ヴィヴィアン・リーといえば、1950年代に活躍した英国出身の大スターで、歴史に残る“絶世の美女”。古くはモンローにヘプバーンにデートリッヒ、現代ならスカヨハにエマ・ワトソンにブレイク・ライブリー…と、掃いて捨てるほど「美女と呼ばれる人」がいる映画業界。でもそういう「美女と呼ばれる人たち」とヴィヴィアンの違いは、彼女らは、キュートやコケティッシュ、セクシーなど他の形容ができる一方で、ヴィヴィアン・リーは「美女」以外に形容のしようがないこと。イメージとして近いのはニコール・キッドマンですが、彼女をよりエキゾチックに、さらに“美女圧(美が発する圧力のこと。今つくった造語)”を5割増しにした感じ。

まずは英国内にその美しさを知らしめた『美徳の仮面』という舞台の模様を描いた文章をご紹介しましょう。

「最初に登場した瞬間から、(中略)ヴィヴィアンの身にそなわった魅力が魔法のように観客をつつんだ。 舞台で何が起っていようと、観客は彼女から目を離すことができなかった。ライトと衣装が彼女の古典的な長い頸と象牙のように白い肌と完璧な顔をきわ立たせて、静止しているときはフィレンツェ派の絵画のように見えた」

さて、一躍時の人となった彼女は、ある決意を口にします。「私、ローレンス・オリヴィエと結婚するわ」。その当時、英国女子をメロメロにしていた大スターにして名優、オリヴィエ、彼女はその大ファンだったんですね。いやでもこの時点でポッと出の女優が何言っちゃってんの? って感じですが、これを5年後に実現しちゃうんだから「美女圧」すごすぎ。しかもこの時点でオリヴィエ既婚者だし、てかヴィヴィアンも既婚者で子持ちだし! ワルですね~。

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「スカーレット・オハラは私のもの」無名女優だけど超強気

ヴィヴィアンのすごいところは、「私は、〇〇〇する」と決心して宣言したが最後、身も世もなく突進し、それを成し遂げずにいられないことです。私の見たところ彼女の人生の三大野望は、ひとつは「ローレンス・オリヴィエとの結婚」。そしてそれと前後して心に決めたもうひとつの野望が、「『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラ役をゲットすること」です。

映画史に残る超大作『風と共に去りぬ』は大ベストセラー小説の映画化作品で、アメリカ南部の令嬢スカーレット・オハラが、真実の愛を探しながら、南北戦争の動乱を力強く生き抜いてゆく様を描いた大河ドラマ。

当然ながらハリウッド中の女優がこの役を狙っていたわけですが、ぜんぜん決まらない。というのもスカーレットが、あまりに強烈なキャラだったから。気まぐれで我がままで常に上から目線、時にヒステリックなほど激情的で、自分が愛されるのが当然と思っているために他人の目なんて全然気にせず、かと思えば行動力は抜群で、めちゃめちゃ打たれ強い。たとえ一時はボロボロになっても「私が誰かに傷つけられるなんてありえない」てな具合で、煮詰まりきると「明日考えよ」と立ち直る。近くにいたら大災難、というタイプです。

原作を読んだ時点でこの役に入れ込んだヴィヴィアンは、映画化の話を聞くやエージェントを通じて問い合わせますが、もちろん「君のことなんて知らん」と門前払い。折よくハリウッド進出したオリヴィエに、ツテを作って! と手紙を送り、でも待ってられずに船と飛行機を乗り継いでロサンゼルスへ。資金的にこれ以上引き延ばせないと、顔の映らない代役をたてて、ヒロイン不在のまま始まっていた撮影現場に潜り込みます。そこでハリウッドの大プロデューサー、デヴィッド・セルズニックに見初められます。

「(撮影中だった屋敷が焼け落ちる場面の)炎が彼女の顔を照らした。私は一目見て、彼女がぴったりであることを知った。少なくとも、彼女は私が考えていたスカーレット・オハラそのままであった」

この映画化以降、「スカーレットと言えばヴィヴィアンしか浮かばない」というような、世紀のはまり役がここに誕生します。

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『風と共に去りぬ』より。

人の心をかき乱し虜にする、悪魔的な美しさ

なんでこんなにハマったか。その理由は2つあるような気がします。

ひとつは根本として彼女とスカーレットと似ていたから。彼女はスカーレット同様のお嬢様育ちで(さらにこれだけ美人だし)、上流階級の優美さ、高潔さ、傲慢さみたいなものを、生まれながらに持っているんですね。知性とプライドと礼儀正しさの裏返しとして、自分を貶めるようなことを許さない、自分の意思を曲げない、すごい強さがあるんですね。

現場ではこの性格が、この時代のマッチョ代表みたいな監督ビクター・フレミングと強烈な対立関係を産み出します。例えば、スカーレットをただのメロドラマのヒロインとして描くつもりだったフレミングは、「もっと谷間が見えるように」とヴィヴィアンのおっぱいをテープで寄せ上げさせ、彼女は激怒したりなんかして、関係は最悪。

