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セレブの恋愛事情は常に注目の的だけど、ミュージシャンは恋人が“ミューズ”となり、創作意欲を掻き立てられることも多いもの。そう考えると、彼らの華やかな恋愛遍歴も納得…かも?
そこで、音楽史に輝く伝説の「ロックスター」が愛した人たちをご紹介。恋人やパートナーに求めるものはそれぞれ異なるものの、恋人の存在からスターの一面が見えてくるのは確か。愛を育んでいた時期に作られた曲を聴くと、スターたちの想いや当時の雰囲気がよりダイレクトに心に響くかもしれません。
シド・ヴィシャス
愛した人:ナンシー・スパンゲン
ロンドンのパンクロック・シーンのアイコン的存在のバンド「セックス・ピストルズ(1975~78年、その後再結成数回)」。1977年に加入したベーシストのシド・ヴィシャスの恋人として知られているのが、アメリカ・フィラデルフィア出身のナンシー・スパンゲン。二人の関係は、1986年公開の伝記映画『シド・アンド・ナンシー』に詳しく描かれています。
子どものころから精神の病を抱えていたというナンシー。名門大に16歳で入学を許可されたものの、マリファナ所持により逮捕され退学処分に。その後ニューヨークを経て、1977年にロンドンへ渡りすぐにシドと出会い付き合い始めますが、二人揃ってドラッグ依存が重症化していきます。
セックス・ピストルズ解散後、二人でニューヨークに転居するもジャンキー生活から抜け出すことはできなかったよう。ナンシーは刺殺され、容疑者としてシドが逮捕されるも、保釈中にヘロインのオーバードーズでシドも他界。ナンシー殺害の真相は現在も謎のままに…。
なかでも印象的なシドの南京錠のネックレスは、人気漫画『NANA』の作中でも描かれ、日本でも大人気に。同ネックレスは、ナンシーが初めてシドにプレゼントしたものと言われています。
ミック・ジャガー
愛した人:ジェリー・ホール
恋多き男として有名な「ローリング・ストーンズ」のボーカル、ミック・ジャガー。マリアンヌ・フェイスフル、マーシャ・ハント、ビアンカ・ペレス・モラ・マシアス(1971年に結婚)と入れ替わり立ち代わり女性たちと交際してきたミックですが、1977年頃にジェリー・ホールと出会います。
ジェリーは1970年代に大活躍したアメリカ人モデル。当時ジェリーはブライアン・フェリーの恋人でしたが、ミックが略奪した形で交際がスタート。長年事実婚を続け、4人の子どもも誕生。70年代後半からローリング・ストーンズは、音楽的には不調に陥っていたものの、ジェリーと付き合い始めた後、再び絶好調に。
しかし1999年にミックの隠し子が発覚し、22年間の関係に終止符を打つことに。その後ジェリーは女優としても活躍し、ミックに負けないぐらい(もしかしたらそれ以上!?)多くの恋愛遍歴を重ねた後、2016年にメディア王として知られるルパート・マードックと結婚! 世界をあっと言わせました。結婚当時、マードック氏84歳、ジェリー59歳。ジェリー様、さすがです!
パティ・スミス
愛した人:サム・シェパード
パティ・スミスは、味わい深い歌声と独特のファッションセンスが光る佇まいで、パンクロックの女王の座に君臨しつづけているミュージックシーンの重鎮。
数えきれないほどたくさんの男性と噂になった恋多き女性ですが、彼女の「元恋人」の中でも特に語られることが多いのが、俳優兼劇作家のサム・シェパード。
二人が1970年に出会ったとき、サムはその1年前に結婚したばかりの既婚者でした。元々パティとサムの妻(俳優のオーラン・ジョーンズ)は友人であり、3人の仲はパティとサムが付き合っていたときも「悪くなかった」という奇妙な関係だったそう。
サムとパティは舞台『カウボーイ・マウス』を共同で書き上げ、共に舞台に立ちました。お互いの感性を刺激しあうこの恋愛関係は1年で終わり、サムは家族と共にロンドンへ転居。しかし仕事上のパートナーとしての関係は続き、2007年にパティがリリースしたアルバム『Twelve』でも共演しています。
デヴィッド・ボウイ
愛した人:イマン
1955年にソマリアで生まれ、1970年代から多くの一流デザイナーのミューズとして活躍し、スーパーモデル黎明期を支えたモデル、イマン。そんな彼女に一目惚れしたのが往年のスーパースター、デヴィッド・ボウイ。
雑誌に掲載されていたイマンの写真を見たボウイは、「彼女に会いたい!」と叫び、スタイリストにデートをセッティングしてもらったのが始まりなんだそう。1992年に二人は結婚(ボウイにとっては二度目、イマンにとっては三度目の結婚)して以来、仲の良いおしどり夫婦として知られていました。
