精鋭揃い♡2000年代が誇るカリスマモデル15
デビューのきっかけから手掛ける慈善活動まで、華々しいキャリアをご紹介!
「スーパーモデル」という言葉が広く知られるようになったのは、シンディ・クロフォードやナオミ・キャンベルが一世を風靡した80年代から90年代にかけて。続く2000年代は、一風変わったファッションとともに、次世代のスーパーモデルを輩出した時代。モデルとしての人気を誇るだけでなく、ファッション以外の分野でも成功している逸材を指すようになりました。今回は、そんなカリスマモデルを<Marie Claire>が厳選。デビューのきっかけから現在の様子までをお届けします!
ジゼル・ブンチェン
ブラジル出身のジゼルがランウェイデビューを果たしたのは、1996年、ニューヨーク・ファッション・ウィークにて。その後、一躍超売れっ子モデルに。人気絶頂期には、ヴィクトリアズ・シークレットのエンジェルを担い(2000~2007年)、「ホースウォーク」(膝を高く上げ、脚を前に蹴り出す歩き方)を考案し、シャネルやジバンシィ、ヴェルサーチやサルヴァトーレ・フェラガモに至る、あらゆるハイブランドの広告塔に。『ヴォーグ』の表紙を飾った回数は139回に及ぶそう(うち11回はアメリカ版)。また、いまだに世界で最も稼ぐモデルの一人であり、『フォーブス』の2018年モデル長者番付で5位にランクイン。最近は家族との時間や自身のビジネスに注力するためランウェイからは少し遠ざかっているものの、引退はまだ先になる見込みとのこと(「死ぬまで働き続けたい」との発言も)!
リヤ・ケベデ
エチオピア生まれのリヤは、2002年に『ヴォーグ・パリ』の表紙を飾ってから脚光を浴びました。2003年、エスティ ローダーと契約を結び、同社初のアフリカ系モデルに。ギャップからヴィクトリアズ・シークレット、ドルチェ&ガッバーナ、ルイ・ヴィトンに至るまで、様々なブランドの広告に登用されました。現在41歳のリヤは、トム フォードなどのモデルを担いつつ、慈善家としてのキャリアを積んでおり、なかでもWHO(世界保健機関)との「妊産婦及び乳幼児の健康」支援に注力しています。また、エチオピアの伝統的織物を担う女性職人を支えるため、Lemlemという洋服ブランドも設立。空き時間には、約20万3000のフォロワーを抱えるInstagramを更新しているとのこと。
ナタリア・ヴォディアノヴァ
出身地のロシアで、家計を支えるためにフルーツを売っていたところをスカウトされたナタリア。17歳のときにパリに移り住み、その後世界で最も人気なモデルの1人に。多くの欧米デザイナーのためにランウェイを歩き、その回数は200回を超えるそう。カルバン・クラインと数十億円に及ぶ8シーズンの専属契約を結んだことも話題に。2004年、「最も旬なモデル」として、有名ファッション写真家のスティーヴン・マイゼルの撮影により、ジゼル・ブンチェントとダリア・ウェーボウィともに初めてアメリカ版『ヴォーグ』の表紙を飾りました。さらに2007年7月号では単独で表紙を飾ることに。多くのスーパーモデルたち同様、慈善活動にも従事し、ロシアの地方に住む子どもや、特別支援を必要とする子どもを持つ家族をサポートする団体「Naked Heart Foundation」を設立したそう。
ダリア・ウェーボウィ
ジゼル・ブンチェンやナタリア・ヴォディアノヴァと肩を並べる人気モデル、ダリア・ウェーボウィ。モデルデビューを果たしたのは2003年のこと。同年の秋冬シーズンには、プラダの秋冬キャンペーンの広告塔に登用され、さらに『ヴォーグ・イタリア』の表紙まで飾り、世界で最も熱望されるモデルのポジションのうち2つを独り占めすることに。2008年、エンタメ業界で活躍するカナダ出身者を表彰する「カナダ・ウォーク・オブ・フェーム」に殿堂入り。モデルで殿堂入りを果たしたのは、リンダ・エヴァンジェリスタに続き2人目だったそう。また、2009年にはファッションショーのオープニングとクロージングを担った回数が最も多かったモデルに。これほど成功しているダリアですが、現在は1年の大半をアイルランドのコークで静かに過ごし、数カ月だけニューヨークで暮らしているとのこと。
ジェマ・ワード
2000年代のケイト・モスとも呼ばれたジェマ・ワード。15歳にしてオーストラリア、パースのショッピングモールでスカウトされました。2003年、プラダのデザイナーであるミウッチャ・プラダ自らのリクエストで、世界最大のマネージメント企業のIMGが、ジェマを彼女の元に呼び寄せたとのこと。同シーズンにジェマはプラダのランウェイデビューを果たし、その直後には写真家スティーヴン・マイゼルによる撮影でプラダの広告に起用されたそう。以降、あらゆるブランドのモデルを務め、16歳のときにほぼ最年少でアメリカ版『ヴォーグ』の表紙を飾りました。19歳にして1回のショーにつき2万ドル(約236万円)、年間3百万ドル(約3億5400万円)を稼いだと言われています。ところが、自分のための時間を確保するため、2008年春のショーを最後に5年間ランウェイから姿を消してしまうことに(2008年に当時交際していたヒース・レジャーが死去したこともその一因と言われています)。2013年にはIMGと再契約し、モデル業を再開。当時バズっていたブランド、エコーズ ラッタの顔として、ニューヨークのあらゆるところにジェマが写った広告が見られました。最近では、プロエンザスクーラーとアレキサンダー・マックイーンの2019年春のランウェイを歩いたとのこと。
