コスモが注目するセレブたちを誕生日別に一挙紹介する連載企画。自分と同じ誕生日のセレブを探すもよし、憧れの人の誕生日を勝手に祝うも良し! 新しい出会いもあるかも♡
9月16日
マーロン・テシェイラ
1991年生まれ。ブラジル出身のモデルで、<エンポリオ アルマーニ>や<ドルチェアンドガッバーナ>などのランウェイ出演経験あり。ちなみに、画像は<バルマン>のランウェイを歩いた際のもの。濃いめの顔立ちにセクシーなスタイルという、さすがのラティーノオーラを放つ彼だけど、実は日本人のクオーターだそう! 海とサーフィンをこよなく愛する私生活は<Instagram>に公開されているので、ぜひチェックしてみて♡
9月18日
アリゾナ・ミューズ
1988年生まれ。アリゾナ州サンタフェ出身のモデル。10代の頃からキャリアをスタートさせたアリゾナは、当時ロングだった髪をバッサリ切ってボブヘアに。トレードマークになりつつあるこのヘアスタイルをキッカケに、ファッションウィークなどで引っ張りだこに!
今や<ルイヴィトン>の 2014年春夏キャンペーンムービーでは、故デヴィッド・ボウイと共演するほどの大物モデルとなったアリゾナ。ハンサムで飾らないスタイルが特徴で、<アレキサンダーワン>や<ステラマッカートニー>など、ミニマルなブランドを中心に重宝されている模様。
プライベートでは、今年6月に整骨医のボニファス・ヴァーニー・キャロンと結婚したばかり! 2009年に誕生した息子ニッコくんを育てるシングルマザーとしての印象も強く持たれていたその姿が、新しい家族とともにどう変化していくかも気になるところ。
9月20日
フィリップ・フィリップス
1990年生まれ。アメリカ・ジョージア州出身の歌手であり、同時にギタリストとしても知られる。幼少期からジミ・ヘンドリクスやレッド・ツェッペリンを聴いて育った彼は、14歳でギターを演奏し始め2009年には友人や義理の兄弟と<フィリップ・フィリップス・バンド>を結成。2012年に、ソロで出演した人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」で勝利しデビュー。穏やかで素朴な歌声が人気の秘訣のようで、2014年には映画『アメイジング・スパイダーマン2』のアメリカ版にてデビューアルバムに収録された「ゴーン、ゴーン、ゴーン〜ずっと君のために」が挿入歌として使用されるなど、着実にスター街道を歩んでいるみたい!
9月21日
リアム・ギャラガー
1972年生まれ。イギリス出身のミュージシャン。元オアシスのリードヴォーカル。マンチェスターで生まれたリアムは、アルコール中毒の傾向があり家庭内暴力を起こす父に怯える幼少期を過ごした。10代の頃は、一度中学を退学になるほどの悪童に。18歳でストーン・ローゼズのライブを見たことで、音楽に興味を持ちオアシスの前身バンド「ザ・レイン」にヴォーカルとして加入。その後、既にギター演奏・作曲をしていた実兄ノエルも加入することに。1994年にシングル「スーパーソニック」でオアシスとしてデビュー。それから好調なヒットを記録し、1990年代には世界的な人気バンドとなるも、同時に私生活の酒乱ぶりや破天荒な性格でスキャンダラスな存在に。しかし、それが逆に奔放なロックスターとしてカリスマ的な印象を与える。ただ、黙っていられなかったのがバンドの楽曲作りを支えた兄ノエル。ステージに泥酔して立ったりドタキャンしたり、そんなリアムと殴り合いの喧嘩もしばしば...。挙句、2009年にはオアシスを脱退。リアムは現在、ソロアーティストとして活動する他、アパレルブランド<プリティグリーン>の指揮を執っている。
9月22日
トム・フェルトン