60年代から活躍していたボウイですが、90年代になっても創作意欲は衰えず、イマンと結婚後はさらに挑戦を続けました。2000年に娘アレキサンドリア・ザーラが誕生しましたが、2016年1月10日、1年半の闘病の末ボウイは肝臓がんで他界。
イマンは<ハーパース・バザー>の取材に対し、今なお変わらぬボウイへの愛を語っています。
「娘に一度、『いつか誰かと再婚するの?』聞かれたことがあるけれど、『絶対しない』と答えたの」
ピート・ドハーティ
愛した人:ケイト・モス
「ザ・リバティーンズ」「ベイビーシャンブルズ」のボーカルとして、2000年代初頭のガレージロック・リバイバルを盛り上げたピート・ドハーティ。しかし現在、彼を思い出すときには、“ケイト・モスの元カレ”という印象の方が強いかもしれません。
二人が交際していたのは2005~2007年。当時ピートのドラッグ依存症が、深刻極まりない状態のときでした。ジャンキーのミュージシャンとスーパーモデルのビッグカップルは、プレスの注目を浴びまくり、くっついたり別れたりを繰り返し…。でも二人は関係を隠す様子もなく、楽しんでいたようにも見えました。
しかし2007年に正式に破局。ピートの度重なる素行不良やドラッグ依存に、ケイトが愛想をつかしたのがきっかけだそう。
コートニー・ラブ&カート・コバーン
コートニー・ラブとカート・コバーンは、共に90年代後半のオルタナティブ&グランジ・ロックをけん引したミュージシャンカップル。
「ホール」のボーカルだったコートニーと、「ニルヴァーナ」のボーカルだったカートが出会ったのは1991年。コートニーはほどなくして妊娠し、1992年2月24日にハワイで挙式、そして同年8月に娘フランシスを出産します。しかし多くのスターがそうであるように、ドラッグが二人を蝕むことに…。
1991年には「ニルヴァーナ」が大ブレイク。カートは商業的成功と自分の表現の間に葛藤を抱え、また少年時代からのうつ病にも苦しみました。この時期から二人共にドラッグに溺れるようになり、コートニーは妊娠中もドラッグをやめられなかったほど深刻な状態に。
さらには娘の親権を失いそうになるほど、生活は荒れたものになっていき、カートは何度もリハビリを試みましたが、成功することはありませんでした。
そして1994年4月5日、薬物を摂取した上で、自ら拳銃で頭を打ち抜いたカートの遺体が発見されました。その後コートニーは娘フランシスの親権を失いますが、彼女は立派に成長。現在フランシスは、モデル&シンガーとして活躍しています。
クリッシー・ハインド&ジム・カー
「プリテンダーズ」のボーカル&ギタリストのクリッシー・ハインドと「シンプル・マインズ」のボーカル、ジム・カーは、共に恋多きミュージシャン。クリッシーは「キンクス」のレイ・デイヴィスと交際中に娘を1人もうけており、破局後にジムと出会いました。
1984年、バンドのオーストラリア&ニュージーランド・ツアー中に出会った二人。ミュージシャンとして先輩であり、すでに母親だったクリッシーは、当時23歳だったジムに大きな影響を与えたそう。
1994年に二人は結婚。娘1人が誕生したものの、ジムの長期ツアーなどがきっかけに夫婦関係は悪化し、1990年に離婚しました。しかし娘の親として、そして孫の祖父母として、クリッシーとジムは良い関係を築けているようです。
離婚して28年後の2018年、プリテンダーズとシンプル・マインズは同じステージに立ちました。ちなみにジムはクリッシーと離婚後、俳優のパッチィ・ケンジットと1992年に結婚。息子が誕生したものの、1994年に離婚しています(その後パッチィはリアム・ギャラガーと結婚し、3年で離婚)。
キース・リチャーズ
愛した人:パティ・ハンセン
「ローリング・ストーンズ」のギタリスト、キース・リチャーズは、ロックスターの中では恋の噂は少な目。長年のパートナーであったアニタ・パレンバーグ(二人の間に子どもが3人誕生したものの、1人は生後2カ月で他界)と破局寸前だった1979年、NYのセレブ御用達クラブ「スタジオ54」でスーパーモデルのパティ・ハンセン出会いました。
その日は、パティの23歳のバースデーパーティが開催されていたそうで、キースは彼女を一目見たときから運命的なものを感じ「ハロー、僕の中で何かが起こったようだよ」と語ったのだとか。
出会いから約9カ月、パティのことを忘れられなかったキースは、自身の36歳のバースデーパーティに彼女を招待。その後交際が始まり、1983年のキースの40歳の誕生日に二人は結婚。2人の子どもも誕生し、安定した家庭生活を現在も続けています。