撮影中に監督が何度かにわたって職場放棄、間に立ったプロデューサーは健康を損ねた上に結婚生活が破綻し、さっさと撮影を終わらせたいヴィヴィアンは1日の労働時間を自ら増やして取りつかれたように働き、最終日には目は落ちくぼみ、頬もげっちょり。最終日に冒頭の16歳の場面を撮影するはずだったのに全然16歳に見えず、ありものをつないでその場面を作った、なーんてエピソードもあったようです。

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彼女の大変なところは、こうと決めたら「まいっか」と流せないところ。他人に対してはもちろん、自分に対しても許せない潔癖な完璧主義者です。例えば。

彼女が身の回りに潔癖であったのは気違いじみていた。白い手袋を何ダースも持っていて(あるときはきれいに洗濯して、一組ずつ紙袋に包まれた75組の手袋が衣装戸棚の一番上の引き出しに入っていた)、しみがついた手袋をはめないですむように、いつもきれいなのを一組ハンドバッグに入れていた。彼女はいつも香水を持って歩いていて、身体の匂いを防ぎ、部屋の匂いを防ぎ、息の匂いを消すのに使っていた。そして、家にいても、誰かを訪ねていても、ホテルにいても、毎晩、汚れた衣類をたたみ、椅子の上におき、とくにつくらせた美しい薄いピンクのサテンの四角い布で覆った。

てかそもそも手袋なんで必要? と思わなくもありません。『風と共に去りぬ』でスカーレットが香水でうがいをする場面にぶっ飛んだのですが、あれを本当にやってる人がいるとは…。ともあれこんな調子な彼女は、何か起こるたびに不眠、激やせ、ヒステリーみたいなサイクルで、身も心もすり減らしてゆきます。もちろん仕事でも。女優としての彼女に惚れ込んでいたジョン・キューカー(『風と共に去りぬ』の最初の監督)は、その魅力をこんなふうに思っていたようです。

「外見の彼女が洗練されていて、優雅で、礼儀正しく、それでいて、内側にはなにかしら異常で、激しいものを秘めていた――女が二人いるといってよかった」

彼女の一番近くにいたローレンス・オリヴィエも。

「彼女は人の心をかき乱すような魅力。彼女の熱烈な賛美者たちの群れを虜にさしめたのも、その不思議で感動的な威厳の火花のせいかもしれない」(抄訳)

時に誰も手が付けられないほどヒステリックに暴れ、口にするのもはばかられる汚い言葉で周囲を罵り、急激にしぼんだかと思えばその記憶がないという彼女が、どうやら双極性障害(躁鬱)だと分かったのは、2度目の流産を経た1945年前後のことだったようです。

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ローレンス・オリヴィエとのツーショット(1941年撮影)

すべてを犠牲にして「大女優」という夢を追った生涯

さて、なぜスカーレット役がそんなにもハマったのか。その二つ目の理由は、当然ながら彼女が――その狂気も含めて――素晴らしい女優だったから。

「スターなんて空虚なもの。私は女優になりたい」と彼女が言い続けた根本には、少女時代からあった三大野望の最後のひとつ「大女優になる」がありました。名優ローレンス・オリヴィエへの熱烈な愛情は、この思いと重なっている部分がものすごく多いように思います。

彼女にとって彼は神であり、彼のような女優、彼と並んで恥ずかしくない女優になる=大女優になることだったんですね。実のところ、彼女はオリヴィエよりも先にオスカー主演女優賞を獲得し、さらに『欲望という名の列車』で二度目を獲得し、同作品の舞台版ではトニー賞も獲得しています。でも彼女の完璧主義にとってそれでも「大女優」には足りず、結果として身も心も焼き尽くされてしまったのかもしれません。

1960年、ヴィヴィアンの病に疲弊しきったオリヴィエは、新たな恋をきっかけに離婚を提案。彼女は「あなたが望むことなら、どんなことでも」と承諾したといいます。

そんなヴィヴィアン・リーが、自身の53年の生涯を「自殺」で終わらせなかったことに、私は不思議な感動を覚えます。彼女の強すぎる完璧主義は、病によって自分が自殺することすら許さなかった。そんな風にさえ。

形としては妻にも母親にもなったのに、本当の意味ではどちらにもならなかった彼女は、全身女優。その悪魔的魅力で周囲を魅了すると同時に大波乱に巻き込んで、それを貫き通した人。これもやっぱり、幸せな人生なのかもしれません。

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1966年2月に撮影された晩年のヴィヴィアン。この翌年の7月8日、53歳にして他界。

(参考文献)

『ヴィヴィアン・リー』 アン・エドワーズ

『「風と共に去りぬ」 ヴィヴィアン・リー』

『一俳優の告白』 ローレンス・オリヴィエ