1987年生まれ。映画『ハリー・ポッター』シリーズのドラコ・マルフォイ役で有名なイギリスの俳優。ずる賢いイジメっ子役だった彼は、今年30歳と渋さの増したイケメンに。趣味は鯉釣りというところも、素敵。子役として1995年頃から広告や人気テレビシリーズに出演し始めたトムは、1996年に『ボロワーズ/床下の小さな住人たち』で映画デビューを飾り、1999年にはヒット映画『アンナと王様』に出演。そして2001年に『ハリー・ポッターと賢者の石』で一気に大人気子役となる。それからというものの、世界の子供達から悪役マルフォイのイメージを持たれてしまった彼だけど、素顔はとても謙虚。同僚でもありライバルでもあったダニエル・ラドクリフについて、「彼は僕の永遠のインスピレーション源」と語るほど。同シリーズ終了とともに、大人の魅力が倍増した彼。2016年に公開された歴史映画『復活』での名演技も必見。
9月23日
レイ・チャールズ
1930年生まれ。R&Bシンガー、ピアニスト。オハイオ州出身で、6歳の頃に仲良しだった弟を亡くし、9か月後には自身が緑内障で失明するという苦悩の子供時代を過ごす。それから、盲学校に通いつつピアノを学び、音楽に喜びを見出す。1947年にシアトルに移り住んだ彼は、クレイシー・ジョーンズと出会い音楽活動を本格化。1953年シングル曲「メス・アラウンド」をリリース。それからというもの、ブルースの曲にゴスペルの要素を交えることで、オリジナリティ溢れる楽曲を次々に発表。1961年にリリースされた「わが心のジョージア」でミリオンセラーを記録し、ソウルミュージック界のスターとなる。一方で、麻薬依存も深刻な状態になっており、1965年には3度目の逮捕で更生施設に入所し徹底的なリハビリを受ける。その結果、見事ヘロイン絶ちに成功し、以前から行っていた黒人差別反対運動に対する応援を受けられるように。1979年には、「わが心のジョージア」がそれまで黒人差別が根強かったジョージア州の州歌となる。2004年には伝記映画『Ray/レイ』が公開されたが、同年様々な功績を残した本人は肝臓癌で帰らぬ人に。彼の歌声は今尚、多くのシンガーの指針となっている。
9月24日
デイジー・クレモンタイン
1995年生まれ。ミレニアルズ世代の代表的バンド「ザ・アトミクス」のリードギター、モデル。人気モデルであり弟のラッキー・ブルー・スミスがドラムを務め、3人の姉とタッグを組む同ファミリーバンドは、その美男美女っぷりからファッションブランドや各メディアからのラブコールが絶えない。弟の動向が注目されがちだが、2番目の姉デイジーもモデルとして14歳の頃から活動中。端正な顔立ちと、普段は詩集を持ち歩くような冷静な性格で、バンドの基盤を支えている彼女。次世代のアイコンとして期待の高まる活動は<Instagram>でチェック!
9月25日
ウィル・スミス
1968年生まれ。ハリウッドを担う俳優であり、映画プロデューサー。ペンシルバニア州生まれの彼は、10代の頃からラッパーとして活動。1987年にアルバム『Rock The House(原題)』でデビューし、翌年のヒットシングル「Parents Just Don't Understand(原題)」でグラミー賞最優秀パフォーマンス賞を受賞したことからエンタメ界での華々しいキャリアが始まった。1990年代からスターとしての人気が加速し、俳優としても活躍。1997年には代表シリーズ作品である『メン・イン・ブラック』が公開。それから、ドル箱スターの異名を博す。私生活では1992年、シェリー・スミスと結婚し、1995年に離婚。1997年には女優のジェイダ・ピンケット=スミスと再婚し、現在活躍中のミレニアルズ俳優ジェイデンと、ウィロウを授かる。最近はジェイデンの話題が絶えないけれど、パパの活躍もチェック! 特に今年公開された最新主演作で、『プラダを着た悪魔』を手がけた監督デヴィッド・フランケルによる『素晴らしきかな、人生』は秋の夜長に観てみたい!
