長年にわたって世界中の人々を魅了し続ける、言わずと知れたハリウッドスター、マリリン・モンロー。最近では、キム・カーダシアンが2022年のMETガラでマリリン・モンローのドレスを着用し、モンローのアイコニックな人物像にオマージュを捧げて物議を醸した。さらに、Netflixの新作映画『ブロンド』が配信されたことで、モンローの人生が再び脚光を浴びている。

モンローは、その魅力的なスタイルや無類の容姿だけでなく、彼女が抱えていた苦悩も長きにわたって注目されてきた。そして、早すぎる死から60年経った今も、彼女はまるでモノのように扱われ続けている。『ブロンド』ではレイプや強要された妊娠中絶、虐待が随所で描かれているため、性差別的、搾取的、侵略的であるといわれており、短い人生で彼女が耐えた痛みが再び娯楽目的で掘り下げられているといえる。実際に、アンドリュー・ドミニク監督はこの映画を「好色」とさえ表現し、モンローの人生を描く際に、「品の良さにはこだわらなかった」と話している。

『ブロンド』は作家ジョイス・キャロル・オーツによる同名の伝記小説を原作としていて、同作は事実とは異なるフィクションだが、多くの視聴者にはそれが伝わらないだろう。また、モンローの人生に関するストーリーには、いつも見落とされているある重大な要素がある。それは、彼女が重度の子宮内膜症を抱えて生きてきたという点だ。

女性の10人に1人が子宮内膜症に罹患しているといわれているが、初めて受診してから診断を受けるまでの期間は平均7.5年という、依然として許し難い状況にある。子宮内膜症とは、子宮の内側を覆っている子宮内膜またはそれに似た組織が、卵巣や卵管など他の場所で増殖する疾患。しかし、子宮内膜症の細胞は子宮内膜とは異なり、生理のように体外に出ることができず、外科的治療やホルモン療法は存在するものの、(根本的な)治療法やそれにつながる研究の飛躍的進歩がないため、ほとんどの患者は慢性的な痛みに耐えなければならない。

治療法がないため、ほとんどの患者は慢性的な痛みに耐えなければならない

この病気は、骨盤、横隔膜、腸、膀胱、肺、さらには脳などの部位にも発症することがある。症状には、痛み、疲労、大量出血、うつなどがあり、子宮内膜症は生殖能力を含め、患者の人生のあらゆる部分に影響を及ぼす可能性がある。モンローは子どもが欲しいと強く願いながらも、1956年と1958年には流産、1957年には子宮外妊娠を経験するという耐えがたい辛さに直面したことはよく知られている。

アメリカ国立医学図書館が2008年に発表した子宮内膜症に関する論文では、子宮内膜症を患っていた最も有名な人のひとりとしてモンローが挙げられ、彼女の過酷な状況について「効果的な保存手術や有効な薬物療法のない時代には、強い鎮痛剤、精神安定剤、催眠剤の使用を徐々に増やしていった」と表現している。

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『ブロンド』でマリリン・モンローを演じたアナ・デ・アルマス。

フリーランスライターである筆者(ヘレン・ウィルソン=ビーバーズ)も10代の頃から子宮内膜症に悩まされ、何度も手術を受け、ときにはモルヒネを含む強い鎮痛剤を使った療法が必要なほどの経験をしているため、その耐え難い苦痛をよく理解している。子宮内膜症の痛みは、骨に響くような激しい痛みで、足がよじれ、床に倒れこんでしまったこともある。体中に押し寄せる激痛に気を失ったこともあり、突き刺すような鋭い痛みが止むことを必死に願っていた。このように、制御不能な痛みとともに生きることの孤独は切実で、痛切に感じられるが、その苦しみを十分に表現することはさらに難しいのではないだろうか。

しかし、3度の結婚生活が破綻するなか、モンローは鎮痛剤の使用、撮影現場への遅刻、それに伴う信頼性の欠如など、常に詮索されながら、公の場でこの予測不能な嵐を乗り切らなければならなかった。子宮内膜症の激しい苦痛を抱えて生きてきたことが、そのすべての一因になっていたのかもしれない。合理的な想定を超えて事実を推測することはできないが、子宮内膜症の患者は、この病気がその人の日常生活のすべてを破壊しかねないことを知っているのだ。

今日においても医学的な女性蔑視が存在する状況を考えると、現代とは異なる時代に生きたモンローが、1950年代や60年代にどれほど古めかしい治療を受けていたのかは想像に難くない。実際、2011年にBBCで放映された映画『マリリン 7日間の恋』では、彼女の「鬱積した神経症」が描写されているように、彼女のトラウマ的な病歴が及ぼした心理的影響に関して、そろそろモンローに敬意と評価を示してもいいのではないだろうか。

そろそろモンローに敬意と評価を示してもいいのではないだろうか。

このような精神的苦痛は、幼少期の虐待の記憶によってさらに増幅されたはずだ。ハリウッドの性差別と搾取は、彼女が活躍した時代にも蔓延していた。その一例として、雑誌『PLAYBOY』の発刊者であるヒュー・ヘフナーは、同誌で撮影したものではないモンローのヌード写真を、本人の承諾なしに掲載したとされる事件がある。モンローが抱えていた苦悩は疑いようもなく、36歳という若さでこの世を去った非常に悲しい彼女の死は最終的には自殺と判断された。

マリリン・モンローのイメージは、ポップカルチャーと切っても切れない関係にあり、それゆえに多くの人が彼女を形象化しようと試みてきたのかもしれない。しかし、形象化するのであれば、彼女が人生で背負っていた現実の大きさを認識しなければならない。そして、モンローとモンローの人生の辛い部分をおのずとたどっている何百万人もの子宮内膜症の女性たちに、共感し、配慮する必要があるのだ。

Translation: Masayo Fukaya From COSMOPOLITAN UK