東京レインボープライド共同代表理事であり、 日本初となる渋谷区・同性パートナーシップ条例制定に関わった経験も持つ、トランスジェンダーで活動家の杉山文野さん。

杉山さんはパートナーの女性と、ゲイの親友・松中権さんから精子提供を受け、2人の子どもを授かり、現在は3人での子育てを行なっています。2021年3月には、その様子を書き下ろした書籍『3人で親になってみた ママとパパ、ときどきゴンちゃん』を出版。

そんな杉山さんに、3人での子育てや多様な家族の形、子育てをしていくうえでのジェンダー観などを聞きました。

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“普通の家族”と変わらない、「3人の子育て」

――お子さんが2人になった今の子育てはいかがですか?

とにかく楽しいですね。2人になったら大変さって倍以上にはなりますが、その分の可愛さも倍以上。

第一子が2歳半、第二子が生後半年なのですが、上の子はだいぶ言葉も喋れるようになってきて、コミュニケーションが取れるようになってきました。最近は病院ごっこ、お医者さんごっこにハマってて、注射器を使ったり、熱を測ってくれたり、人形に絆創膏を貼ってあげたり、という遊びを一緒にしてます。

下の子はお座りができるようになってきて、だいぶ表情も豊かになってきましたね。ミルクをあげて、オムツを替えて、保育園の送り迎えして…と楽しく非常に充実した毎日を過ごしています。

――「3人での子育て」を実践するなかで気が付いたことはありますか?

3人だからこその良さもあれば、3人だからこその大変さもあるのかなと。でも全部トータルしていうと、子育てが大変なことには変わりないと思っています。例えばメリットということで言えば、養育費の分担とかも3人で割っているので、そういった意味では、楽な部分もあるんです。

でも一方で情報共有を3人でするって結構大変で。パートナー同士でも、「言った」とか「言わない」とか、「聞いてない」とか、そういう場面ってありますよね。 僕とパートナーは一緒に生活してるのでこまめに連絡とるようにしているのですが、3人で同じように共有するのはある程度の限界があることもわかりました。

たとえば子どもがアトピー性皮膚炎で肌をかきむしってしまうとき。その日の温度によって状況が変わるので、「このパジャマだと今日は暑いから、こっちの方がいいんじゃないか」「昨日はこれを着せたらかいちゃってたから、今日はエアコンをつけて布団をかけて寝かせてみよう」と試行錯誤しながらパートナーとは話しているんです。こんな風に毎日いろんなことがあるなかで、週1~2回家に来てくれるゴンちゃん(松中権さん)にそれを共有するのはなかなか難しくて。全部共有しなきゃいけきゃいけないというのもお互いプレッシャーになったりもするんですよね。

3人で話し合った結果、今はゴンちゃんにできることを一緒にやってもらっています。最近は週2日の保育園のお迎え、土日のどちらかで公園に半日連れて行くというのをルーティンにして、日々試行錯誤しながらやってるのが現状です。

最近は、僕たちを“新しい家族の形”と取り上げていただくことも多く、「3人の子育てって素晴らしいですね」と言ってもらえることがほとんど。でも実際はそんなキラキラした話ではないんです。

僕たちにとっては、これしか手段がなかったのでこういう形をとった。そういう意味では「いろんな家族があっていい」とは思ってるのですが、そんなに賞賛されるような「3人の子育てって素晴らしい!」と言われるのももどかしいというか…そんな感じでもありますね。

――「3人の子育て」というと“スペシャル”に感じるけれど、選択肢の1つということですよね。

そうなんです。子育てって24時間、365日休みなし。放っておいたら子どもは生きてられないので、選択肢がないんです。「はい」か「イエス」しかない状況なので、途中で疲れたからといってやめるわけにもいかない。だからこれからも現実的にできる形をずっと模索していくんだと思うんですよね。

子育てって日々アップデートするのが大事なんだなと思っています。「親とはこうあるべき」と僕自身もとらわれていた部分があったけれど、実際に子育てをしてみると、そうではないと気づかされました。

今ある自分の考え方にとらわれず、目の前にいる子どもと向き合ったときに、本当に必要なことがあればそれをきちんと自分の中でも更新していく。そういうことの繰り返しなんだと思ってます。

でも、本当のところ偉そうなことは言えないんです。たとえば僕のLGBTQ+に関する活動で「みんなに平等な権利を」とか言いながらも、ここ最近忙しくて結局パートナーにばかり子育ての負担をかけてしまっている状況。

外では「平等」とか言いながらも彼女に負担がかかっている、そういうのも現実的にあったりします。だからずっと彼女に任せてて急に僕が自分なりに関わろうとしても、もうすでにルーティンが変わってる場合もある。現実と理想の間で僕自身もそういう葛藤を常に繰り返していますね。

――子どもの将来について3人で相談することはありますか?

