ビリー・ホリデイは、アメリカで最も偉大なジャズシンガー(最も偉大な“女性”ジャズシンガーではなく)と言われる人です。シンガーとしての力量、さらに革新的なスタイルなど偉大の理由はいくつもあるのですが、特に彼女を伝説的な存在にしたのが、1939年に発表された曲「奇妙な果実」。この歌詞が、当時のアメリカにどれだけ衝撃を与えたか、どれだけの白人が罪悪感と憎悪を募らせ、どれだけの黒人が号泣し共感し嫌悪したか――は後述するとして。

まずは人をして「戦闘的」、「一匹狼」、「レディ(何様)」と言わしめた彼女が、どんだけ「きかん坊」だったかがわかるエピソードを。

「ビリーはステージに上がって、ショウの出だしから1、2曲歌った。そこで歌をやめたんだ。なにかで客が気くわなかった。音楽がわかっちゃいないとか、やかましいとか。それで2曲で切り上げたんだ。(中略)ビリーはそんな具合で客に背を向け、おじぎをすると衣裳をまくり上げて尻を出した。客は息が止まるほど仰天した。(中略)黒人が『ケツにキスしな』といい尻を見せたのはこの時だけだ」

ワルですね~。時代は1930年代、黒人差別バリバリの時代です。時々カラオケでも自分の歌を聞かないと怒る人いますが、ここの客は金払って見に来ている白人ですから、彼女がどんだけ恐れ知らずか、推して知るべし。

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マンハッタンのナイトクラブでパフォーマンスをする、32歳頃のビリー。

もちろんそれだけじゃありません。ナイトクラブの女性歌手がしなを作り媚を売ってチップを稼ぐのが当たり前の時代、ビリーはそれを決してやらなかったといいますし、ステージの後に「俺の“奇妙な果実”を見せてやる」と卑猥な写真を見せてきた、その客の頭を椅子でかち割った、というエピソードもあります。

どの国でも露出狂が言うセリフが大して変わらないことに呆れるばかりですが、この手の男をぶっ飛ばせる豪胆な女子はなかなかいません。彼女は自分を貶める行為を、自分にも他人にも許さなかったんですね。自伝にもこうあります。

「13歳の時私は、本心以外のことを言ったりやったりしまいと固く決心していた。本当にそう思わぬ限り“プリーズ・サー”とか“サンキュー・マダム”などという心にもないことを言うまいと考えた」

こんな言葉を聞くと思いますね。はて、13歳の時にいったい何が?って。

「殺されるよ」と言われながら歌った、運命の曲「奇妙な果実」

その当時の彼女は、生活のためにNYのハーレムで売春婦をやっていました。その売春宿で唯一の黒人売春婦でしたが、黒人男はお断り。理由は10歳と12歳の二度にわたって、黒人男にレイプされたことがあったからです。そして「多く払うから」と口説かれて相手をした黒人客に半殺しの目にあわされたのが、おそらくちょうど13歳くらいの頃。

それ以降、黒人の相手は絶対にお断り。ハーレムの顔役の相手を断り、いわれのない罪で刑務所に入ったりもしています。

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刑務所から出た15歳のビリーは売春婦を辞め、飛び込んだナイトクラブで歌手として雇われます。父親はジャズのギタリストで、幼いころから小銭を稼いではジャズのレコードを買っていた彼女は、歌手として頭角を現してゆきます。そして当時のジャズの主流である「ビッグバンド(楽団)」にシンガーとして参加し、楽団は人気を獲得するのですが――そのヒット曲に、彼女はなぜか参加させてもらえません。

何よりも歌の「心」を、自分なりの解釈で表現したかった彼女は、ポップソングを「型どおり」に歌いたいとは思えなかった。だからやらなかったんです。そんなタイミングで、彼女のもとに舞い込んできたのが、運命の曲「奇妙な果実」です。

