キャリアや恋愛遍歴を中心に、マリリンの36年間をプレイバック!
ハリウッドに、そしてポップカルチャーに絶大な影響を与えた唯一無二の存在、マリリン・モンロー。その命日である8月4日にあわせて、生きていれば2021年で95歳となるはずだった偉大なるスター女優の人生を、21枚の写真で振り返る。
3歳のマリリン・モンロー(本名ノーマ・ジーン・ベイカー)。母グラディス・ベイカーと、ビーチでの微笑ましいひととき。
4歳のノーマ。1926年にLAで生まれたが、母グラディスが子育てに不適と判断されてからは、いくつもの里親の家庭を転々とする日々が何年も続いたという。
ティーンの頃から、強いまなざしが印象的だった。
15歳、豊かなブルネットヘアのノーマ。
孤児院に送り返される可能性を避けるため、近所に住む21歳のジェームズ・ドハティと、16歳で結婚。
カタリナ・カジノを背景に、サンタ・カタリナ島のビーチでポーズをとるノーマ。ジェームズは島内の新兵訓練所に駐在していたものの、翌年には海軍に2年間徴兵され海に出ることに。
1944年に写真家のデヴィッド・コノヴァーと出会い、「ブルーブック・モデル・エージェンシー」と契約。20世紀フォックスのスクリーンテスト(写真)の現場で役員のベン・ライオンと出会うと、モデルから演技の仕事にシフトした。キャリアに集中するため、ジェームズとは離婚する。
21歳時に撮影されたポートレート。
ハリウッドで撮影されたポートレート写真をもう1枚。プラチナブロンドに染め、カールも整えて。
NYから州内のウォレンズバーグに向かう電車の中で、俳優ドン・デフォーとカード遊びに興じているひとコマ。
出演作『ラブ・ハッピー』のプロモーションでNYに滞在していた彼女は、映画雑誌『フォトプレイ・マガジン』が主催したコンテストの勝者に、新しい家の鍵を贈呈する役割を任され、デフォーと移動していた。
撮影中に住んでいた、ロンドン郊外のエングルフィールド・グリーンの自宅の外で、にこやかに微笑むマリリン。
1952年の1年間だけで、大成功を収めた『熱き夜の疼き』、『モンキー・ビジネス』など5本の映画に主演。ポジティブな評価を獲得した。
ナイアガラの滝の前で、スリラー映画『ナイアガラ』の宣伝のためにポーズをとるマリリン。
グラマラスなストラップレスドレスとファーコートをまとい、ウォルター・ラング監督の『ショウほど素敵な商売はない』のプレミアに到着したマリリン。
『熱いトタン屋根の猫』の舞台鑑賞を前に、アンバサダー・ホテルの部屋で支度を整えるマリリン。ご存じ、“マリリンといえば”なシャネルのN°5のフレグランスを香らせて。
2番目の夫である劇作家アーサー・ミラーとポーズをとるマリリン。結婚1年目に撮影された写真で、当時41歳のアーサーはマリリンよりも11歳年上だった。
ロマコメ映画『王子と踊子』を撮影中のマリリン。本作でイギリスの名優ローレンス・オリヴィエと共演。
32歳、キャリア絶頂期のマリリン。成熟したセックスシンボルの座を確かなものにしていた。
映画『お熱いのがお好き』のセットにて。舞台裏では共演者やスタッフとの軋轢が生じていたことでも有名になったが、1959年3月に公開されると、マリリンにゴールデン・グローブ賞が授与されるなど、評価的にも商業的にも成功を収める。
映画『荒馬と女』のセットにて。普段演じていたキャラクターからは大きくかけ離れた、離婚したばかりの女性という役どころを演じていたマリリン。これが彼女の遺作となった。
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