あんまり先のことは考えられないから、そのとき考えようとは話しています。いろいろ思い描いても全くその通りにはいかないし、特に今は先が見えないですよね。

基本的には、目標を立てて逆算して考える人生というよりも、その場その場を社会の変化に合わせてサバイブできる、そういう人間力のある子になってほしいね、とは話しています。もし何かを選ぶのであれば、その後の選択肢がより広いものを選んでおいてあげたい。人生を決めるのは本人なので、そのための選択肢は豊かな方がいいんじゃないかなと思ってます。

僕たちは今、僕の両親と同居しているのですが、自分の親とは言え他人であるという感覚があります。これはもちろんいい意味でです。

どんなに大切な存在でも、自分以外は全て他人です。「親だから言わなくてもわかってくれるはず」という甘えを捨てて、大切な親だからこそ「ありがとう」や「ごめんね」そういった些細な言葉をちゃんと言ったりと、人として丁寧なコミュニケーションを心がけています。

親には親の人生が、僕には僕の人生がある。こうやって独立した関係があるからこそ互いを大切にできると思っているので、「親のせいでこれができなかった」とは言いたくないと思っています。それと同じ意味で、自分の子どもに対しても他人だと思っています。

もちろんこの子たちのためにできることは最大限以上にやる覚悟はありますが、だからこそ「親がトランスジェンダーだから何かできなかった」と言い訳もしてほしくない。自分で責任を持って、一人の人生を生きてほしいと考えているので、精神的には独立した関係でありたいなと思ってます。

子育てを通じて気が付いた、ジェンダー観

――最近「ジェンダーニュートラルな子育て」という言葉が広がりつつあるかと思いますが、家の中で意識していることはありますか?

「男らしさ」や「女らしさ」がいけないとか、「男女の分け」がいけないとは僕は全然思ってないんです。ただ、「らしさの強要」がよくないのではないかと

今のところ、上の子が女の子で下の子は男の子。たとえば「ジェンダーニュートラル」っていって、「上の子にスカートは一切履かせません」「ピンクは絶対着せません」ということでもなくて、本人がいいなと思うのがいいなと思うんです。

正直、僕も僕のパートナーも、いわゆるフリルがついたピンクの洋服は個人的には好きではないのですが、この前買い物に行ったときに上の子が「これが欲しい」って持ってきたのが、フリフリのいちごの水着だったんですよね。

「やっぱり女の子ってこういうのが好きなんだな」と思ってるそばから、大きな車のおもちゃを「これ欲しい」って持ってきて。そのときに男と女とか関係なく、好きって思ったものがいいなと感じたので、なるべく決めつけないようにはしています。

ただ、本人の尊重としつけや教育のバランスがすごく難しいんです。たとえばみんなでご飯を食べるときに子どもが遊びたくなったり、食卓から離れてしまったり。本人のやりたい気持ちを尊重したいけれど、「みんなと一緒にご飯を食べる」という社会生活を送る上でのある程度のルールは共有しておきたい。

しっかりとしつけとして教えてあげなければいけないことと、本人の尊重の間のどこにバランスをとるのかというのは悩んでいます。でもそういうことを考え続けると、僕自身も親としての学びをもらってるんだなと感じますね。

――外からの情報で、子どもがいわゆる「ジェンダーステレオタイプ」を学んでしまうこともあると思いますが、すでに何か直面したことはありますか?