さてこの曲の何が衝撃って、その歌詞が描くものです。「南部の木には“奇妙な果実”がぶら下がり、葉や根を血を滴らせ、風に揺られて異臭をはなっている」という部分、これは当時、壮絶な人種差別が残る南部で公然と行われていた、白人によるリンチで木に吊るされた黒人の死体について歌っているんですね…かなり残酷。

でもね、実はビリー自身は北部育ちだったし、学もないし、広い世界の問題とか政治意識とかにそれほど関心がなかったので、この歌詞の意味をすぐには理解できなかったです。でも自分自身も黒人ですし、レイプを含めてぼろ雑巾のように扱われた経験はあります。彼女は、この歌に自分自身の悲しみ、怒り、叫びを込めて、この歌を表現したんです。聴衆の反応は、こんな感じ。

「それはまるで目の前でリンチが行われ、それを彼女が目撃しているかのようでした。私は叩きのめされてしまいました。彼女はまさに叫び声をあげようとしているんだと、私は思いました。(中略)リンチは肉体に対してだけでなく、精神に対しても一体となって行われるんです。(中略)“われわれはみんな痛めつけられ、誰かに邪魔され、最低の状態だ”という事実を雄弁に物語っていたのです」

リンチを見たことのある観客には、「この歌を二度と歌わないで!」と号泣されたこともあるといいます。でも自分が経験していないリンチを、同じように経験していない人に向けて歌い、個々の聴衆が自身の経験を思い起こさせてしまう。表現者としての彼女の才能は、危険なまでに天才的だったんですね。

「あんた、殺されるよ」。母親がそう心配したのも当然のことです。実際に南部では歌うことを禁じられたりもしたのですが、ビリーは歌うことを止めなかった。反面、聞かせる価値のない客には、どんなにリクエストされても歌いませんでした。むき出しの人生を生きてきた彼女は、耳障りのいい、でも心に何も残さない音楽なんて、何の意味もないと考えていたんじゃないかなと、私は思います。心をかき乱され、時に痛めつけられてしまった聴衆が、ナイトクラブの暗闇で思わず流す涙に、何かしら「確かなもの」を感じていたのかもしれません。

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男に自分を殴るよう仕向けた、破滅ギリギリの生き方

そうした考えると、ビリーがどうしようもなく「ダメ男好き」だったのは、なんとなく納得がいきます。選ぶのは常に、彼女を食い物にし、ボコボコになるぐる相手ばかり。そういう男を相手に、「挑発して相手が怒り出すと、“やっつけた気分”になって満足するみたいだった」というビリーとの付き合いについて、「彼女が求める男になるには、男の方もきつかっただろう」という人もいます。もしかしたら男は彼女が相手でなければ殴らなかった、彼女自身に「殴るように仕向けられていた」のかもしれません。恐ろしく破滅志向です。

そんな彼女を思い通りにするために、男たちは彼女にドラッグを覚えさせます。それが彼女のキャリアと人生を滅茶苦茶にした――という人もいますが、たとえドラッグをやっていなくても、アルコールで身を滅ぼしていただろうという人もいます。

何をするにもしたいようにして、誰にも何も言わせない。ビリーの人生を知るにつけ、こんな生き方しかできないのは、そりゃあ大変なことだと思わずにはいられません。でも周囲が彼女を「悲劇の人」と思い込む一方で、彼女に近しい多くの人たちはそれを否定します。よく笑う人だった。彼らは言います。あまりに笑い転げてしまうから「ステージの前の楽屋には入ってこないで」と言われた友人もいたといいます。

そして彼女は筋金入りのファイターでもありました。全盛期の輝きをすっかり失ったその晩年、それでも歌い続けるビリーのステージを見てつい涙してしまった友人に、彼女はそっけなくこう言います。

「どこのどいつに何をされたって、泣くとこ、ひとに見せるもんじゃないよ」

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(参考文献)

『月に願いを ビリー・ホリディの障害とその時代』 ドナルド・クラーク

『ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》』 デーヴィッド・マーゴリック

『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』 ビリー・ホリデイ

『ビリー・ホリデイ 汚辱と苦悩を歌う女』 大山真人