高校受験の願書提出締切日の当日、「願書の性別の欄に丸がつけられない」「願書が出せない」と息子の颯空(さく)さんから突如打ち明けられた浦狩知子さん。それは、我が子からの必死の訴えでした。
現在は、NPO法人「LGBTの家族と友人をつなぐ会」という団体の理事を務め、自身がカミングアウトを受けたときの体験談を、講演会やメディアへの出演を通して発信し続けている浦狩さん。
今回は、我が子からカミングアウトを受けた当時の心境や親としての葛藤、カミングアウトを受けて悩んでいる方たちに向けたメッセージなどをお伺いしました。
浦狩知子さん
何度も「ごめん」と謝る我が子に…
――颯空さんからカミングアウトを受けた当時のことを教えてください。
カミングアウトを受けたのは颯空が中学3年生、15歳のときで、今から約9年前のことです。学校が冬休みに入る前日のクリスマスイブで、その日は高校の願書の提出締切日の当日でした。私の家庭は、夫が単身赴任、颯空には兄と姉がいますが、二人ともすでに自立して別で暮らしていたので、その日も颯空と二人で過ごしていたんです。
私はクリスマスケーキを食べてくつろいでいたんですけど、そのとき颯空がとても真剣な声で「お母さん」と声をかけてきました。それまで見たことがないほどの真剣な表情で、体は少し震えているようにも感じました。瞬間的に「これはただごとではない」と感じて、私は正座をして颯空と向き合ったんです。「どうしたん? 大丈夫やよ」と声をかけると、颯空は下を向いて小さく震えながら「ごめんなさい」と一言。
何に対して謝っているのかはわからなかったんですが、とにかく何度も「ごめん」と言うんです。私も「どうしたん? 大丈夫やよ」とばかり声をかけました。しばらくして、やっと「願書が出せん…!」「性別の欄に丸ができやん」と告げてくれたんです。
私は楽観的な母親で、「それだったら性別の欄は空欄で出しとき」と伝えました。そのときはまさか颯空が性自認のことで悩んでいるなんて思ってもいなくて…。
すると颯空は、「違うんや」と今度はしゃくり上げながら「もう、生理もスカートも限界や!」と言ったんです。「うちはお母さんに赤ちゃんを産んであげられません…」「ごめんなさい。ごめんなさい」と言うんです。そんな颯空の姿は、それまで見たことがありませんでした。
そのとき、私はまだ颯空が自身の性自認について打ち明けてくれていることをわかっていませんでしたが、「高校は男子として入学したい」と、泣いて伝えられたときに色々なことが繋がったんです。
「高校は男子として入学したい」
実は颯空はその日まで、進学を希望する高校を教えてくれませんでした。半年前の夏休みぐらいから、聞いてもはぐらかされていたんです。「どこへ進学するつもりなんだろう?」と、親としてはすごく不安を感じつつも、「でもこれは親が急かすのではなく、本人が決めることだから」と、颯空に任せていました。
思い返せば、颯空は幼稚園に通っていた頃、「お母さん、私にはいつおちんちんが生えてくるの?」と聞いてきたことがありました。小学生の頃はいつも男の子のなかに混ざって遊んでいましたし、中学生のときは制服のスカートを嫌がって、いつもカバンに丸めて詰めていました。
こうやって、それまでの出来事の点と点が繋がったような気がして、そのときに初めて颯空の葛藤を知ったんです。「高校は男子として入学したい」と聞いたときに、「やっと行きたい高校を教えてくれた」という気持ちになりました。
もちろん突然のことで混乱しましたし、本当にえらいこっちゃと思ったんですけど、こんなときこそ褒めてあげたいとも思って「偉かったね」と伝えました。
その後に、「スカートを履かなくていい学校を探すからね」「生理は、止められるお薬があるから、お医者さんを探すね」とも伝えました。でも、当時は今ほど世間がLGBTQ+の方たちの存在を認知しているわけではなかったので、ほとんど何も情報がなくて…。そんななかでも、とにかく颯空を安心させるために咄嗟に言ったんです。
周囲にトランスジェンダー当事者であることを公表するには難しい時代・環境でしたが、だからこそ私は颯空に「家の中では安心してね。男の子として育てるから」と伝えました。この言葉に颯空は安心したようで、やっと少し元気になってくれましたね。
――颯空さんからのカミングアウトを受けて、不安もあったと思います。浦狩さんはどのように気持ちを切り替えられたのでしょうか?