1番身近なところだと、僕がLGBTQ+に関する活動をこれだけやっているつもりなんですが、一番身近にいる僕の父親はあまりわかっていないんです(笑)。だから無意識に「女の子なのに裸で走り回って」「女の子のくせに車のおもちゃなんかが好きなんだな」と言うことも。悪気は全くないのですが、そいうことは往々にしてあります。

そのときも父を責めるのではなく、子どもにはそうやって言う人もいるし、でもそうではない場合もあるし、その両方を知ってもらうのがいいんじゃないかなと考えています。

あとはたまたまなのですが、今通っている近所の保育園はSDGsのポスターを貼っているくらい先進的。僕たちのことや「3人での子育て」を話すと、「たぶん園として対応するのは初めてのケースにはなるとは思いますが、いい機会なのでむしろ色々教えてください」と言ってくれました。

先生たちも僕の本を読んでくれたり、LGBTQ+のことも勉強してくれたり、園でも「〜くん」「〜ちゃん」という呼び方とかが本当にいいのか、という議論があったり。こうやってお互いアップデートしていく機会が大事なんですよね

もちろん活動家としてパレードの先頭を歩いたり、自民党本部前でデモをしたりしますが、一生活者としては日常生活の中でもこうやってオープンにすることで、周りの人たちが自然と考えたり、見直したりするきっかけを作っていけたらいいなと思ってます。

――逆にお子さんから学んだ、「ジェンダーステレオタイプ」はありますか?

やっぱり上の子はちゃん付け、下の子はくん付で呼びたくなってしまうんですよね。褒めるときの形容詞も、上の子は自然と「可愛いね」下の子は「かっこいいね」っていう言葉が出てきてしまう自分がいます。

「なんでだろう?」「いけないのかな?」と振り返るのですが、自然と出てくる自分の中のバイアスにも気づくんです。でも絶対言ってはいけないことでもないので、無意識に言いすぎないように、意識した上で使う分にはいいかなと今は自分なりに解釈していますね。

――子どもたちに触れさせる作品やインプットさせるものについて、方針はありますか?

方針を決めてても、その通りにいかないとあるとき気づきました。僕がどんなにいいなと思った作品を見せようとしても、今うちの子どもはアンパンマンしか見ないんですよ(苦笑)。無理に引きはがすのも違うなと思っているので、そこは葛藤してますね。「子どもは親の思い通りにはいかない」とはよく言われてることですけど、改めてそうだなとも思います。

いろんな作品に触れるのもいいのですが、今はいろんな人に会ったり、いろんな場所に行ったり、自分の目で見て頭で考えるような一次情報を大事にしてほしいなと。

そうすれば、たとえ偏りがある作品に出合ったとしても、「この作品ってなんでこうなんだろう」「なんでこの作品はこう描いててあの作品はこう描いてるんだろう」と自分で考えられると思うんです。

日常的にも自分で考えるトレーニングをするために、すぐ答えを教えずに一緒に考えたり、「これなに?」と聞かれたら「なんだと思う?」と返すようにしたりしています。問いを繰り返すことで、自分で問いを見つけて、答えを探していくってことをしっかりできていけばいいかなと考えています。

子どもと過ごす時間のなかで変化していった自分の目線

――実際お子さんを持ってから、社会に対する目線は変わりましたか?

一個人の人生から、時の流れを長いスパンで考えるようになりましたね。

これまで僕も社会活動する中で、「次世代のLGBTQ+コミュニティが嫌な思いをしないように」と言って今自分ができることを精一杯やっているつもりでしたが、そこまで長いスパンで想像はできていなかったなと。その後のことは次世代に繋げていける人へ任せようという部分もあったと思います。

だけど実際子どもができてみると、自分がこの世からいなくなっても、子どもの人生が続いていく社会に対して、「安心して暮らせる場所を作る」という責任感がより一層リアルになりました。

それに、毎日ミルクあげて、オムツ替えて…という時期は誰にでもあって、どんな人でも大切に育てられてきたと再確認できましたね。改めて自分自身が、今のところ元気に日常生活を送ることができているのが、周りの人のおかげなんだと実感しています。子どもができたことによってさらに視野が広がって、いろんなことが多面的に見えるようになって、日々の時間が豊かになってるのではないかなと思いますね。

――子育てをしていくなかで自分に対して気が付いたことや変化はありますか?

