名前の響きからしてカッコいい、エディット・ピアフ。

彼女はフランスを代表するシャンソン歌手で、活躍したのは第二次大戦前後、なんと47歳の若さで亡くなっています。この人の人生を調べていて、ああ、ビリー・ホリデイに似てるかも…と思ったら、なんと二人は同じ年生まれ。活躍した時期もほぼ同じなら、死んだのも47歳と44歳と近く、底辺の貧生まれと育ちも、歌の才能も、酒とドラッグに溺れた晩年もめちゃめちゃ似ています――あるピアフ独特のしくじりを除けば。 …それは後で書くとして。

この人の性格がどんなだったかを物語るエピソードをひとつご紹介しましょう。

エディットの晩年のこと。当時の彼女は薬物依存の影響で舞台どころかベッドから立ち上がるのも精いっぱい、でも借金まみれで公演ができなければ関係者は揃って破滅という状況でした。そんな中、どうにかギリギリのところで奇蹟の復活をした彼女。ところが開幕直前に用意された衣装が“新しい”ことで、「チクチクする服は着られない!」と世話係のダニエルを叱り飛ばします。震え上がったダニエルは彼女に言われるままに、誰かに一度着馴らしてもらうべく衣装をもって楽屋を飛び出します。そしてエディットは一言。

「ああ、誰かを怒鳴ると気が楽になるわ! もう大丈夫よ」

おいおいおい、自分の緊張をほぐすためのサンドバッグかよ、サンドバッグ替わりかよ! と、ダニエルのために言いたくなります。自分勝手で気分屋で辛辣、こんな人についていくの私なら絶対無理ですが、それでも彼女の周りには最期まで、彼女を愛する人がいたんですね。なんと亡くなる1年前に20歳年下の男性と結婚し、この人が彼女の死後に残った負債を完済しています。

Edith Piaf And Her Husband Singer Theo Sarapopinterest
Keystone-France//Getty Images
エディットと、夫テオファニス・ランボウカス。この写真はエディットが亡くなる約半年前に撮影されたもの。

もちろんそれは、彼らが彼女の才能い惚れ込んでいたからでしょうが、それに加えて彼女にはすごく純真なところがあったんですね。ビリーにはない彼女独特のしくじりは、ある意味でその純真さの一端を伺わせるもの。実は彼女、ものすごい“スピリチュアル系”だったのです。

死んだ最愛の恋人の声が聴きたくて、ドハマりした交霊術

妹のドニースによれば、そもそも超自然的なものに強い興味があったというエディット。それが完璧に決定づけられたのは、急性角膜炎によってしばらく失われていた視力を取り戻した7歳の時。もちろん治療もしていたのですが、たまたまその頃に「聖テレーズ」への数日間に渡る祈祷をしていたために、彼女はそれを奇蹟と信じるようになります--というか、奇蹟だと信じたかったじゃないかな~と思います。

それ以降、彼女は様々な「ゲン担ぎ」――契約などは必ずラッキーな木曜日、秘書を雇うなら魚座、自分の人生で重要な人のイニシャルはCとM、公演前の楽屋で必ずロザリオで儀式など――をするようになります。そうしたものを信じることは必ずしも悪くはないけれど、めちゃめちゃとっ散らかっている時、不安や孤独で心が弱っている時などは、ちょっと用心が必要です。そういうものを“信じがち”な性格を利用されちゃうからです。

彼女にとってのそんな瞬間は、35歳の時。生涯で最愛の恋人、プロボクサーのマルセル・セルダンが、飛行機事故で突然、不慮の死を遂げてしまったんですね。でもって、その当時のことを振り返る彼女の言葉が、こちら。

「マルセルの死後、私は交霊術を信じ、(交霊会に使う)回転テーブル(丸テーブルのこと)の予言を信じるようになりました」

Piaf And Cerdanpinterest
Hulton Archive//Getty Images
写真右が、マルセル。

さて誰がこういうことを彼女に吹き込んだか。

エディットの自伝によれば、ある友達に「マルセルと話してみたいと思わない?」と言われ霊媒師のもとにつれていかれたとあります。妹のドニースの著書によれば、その主とは、幼い頃からエディットと行動を共にしていた幼馴染「モモーヌ」ことシモーヌ・ベルトー。そしてモモーヌの著書では、エディットが自分から言い出したことになっています。いろんな本を読むと、どちらにしろモモーヌが、この機会にエディットの悲しみに付け込んだ感じは否めません。つまり交霊会で霊媒師に「マルセルが、モモーヌに70万フラン(約2600万円)渡してやれと言っている」と言わせるわけです。エディットにくっついて長年取材していた新聞記者ジャン・ノリはこう書いています。

「毎晩そのように、死者の世界からマルセルが、富の分配を命ずるのだった。(中略)騙す者たちは手加減せず、エディットは女王のように威厳に満ちたまま、声を立てることもなく、すっかり羽をむしり取られていった」

もちろん周囲の心ある人は忠告するわけですが、エディットは「他人が信じられないなんて」と、そういう言葉を退けてしまいます。あまりに世間知らずで危なっかしく、こういうタイプを放っておけない、という人は結構いるんじゃないかなあ。

何をするにも全身全霊、身も心も常に傷だらけ

さてこの悲しい経験を経て生まれたのが、今も歌い継がれる世紀の名曲「愛の讃歌」です。とはいうものの、エディットから出てくるマルセルに関する言葉はあまりに高潔で美しく――盲目のアラブ人の友人を北アフリカから呼び寄せて治療を受けさせたとか、対戦相手の老いたボクサーに懇願されKOしなかったとか、ファイトマネーをすべて孤児に寄付したとか――私のような薄汚れたタイプは「ホンマかいな」と思わずにはいられません。

でも自分の人生におきたあらゆる不幸を、作品として昇華できる人――そしてそれを作り演じるうちに、事実とは別の美しい真実にしてしまえる、そしてその物語を心から生きられる人――を、アーティストと呼ぶならば、彼女こそは本物のアーティストに違いありません。

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Edith Piaf - L'hymne à l'amour + Paroles
Edith Piaf - L'hymne à l'amour + Paroles thumnail
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でもそうして不幸を乗り越える力強さの裏側で、酒や薬物や交霊術など、現実味のない何かに依存しなければ生きていけない姿には、驚くほどの脆さも感じます。晩年のお気に入り作曲家で、そのツアーに同行したシャルル・デュモンは言います。

「(エディットは薬物の)注射に慣れてしまっているから、何本も打ってもらわないと(中略)虚脱状態で動けないし、しゃべることもできないのだ…。ぼろきれさ! あの人のおかげでぼくらは地獄さ。だけど、あの人を憎めないのだ、とても脆くて可哀想で、文句を言えなかったのだ」

こう言ったらなんですが、エディットは全然美人でなく、力強い歌声は色っぽさとは無縁で、身長は147cmとめっちゃ小柄。猫背でヨタヨタ歩く姿は、不摂生と相まって、40代にして老婆のようだったといいます。何をするにも全身全霊で、身も心も常に傷だらけになりながら、才能で世界を魅了する――その姿を見た近しい人々は、自己中心的な振る舞いにさえも痛々しさを感じていたに違いありません。もちろん本人は無意識で。

こういう女は本当のワル、もう絶対に真似できないし、絶対にかないません。

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(参考文献)

『わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝』 エディット・ピアフ

『我が姉エディット・ピアフ』 ドニーズ・ガッシオン

『エディット・ピアフ 「バラ色の人生」挽歌』 ジャン・ノリ

『愛の賛歌 エディット・ピアフの生涯』 シモーヌ・ベルトー