もう願書の締切日だったので、颯空を男の子として高校に通わせてあげるためには、すぐに動き始めないといけませんでした。
ただ、私も当時はLGBTQ+についての知識がなかったので、誰かに相談をしたくて…。それで、私が中学生のときの担任の先生に40年ぶりに電話をかけたんです。卒業してからそれまで一度も連絡を取っていませんでしたが、私の名前を伝えたら覚えてくれていました。
当時の状況を泣きながら相談して「先生は颯空のような子どもを教えたことがありますか?」と聞いたら「ないなぁ。でも、おったに違いないんや」と言うんです。そして、「知子(浦狩さん)、しっかりせえよ。その子たちの人権は絶対に守らなあかんのや」と言われました。その言葉をきいたとき、スッと背筋が伸びた気がしましたね。
ズボンを履いて通える高校探しに奮闘
当時の世の中では、性の多様性についてまったく議論がされていませんでした。そして、LGBTQ+の当事者が表に出ることもほとんどありませんでした。
ですから、いきなり「男の子として高校に通いたい」と相談をしても、学校側にはインパクトが大きすぎると考えて、まずは颯空が通っていた中学校に「私の子どもがズボンを履きたいと言っています。どこかズボンを履いて通える高校はありませんか?」と相談してみました。
ありがたいことに中学校の校長先生は私たちに寄り添ってくれて、一緒に学校探しをしてくださいました。ただ、公立高校で性別に関わらずズボンを履いて通える高校は一つもありませんでした。「高校は勉強をするところだから、服装の自由は許されない」と言われましたね。
私立高校も片っ端から調べて行きましたが、どこにも受け入れてもらえず…。そんななか、最後の望みだと思ってとある私立高校に直接電話をかけたら、たまたま副校長に電話対応をしてもらえました。
事情を話したら「大丈夫ですよ」と即答してくださって、やっと一校だけ颯空がズボンを履いて通える高校が見つかりました。「今時はいろんなお子さんがいますから、『スカートを履きたくない』って言う子もいるでしょうね」と言ってくれて、思わず膝の力が抜けてしまうほど嬉しかったですね。
相談先も情報もない状況に募る不安
――「生理も限界」という颯空さんの訴えにはどのように向き合われたのでしょうか?
当時はインターネットで調べても、情報がまったくありませんでした。“性同一性障害”と調べると「“精神科”へ行け」と出るだけ。それ以上の知りたい情報を得られないことに不安が募ってしまい、それからインターネットはあまり見ないようになりました。
だから生理に関する相談は、地道に産婦人科へ電話をして、「生理を止めたいんです」と相談をするしかありませんでした。本当の理由を話しても受け入れてもらえないと思ったので、「受験の日だけ生理を止めたい」と相談してみたり…。でも「15歳の子どもの生理を止めるなんて、あなたは間違っている!」と電話をかける先々で怒られてしまいました。少しでも耳を傾けてくれそうな感じだったら、本当の理由を話したかったんですがね。
精神科へも相談しました。そこでは、先生から「15歳の子に“精神病”の診断名がつくと一生それがついて回るから、今は様子をみましょう」と言われ、次に泌尿器科に「男性ホルモン注射を打ったら生理を止められるのでしょうか?」と相談をしたら、それも先生からすごく怒られました。
性別違和について詳しいという大学病院を探し当てて連絡をしてみても「今はやっていません」と言われたり、性別違和を抱えている方たちをよく診察されているという美容外科の先生に連絡をしてみても、「お子さんが18歳になるまでは何もできません※」と断られたりもしました。
ありとあらゆる機関に断られ、最終的にたどり着いた「思春期外来」というところでは、「子どもの思春期に起こる、ほとんどの問題の原因は親にある」と言われました。「まずは親御さんが来てください」と言われて、夫と二人で行ったこともありましたね。
※2023年6月現在、ホルモン療法の開始可能年齢は条件付きで15歳に引き下げられています。
――そのような状況で、心も体もとても疲れを感じていたのではないでしょうか?
颯空に打ち明けられてから1カ月は、毎日仕事も早退と遅刻ばかりになりました。職場の人にも「形相がおかしい」と心配されたり…。夫へは最初、電話で打ち明けようとしたのですが、なかなか言葉が出てきませんでした。そんな私の様子を心配してか、夫はすぐに単身赴任先から帰ってきてくれましたね。
その頃の私はほとんど意識がないような感じで暮らしていて、昼間はボーっとしていて、夜も寝られませんでした。夫は、「当時のことを思い返すと、颯空よりも、精神状態が不安定な私のほうが心配だった」と言っています。
でも当時は本当に、学校を探しても病院を探しても「うちでは対応していない〇〇へ連絡してみてください」とばかり言われて、「もう、これ以上どこへ相談をしたらいいんだろう」と、途方にくれていたんです。
我が子からのカミングアウトに涙する親も…
――当時は、当事者やその家族をつなげるコミュニティなどもあまりなかったそうですね。浦狩さんが通われていたというコミュニティの雰囲気はどのようなものだったんでしょうか?