実は僕自身、極端な言い方をすると人に興味がなくて自分にしか興味がないと思ってるのですが(笑)、子どもがどうかということよりも、子育てをすることによる自分の変化みたいなのが1番面白いんです。

みんな生まれてから大体2、3歳ぐらいまでの記憶や意識が欠落していると思いますが、自分が子育てをすることによって、はじめてそこが補完されるんです。絵本を読んでもらってた自分が読む側に回ると、自分の抜け落ちてた人生のそのパーツがはまることによって、見えてきたもの、変わるものがあって。そういう意味では、自分の見えてない人生に興味があったのかもしれないです。

自分の変化としては、誰かのために時間を使うことが増えましたね。今までも社会活動などで「誰かのため」という時間はありましたが、その前に自分が幸せじゃないと誰かの幸せなんて考えられないだろうと思っていたので、僕は自分を大切にすることを重視していました。

でも子どもが生まれてからは、「これをやれば自分に返ってくるんだろう」ということなんてなくて、見返りを求めない時間が増えました。結果的には子育てを通して、自分もいろんな経験をさせてもらってることにはつながりますが、そこがやっぱり1番変わりましたね。

――「女の子だから」「親がトランスジェンダーだから」などによって制限がかからないような社会になるためには、どんなことが必要だと思いますか?

1つは、制度が変わるのはすごく大事なことだと思っています。僕たちはLGBTQ+の可視化、当事者であってもそうでなくても誰もが暮らしやすい世の中になるため、活動をしています。最近の話題でわかりやすい例を言うと、同性婚がありますがこれは結婚の話だけじゃないんですよね。

「すべて国民は、法の下に平等」と言ってるにも関わらず、結婚できる人とできない人がいる。裏を返せば、“すべての国民”の中に、LGBTQ+コミュニティは含んでいないと言っているようなものなんですよね。「“すべての国民”に含まれないような人たちなんだから、不当な扱いを受けたってしょうがないでしょう」というイメージが、根強い差別と偏見につながっているので、ルールが変わることは重要だと思います。

ルールができることによって理解が進むし、理解が進んでいくとさらにルールを作りやすくなる。本来であれば、基本的人権の話なので理解がないからこそ政治がしっかりルールを作り、理解を進めていくべきです。だけど今の日本社会は、「まだまだ理解が足りてないからルールは作れない」という議論で、実は本来は逆の流れが必要なんですよね。

一方で、ルールができたからといって全てが変わることでもない。日本に「男女共同参画社会基本法」があったとしても、ジェンダーギャップ指数120位が示すように男女平等は実現されていません。

だからルールを作ることと、風土を変えていく…この両輪をしっかり進めていくっていうことが必要なのだと思います

――今後、「親になる」「家族を持つ」という選択をする可能性のあるコスモポリタンの読者にメッセージをお願いします。

「結婚をして、子どもを持たなきゃ幸せになれない」と言うつもりは一切ないのですが、「LGBTQ+だから」「血の繋がりがないから」という理由だけで、こんなに素晴らしい人生の機会をなくしてしまっていたり、社会に諦めさせられたりしているこの現状は変えていきたいですね。

子どもを持つ、子育てをすることは、決して血の繋がりや、法的なつながりがなければできないと思いすぎなくていいのではないかと思うんです。個人のライフスタイルが多様化している分、家族のあり方も多様化しています。そのときに、既存のルールや制度に当てはまらないということだけで、家族を持つのを諦めないでほしいです

残念ながら社会にはネガティブなメッセージや“こうあるべき”という圧力がまだまだたくさんありますが、それに負けずに「自分の好きな人とともに家族として暮らしていきたい」という想いは大事にしてください。

違和感があったときに「それって本当はどうなんだっけ」と問いを繰り返しながら、ひとりで暮らしていく選択肢も含めて、自分なりの家族の形や自分がどうありたいのかを探していければいいのかなと思います。


杉山文野さん

1981年東京都生まれ。フェンシング元女子日本代表。トランスジェンダー 。 早稲田大学大学院教育学研究科修士課程終了。2年間のバックパッカー生活で世界約50カ国+南極を巡り、 現地で様々な社会問題と向き合う。 日本最大のLGBTプライドパレードである特定非営利活動法人東京レインボープライド共同代表理事や、 日本初となる渋谷区・同性パートナーシップ条例制定に関わり、渋谷区男女平等・多様性社会推進会議委員も務める。 現在は父として子育てにも奮闘中。著書「ダブルハッピネス」「元女子高生、パパになる」「3人で親になってみた ママとパパ、ときどきゴンちゃん

2021年の東京レインボープライドで配信された、「多様な“かぞく”を考える 〜選択的夫婦別姓・特別養子縁組・同性婚〜」もYouTubeにて公開中。

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