務所と契約する時は一つの仕事がメイン。たとえば俳優だったら俳優、モデルだったらモデル…でもそれじゃ意味がないんですよ。だって、僕は全部できるから。今の時代にこれだけできるのは、たぶん僕しかいないんですよ! だからせっかく持っているこの才能を、絶対に、何があっても潰されてはいけないと思っていて、全部を支え持ってくれる事務所とやろうと思ったんです。

今の事務所の社長と会った時に「うちは海外も強いし、それだけ才能があるのなら、全部持ってやるよ」と言われて、僕、人生で初めて思ったんです。この人となら自分の人生の理想図と照らし合わせることができるなって。そこからすべてが始まりました。

今は歌、俳優、アート、ファッションデザイン、モデルの5個ですね。5つ全て100%力を注いでで進めています。もちろん中でもずば抜けているものはあると思いますが、自分的には全部均等にという風に思っておきたいです。

――誰とでもすぐ仲良くなれて、物怖じしない印象ですが、ご自分ではどう思いますか?

30代後半から78歳まで友達がいますけど、“均等”というのがすごく大切だなと思っているんです。この世の中、年齢とか、国とか、肌の色とか、関係ないと思うんですよ。日本には年功序列という言葉があるじゃないですか? 敬語はどこにもない日本だけの文化だから、すごく素敵だと思うんですよ。自分でも敬語は使えるし、上下関係もわかる。けれども僕は、しっかりと人に対してのリスペクトがあれば、本当はどんな風に話したっていいと思うんですよ。敬語でも、何語でも。

もし自分で生まれる年月を決められるんだったら、年齢にも意味があると思います。でも自分では決められないじゃないですか? だから0歳でも、80歳でも、みんなで助け合おうぜ、という国にしたいんですよね、この国を。だって同じ人間じゃないですか? そう考えると、人間はみんな均等というか一緒なんだぜということを全国民に伝えなきゃいけない。でもそれを体現できる人が、この日本という国にはいないんですよ。みんな縮こまっちゃうから。

――年齢も国の差も関係ないというのは、恋愛面でも同じですか?

58歳の人に恋したことがあります。恋したとは言っても、この人と結婚して、人生を過ごしていったら、すごく素敵だろうなと思うくらいですけど。年齢は特に関係ないですね。付き合いたいのは年上だなぁ。27歳くらいとか? でも何歳でもいいですよ、愛せれば。僕はすごくボーイッシュな人が好きです。可愛いというよりは、かっこいい女性。見た目でいうとショートカットかな。

中身的には、家に帰って「おかえり」と言ってくれるタイプよりは、ストイックに自分でやることがある人。お互い50:50な関係で、進めていける人と付き合いたいですね。でも今は女性に全然興味がないので、まずは男として誰よりも稼ぎたいです! 誰よりもいい服を着て、誰よりもいいクルマに乗って、誰よりもいい家に住んで…。それって、ほぼロマンじゃないですか?

今の時代、車も売れていないし、例えば若者も高級時計をつけたいとか思わない。携帯で確認できるし、時計なんて必要ないといえばそれまでなんですけど、時代にロマンって必要だと思うんですよ。男としてお金を稼ぐ、いい家に住む、いい車を買う、いい時計つける、いい服着る、こういう古き良きカルチャーを伝えていきたいですね。この冷めきった世の中をもうちょっとあったかくできたらなって思っています。

――自由奔放な17歳らしい部分とすごく大人な部分、どちらも自分らしさだと思いますか?

僕はマネージャー業などもやっていたので、ちょっと感覚的ですけど、自分のことを常に俯瞰で見ているんですよね。すごくバカで無邪気で、どこまでも突き進む暴走列車が第1者目線でいて、それを上から見ている第3者目線が1人だけいて、そいつはすごく真面目なんですよ。自分であまり言いたくないですけど、根っこはかなり真面目です。人間論とか、そういうことを語り出したら止まらない。

でも道を歩いている時はいつも叫んでいるし、わー! おつかれー! みたいなノリなので、普通に考えて、ウザいじゃないですか(笑)。第1者目線のバカなやつが、第3者目線の真面目なやつから、常に学んでいるという感覚なんですよね。自分が2人いるような、本当にそんな感じです。とにかく極端なんですよ。人と会っても、すごく気に入られて仲良くなるか、すごく嫌われるかのどっちかで。