9月26日
オリヴィア・ニュートン・ジョン
1948年生まれ。イギリス生まれ、オーストラリア育ちの歌手。1970年代から80年代にかけてブレイク。1980年発表のシングル曲「ザナドゥ」は日本でもTVCMソングになるなど、いまだに安定した人気を誇る。14歳で、学友とバンドを組み、バーで歌うことから歌手としての自分に目覚め始めた彼女。1965年に、オーディション番組で優勝したことをきっかけに、翌年デビュー。1970年には映画『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』が制作され、主演。素朴な見た目と、ポップな歌声で徐々にスターの道へ。1981年にはそれまでにない曲調のディスコ風シングル曲「フィジカル」をリリース。レオタード姿でエアロビクスを踊り、意味深な歌詞"フィジカル(身体的)"を歌い、当時センセーショナルな印象を残したことも有名。現在も音楽活動は継続中。
9月27日
アヴリル・ラヴィーン
1984年生まれ。カナダ出身のシンガーソングライター。2002年のデビュー以来、特に2000年代においてカリスマ的人気があるアイコンシンガー。啓蒙なバプテスト信者であるフランス系カナダ人の両親の下に生まれたアヴリル。2歳から母と一緒に教会で歌い始め、子供時代はサッカーや野球を男の子の中で楽しむような活発なキャラクターで親しまれた。12歳から独学でギターを始め、14歳でオーディション番組を勝ち抜いたことから、歌手シャナイア・トゥエインのコンサートに参加するなど活動を本格化。そんな中、カナダの大手書店<チャプターズ>でカバー曲を披露している姿がマネージャーの目に留まり、デビューへのきっかけを掴む。その後、レコード会社と契約、2002年にデビューアルバム『Let Go(原題)』をリリースし、大ヒット。幼い頃から培われたパワフルな人間性がティーンを中心に男女共に愛され、それからの人気は皆さんご存知の通り。最近は、妹が日本人アーティストと結婚したことでも話題に。
9月28日
ディタ・フォン・ティース
1972年生まれ。アメリカ出身のバーレスクダンサー、フェティッシュモデル。幼少期から母親が見ていたハリウッド黄金時代の映画女優や、父が購買していた米<プレイボーイ>誌のランジェリー、年老いても自身を飾り立て続けていた叔母に影響を受ける。5歳からバレエを習っていた彼女は、19歳でストリップ・ダンサーに。ヌードの撮影を含め、セクシーなモデルとして活動。ピンナップモデルのような風貌が唯一無二の存在として彼女の需要を高め、雑誌で特集されているうちに女性をも魅了するように。今では自身のランジェリーブランドや、コスメのプロデュース活動で、ファッションアイコンとしても知られる。一方私生活では2002年から2007年まで、マリリン・マンソンのパートナーであった。
9月30日
エズラ・ミラー
1992年生まれ。アメリカ・ニュージャージー州の小さな街ワイコフ出身の俳優。6歳からオペラ歌手としてストイックなレッスンに励み、10代の頃には度々オペラの舞台に立つように。高校を中退し、2008年から映画『Afterschool(原題)』に主演し、俳優としてキャリアを歩み始める。ライオネル・シュライヴァー著の小説を映画化した『少年は残酷な弓を射る』では、少ない出演でありながら重要な役どころを務め、2011年カンヌ国際映画祭で絶賛されるといったことから、実力派俳優としても注目され始める。2012年には、映画『ウォールフラワー』でゲイ役を演じたことを気に、自らのセクシュアリティについて言及。自分は「ゲイ」ではなく、「クィア(セクシャルマイノリティを総称する"風変わりな"という意味を持った言葉)」と語り、特定の線引きをすることなく愛を探している途中であると説明した。