どこの病院へも相談をできるような状態ではなかった状況を受けて、「私たちの住んでいる三重県には、同じような状況で悩んでいるのはうちの子だけなんだ」と感じていました。そんななかで、LGBTQ+の当事者やその家族が交流するコミュニティに出会うことは難しかったです。
だから、県外にそういった場所を探しに行こうと思いました。そして友達伝いで、神戸に「LGBTの家族と友人をつなぐ会」があると知ったんです。それからは、片道3時間半ぐらいかけて、毎月神戸に通っていました。
当時の交流会では、当事者とその親たちが自分たちのカミングアウトの経緯などについて話をしたり、「まだ家族へ打ち明けられていない」と話す当事者が、どうやって伝えるかを相談していたり、我が子からのカミングアウトを経験した親が「受け入れられなくて悩んでいる」と話し合うような場でした。
まだまだLGBTQ+についての理解が進んでいない時代でしたから、交流会の内容はほとんどが後ろ向きな話題でしたね。主催者側はもっと前向きな話題につなげたかっただろうと思うんですが、我が子からのカミングアウトを受けた母親が「私は息子を産んだのに! どういういことですか…!」って泣きながら訴えている姿も目にしました。
そんな時代を経て、今はLGBTQ+についての理解も段々と広がってきましたよね。現在は、「我が子が“その子らしく”生きるためにはどうしたらいいのか」ということや、「ホルモン療法を受けられない未成年の子どもたちが、自分の性について身体的な面で違和感をなるべく感じないように暮らしていくにはどうしていけば良いのか」などを考えようと、前向きな気持ちで参加してくれている人が多いです。約9年前に比べて交流会の雰囲気もとても明るくなりました!
本人の苦しみに目を向けて
――我が子からのカミングアウトを「受け入れることが難しい」と感じる方たちへ向けて、メッセージをいただけないでしょうか?
当時私が精神科の先生に言われてとても記憶に残っているのが、「お母さんがしんどい気持ちの10倍、100倍、本人は苦しんできたと思うよ」という言葉です。眠れない夜も将来の不安も、私たちよりも当事者である本人のほうが10倍、100倍経験してきたはずです。
親として葛藤する部分もあると思います。でも、子どものほうもどうしたらいいかわからない状況のなかで相談してくれたんでしょう。彼らを責めないであげてください。
「大丈夫だよ」「あなたは間違っていないよ」と言ってあげてください。「私もこういったことを勉強したことがない。だから一緒にどうしたらいいか考えよう」と声をかけてあげて欲しいです。
LGBTQ+当事者は身近にいる
――今後、浦狩さんが力を入れていきたい活動について教えてください。
現在は昔に比べて、LGBTQ+の当事者とその家族が、自身が抱える悩みを共有できるコミュニティが増えてきました。これからは、より一層LGBTQ+コミュニティと社会との繋がりをつくっていきたいと考えています。たとえば、小中高の学校へ当事者の方たちと出向いて、みんなで性の多様性についてお話をしたいですね。
実際に子どもたちに話を聞くと、9割の子たちが「LGBTQ+の当事者に会ったことがない」と言います。そんな子どもたちに、実際にLGBTQ+の人たちは身近にいて、みんなと一緒に暮らしているんだよ、ということを知らせたいです。子どもたちのロールモデルとなってくれるような当事者の方たちを連れて、みんなで一緒にゲームをしたり、前向きに体験談を伝えたり…。
子どもたちの中にも、悩んでいるLGBTQ+の当事者がいるかもしれません。そういった子たちを、良いロールモデルと会わせてあげたいです。そう思って、新たな活動の企画を始めました。
そして今、三重県いなべ市の住民の方たちと一緒に「素自」という言葉を創作しました。小中学校の子どもに「LGBTQ+」と言ってもなかなか伝わらない場合もあるから、もっとわかりやすく「そのままのあなたで大きくなってね」というメッセージを伝えたくて、「SOGI」に日本人に馴染みのある漢字を当てました。
子どもたちには、「シスジェンダーの人も、誰もがそれぞれの性的指向と性自認をもっている。LGBTQ+の人が特別というわけではないよ」ということを、小さい頃から認識してもらうことが大切だと思っています。
他にも、中高生で悩んでいる子にはどのような居場所をつくっていったらいいのか、ということも考えています。今はインターネットが普及して、昔と比べると人とのつながりをもちやすくなったと思います。一方で、ネットで情報がたくさん得られるようにもなったので、焦ってしまって先走ってしまう子も多いんです。
医師に一度も相談をせずに、ネットの情報だけを信じて危ない医療行為に関わってしまった子の話を聞いたことがあります。医療行為は、きちんと病院で相談をしたうえで受けるべきです。手術が悪いと言っているわけではありません。自分の体を大切にして欲しいから、安全にしっかりと手術を受けて欲しいんです。
悲しい事故や体験をさせないために、子どもたちには、しっかりと性別違和に関する診断や治療のガイドラインを伝えていくことも大切だと思っています。