ココ・ロシャ
2004年にニューヨークのモデル事務所、Supreme(シュプリーム)と契約してデビューを果たしたココ・ロシャ。2年後にファッション写真家スティーヴン・マイゼルと出会い、ジェマ・ワードとアマンダ・ムーアとともにハイファッション系雑誌のモデルに選ばれました。このときの表紙をきっかけにココのキャリアは軌道に乗り出し、2006年2月には『ヴォーグ・イタリア』の表紙に。ロンシャンのモデルとして広く知られ、ジョン・ガリアーノやミュウミュウといったブランドのランウェイも闊歩。バイタリティ溢れる性格から、モデル業の傍ら、リアリティ番組『ザ・フェイス』の審査員や『オーストラリアズ・ネクスト・トップモデル』のゲスト審査員などタレントとしても活躍しています。
ミランダ・カー
2007年、ヴィクトリアズ・シークレット初のオーストラリア人エンジェルになり、一気にスターダムにのし上がったミランダ・カー。その後、クリニークやデビッド・ジョーンズといったブランドのモデルに。2009年に自己啓発本『Treasure Yourself(原題)』を執筆し、今や有名なオーガニックスキンケアブランド、コーラ オーガニックスも設立。2010年にバレンシアガのランウェイを歩いたことで、ハイファッションモデルとしての箔も付くことに。次のシーズンには、エンジェル仲間のドウツェン・クロースやアレッサンドラ・アンブロジオとともにプラダのランウェイを闊歩。オーランド・ブルームとの交際や結婚、息子の出産も話題になりましたが、2013年には離婚。2017年にスナップチャットの創業者兼CEOエヴァン・シュピーゲルと再婚し、現在は2人の間の第2子となる赤ちゃんを妊娠中とのこと。
シャネル・イマン
12歳でモデルデビューしたシャネル・イマン。バーバリー、トム フォード、グッチ、バレンシアガ、マックス マーラをはじめとする多数のブランドのランウェイを歩き、華々しいキャリアを積んできました。ラルフローレンなどの広告に登用された他、ヴィクトリアズ・シークレットのファッションショーに起用され、2010年にはエンジェルに。女優としても成功を遂げた数少ないスーパーモデルの1人です。リアリティ番組「アメリカズ・ネクスト・トップモデル」シーズン13のゲスト審査員を務め、口パク・バトル番組「リップシンクバトル」では、女優のオリヴィア・マンによるテイラー・スィフトの「バッドブラッド」の口パク演奏に参加。オープンな性格とモデルとしての活躍から多くのファンを得て、現在Instagramのフォロワーは180万人にも上ります。今もIMGと契約を結んでおり、モデル業を続けレッドカーペットイベントにも参加していますが、それ以外の時間は、娘のカリー・クレイ・シェパードと楽しく過ごしているそう。
カーリー・クロス
スーパーモデルにしてアントレプレナーであり、フィランソロピスト(慈善家)でもあるカーリー。14歳のときから数々のモデル事務所に属し、現在はIMGと契約を結んでいるそう。ファッションデザイナー、ジョン・ガリアーノのミューズを務めたほか、ダナ キャラン、ラコステ、ランバン、ルイ・ヴィトンをはじめ多くのブランドの広告塔に。モデルとして成功を収めつつ、同時に熱意あるコンピュータープログラマーでもあります。2015年には、コンピューター科学やソフトウェア工学に関心がある女性のための奨学金「Kode with Klossy」を設立。現在はアディダスなどのモデルを務めながら、リアリティ番組『プロジェクト・ランウェイ』のホストを務めています。ちなみに夫のジョシュア・クシュナーは、ジャレッド・クシュナー(トランプ大統領の娘婿)の弟にあたります。
リウ・ウェン
中国で最も成功しているスーパーモデルと言われるリウ・ウェン。17歳のときにモデルコンテストで優勝し、2008年にスカウトされて初めてバーバリーの国際ファッションショーに出演。2009年秋のレディトゥウェア(高級既製服)シーズンには、ニューヨークからパリに至る各地で合計74ものショーに出演。同シーズンで最も多くのショーに登場したモデルとなりました。同時に、アジア人モデルとして1シーズンに歩いたランウェイの数が最多という記録も保持することに。また、2017年にジジ・ハディッドとアシュリー・グラハムとともにアメリカ版『ヴォーグ』の表紙を飾り、同誌の表紙に登場した初の中国人モデルに。さらに、『フォーブス』のモデル長者番付にランクインした初のアジア人になりました。今年31歳になったリウは、ジバンシィやスキャパレッリのファッションショーに出演しており、2020年も引き続き活躍が期待できそう。