たとえばごはんに行くなら、ファストフードか、3つ星のフレンチか、本当にそういう感じ。中途半端なことをするのが人生で1番嫌いですね。とにかく後悔しない人生を送りたい。自分が1時間後に死ぬと考えてみてください。今、この1分1秒、何をすべきか、この瞬間をどう生きなきゃいけないだろう? って考えると思うんですよ。僕のライフスタイルはまさにそれ。常にその感覚で人生を過ごしています。

僕の座右の銘で「死と狭間」と「1分1秒を大切に生きる」という言葉があります。自殺したいとかそういうことではなくて、僕はいつでも死んでやると思っているんですよ。なぜかと言えば、常に後悔しない人生を送っているから。死ぬ時なんて、いつでもいい。死と隣り合わせで生きているよという感じですかね。

――YOSHIさんのその半端ないコミュ力は、どうやったら身につけられるんでしょう?

人と会って、話していくことですかね? 僕はとにかく人と話すのが好きなんですよ。それでインスピレーションを蓄えるタイプなので。積極的に人と会うことが大切かなって思います。あとはアウトドア派なので、常に外に出て、人と会って話して、ミーティングして、世の中こうしたいね、ああしたいね、じゃあこのプロジェクトやろう! という感じ。

嫌われることに対しての怖さ? 全然ないですね! ああ、自分の人間力が足りなかったったんだ、じゃあ仕方ないね、また! という感じです。自分のライフスタイルと合わない人と仕事をしても仕方ないし、それは友達も同じ。

テレビに出て炎上するのも最高じゃないですか? もっともっと来いって感じですよ。僕は炎上とか叩かれることは、それだけ才能がずば抜けているからだと思っているので。ただただ清純派でかっこいいイケメンより、常に叩かれているくらいがちょうどいいです。僕的にはね!

――では最後に、今後の目標や夢を教えてください。

ジャスティン・ビーバーくらい世界的に有名な日本人って、います? 最初の目標としては、日本人で初めてジャスティン・ビーバーくらいまでいくこと。ジャスティンがいて、カニエがいて、アジアだったらYOSHIって、そこに並べたら最高じゃないですか。

ドレイクとか、いろんなアーティストがいますけど、アジア圏内には攻め込めないんですよ。もちろんライブに人は集まりますけど、BTSのほうがストリーミングはすごい。そう考えた時、「誰とやればアジアに攻め込めるんだろう?」となったら、「YOSHIでしょ」ってならないといけないなと思って。

活動は全部同時進行で行うんですけど、今年からしっかり音楽をやっていきたいと思っています。全米だけじゃなくて、ロンドンをメインとしたヨーロッパマーケットで、ミラノ、パリ、ベルリンも攻めたいなと思っています。行ったことはないですけど、レイブカルチャーとかが好きなので。あとは中国。今はちょっと厳しいですけど、中国、台北、香港、フィリピン、シンガポール、インドネシア、そこを持っていけたら最高だと思うんですよ。

ジャスティン・ビーバーぐらい、世界的にどこまでも知られるようになって、まず25歳になったら、現実的に年収100億円を狙っています。冗談抜きで。そこまで行って有名になったら、僕が一言言うだけで何かが動くわけじゃないですか。

まずそこまで行くのが第1ステップです。そうなったところで、じゃあ君は世の中をいったいどう動かしたいんだっていうのが第2ステップで、そこからが僕の本当のスタートだと思っています。

僕は、この日本というマーケットは世界で1番ユニークだと思うんですよ。世界で1番魅力がある国だなと本当に思っていて、ジャスティンもビリーもカニエも、毎年いろいろ人が日本に来るじゃないですか? 日本の魅力をさらに海外に伝えて、マーケット拡大というか、海外に行きたいという人が出てきた時の動線を作ってあげたいですね。

まだ日本からジャスティンくらい有名になったことがある人はいないから、0から1って作れると思うんですよ。そういうことをしていきたいです! これからそれが現実になればいいなと思っています。しかも、現実にさせてくれる最高のチームもいるので。


溢れる才能と強烈な個性を持ち、しっかりと未来予想図を描いて、我が道を突き進んでいるYOSHIさん。まだ17歳ですが、10年後、20年後はいったいどんなことに…? 渋谷ジャックで話題を呼んだPanasonicのCMや新曲『VOICE』もぜひチェックしてみてくださいね!