アギネス・ディーン
個性派モデル、カーラ・デルヴィーニュがブレイクする前から同系統のモデルとして活躍していたのがアギネス・ディーン。ショートヘアとエッジィな外見で、モデル界に新風を吹き込みました。2007年、ジェシカ・スタムやココ・ロシャと並んで、『ヴォーグ』の「世界の次なるトップモデル」特集の表紙を飾ってブレイク。シャネルやエルメス、ディオール、ランバン、モスキーノ、ヴェルサーチといった有名ブランドのランウェイを歩き、バーバリーや資生堂の化粧品広告にも起用されました。2012年10月、演劇など新しい分野に挑戦するため、モデル界から引退すると発表。最新の出演作はNetflix配信の『タイタン』(2018)だそう。
ジェシカ・スタム
ジェマ・ワードやリリー・ドナルドソンらと並んで「ドール顔」と称された新星モデルの1人、ジェシカ・スタム。カナダ出身のジェシカは、ドーナツチェーンのティムホートンズでスカウトされ、2002年にロサンゼルス・モデル・ルック大会で優勝。直後に写真家スティーヴン・マイゼルのミューズとなったことで、モデルとしての箔が付きました。アナ スイやアルマーニの広告に登用された他、クリスチャン ラクロワからディオール、ジバンシィ、ジャン=ポール・ゴルチエまで、あらゆるブランドのショーに登場。加えて、2005年にマーク ジェイコブスが当時最も人気があったスタイルのバッグのひとつを「ザ・スタム」と命名。現在、ジェシカはモデル業を続けながら、2017年に生まれた娘を育てているそう。
ララ・ストーン
ララの1番のトレードマークは、すきっ歯。『ヴォーグ・パリ』3月号で、ブリジット・バルドーを彷彿とさせるブレイクを果たしてから、脚光を浴びました。フェンディ、バルマン、イザベルマラン、ステラ マッカートニーといったブランドのファッションショーのオープニングに登場。また、プラダの「準専属モデル」に起用されました。これは、プラダのファッションショーの1カ月前から他ブランドのファッションショーに出演できないという契約なのだそう。26歳のときにカルバン・クラインと専属契約を結び、当時としては珍しく、傘下の3つのブランドすべての広告塔に。2010年にはブリティッシュ・ファッション・アワードの「モデル・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、35歳となった今でもファッション・ウィークになるとランウェイに姿を現します。こちらの写真は、エスカーダ2019年春のファッションショー!
ナターシャ・ポーリー
ロシア人のナターシャがモデルとしてブレイクしたのは、2004年。ニューヨーク、ミラノ、パリなど各地で54ものファッションショーに登場しました。主たる功績として、3冊のファッション誌で特集号を組まれ(2008年7月『ヴォーグ・ロシア』や2011年11月『ヴォーグ・スペイン』など)、2012年にはロレアル パリと契約を結んでビューティアンバサダーとなりました。今でもモデルとして活躍しており、ヴェルサーチ2016年春のキャンペーンにジジ・ハディッドとラケル・ジマーマンと並んで登場。この時の撮影は有名写真家のスティーヴン・クラインが担当しました。今年3月に第2子が産まれ、94万以上フォロワーを抱えるInstagramでは、子育ての様子も垣間見ることができます。
デヴォン青木
わずか13歳で、ニューヨークで開催されたあるコンサートにてスカウトされたデヴォン青木。父親が日本人で、兄は有名ミュージシャンのスティーヴ・アオキです。当時の身長は5フィート4インチ(約163センチ)とモデルにしては背が低かったにもかかわらず、16歳になる頃には売れっ子モデルに。同年、ナオミ・キャンベルに代わってヴェルサーチの顔になり、その後もシャネルやサンローラン、オスカー・デ・ラ・レンタ、セリーヌをはじめ、あらゆるブランドの広告に起用されました。最近では、2018年にジェレミー スコットのニューヨーク秋冬ファッションショーに登場。モデル業以外では、映画『ワイルド・スピードX2』や『シン・シティ』に出演。結婚しており、ジェームズ・ハンター、アレッサンドラ・リンヴィル、エレノア・タリサという3人の子どもがいます。娘のアレッサンドラは、GUESSキッズ2018年春の広告に登用されたそう。母親の足跡を辿ってモデルの道を歩むことが期待できそう…?
※この翻訳は、抄訳です。
Translation:Takako Fukasawa(Office Miyazaki Inc.)