2019年にアジア初の同性婚姻合法化を実現し、2020年には国会議員の女性比率がアジア最高となる4割を突破。ジェンダー平等はアジアでトップ*とされる台湾。

なぜ、同じアジアの中でも突出したジェンダー先進国となることができたのでしょうか。

今回は台湾・香港・日本・韓国のジェンダー史に関する共同プロジェクト「herstory」に翻訳者として参加し、ノンバイナリーであることを公表している台湾人の林冠妤(リン・グアンユー)さんに話を聞きました。

*国連開発計画(UNDP)による「ジェンダー不平等指数(GII)」が世界6位、アジアではトップに相当するとされた(2019年。国連への加盟が認められていないため台湾政府の独自調査)

スピーディな台湾社会の変化

――今、台湾はジェンダー平等に関してアジアをリードしている存在です。林さんとしてはどのように受け止めていらっしゃいますか?

台湾社会は変化が激しく、そのスピードも速いです。ジェンダー平等に関しても、この数十年でめざましく変化しました。

私の祖母は、女性だからということで、小学校の途中くらいまでしか義務教育を受けられませんでした。その後、戒厳令が解除され、私の母の時代になると一転して「女性は仕事も家庭も両方しっかりこなすこと」が求められました。それでも、台湾の「家は男性が継ぐもので、女性は外に嫁いで出ていく」という伝統的な価値観の下で、母ら女性たちは常に強いプレッシャーにさらされていたと思います。

言論の自由を奪われていた戒厳令が解除された後の台湾では、人権や民主などを訴え、さまざまな社会運動が起こりました。出版社が設立され、デモやイベントが催され、民間のパワーが集結し、社会を変えていったのです。

台湾のジェンダー平等を大きく前進させる分岐点となったのは、2005年に憲法の改正で「クオータ制(格差是正のためにマイノリティに割り当てを行うポジティブ・アクションの手法の一つ)」が導入され、比例区の議員当選者の男女比を同数とすることが定められたことです。

でもその前には、四分の一の「クオータ制」を導入しようと奮闘した台湾女性運動の象徴・彭婉如(ポン・ワンルゥ)さんの存在があります。その彭婉如さんが1996年に失踪し、遺体で見つかった原因は今でも分かっていませんが、私を含めた多くの台湾人は、そうした偉大な先人たちが少しずつ獲得してくれたものを受け継ぎ、次の世代にもっと良いものを残していこうという考えを持っていると思います。

――そのようにして今の台湾社会があるんですね。

はい。でも、まだまだ足りないところも多いです。私はノンバイナリーで、いわゆる“女性らしい”格好をすることがないのですが、台湾企業に勤めていた頃の上司から「もっと女らしくしろ」と言われていました。

その上司は妊娠中の先輩に向かって「お腹の子は俺の子だ」と言ったり、他にも女性の頭を撫でながら「きみは僕の妻だ」と言ったりしていました。先輩たちは「この上司には何を言っても無駄だ」とすっかり諦めた様子でしたが、私はすぐにその場で「あなたの言っていることは間違っている」と相手を正しました。上司は、自分の言動のどこに問題があるか分からないと思ったのです。会社も対応してくれて、その上司は会社を去ることになりました。

2019年にアジア初の同性婚姻合法化を実現し、2020年には国会議員の女性比率がアジアトップとなる4割を突破。ジェンダー平等はアジアでトップとされる台湾。今回はジェンダー史に関する共同プロジェクト「herstory」を立ち上げ、ノンバイナリーであることを公表している台湾人の林冠妤さんに話を聞きました。
Yaeko Kondo
▲シリコンバレーの中心・サンノゼに移住した林冠妤さん。インタビューはリモートで実施。

アジア初の「同性婚合法化」までの道のり

――その場ですぐ行動に移すのは、なかなか難しいと思います。

台湾では2019年にアジア初の同性婚姻合法化が認められましたが、実は、これは特別法の制定によって実現したものです。

その前年に行われた民法で同性婚を認めるかどうかを決めるための国民投票では「同性婚に反対する」とした人が多数で、合法化には至らなかったという経緯がありました。そこで行われた同性婚姻合法化を訴える街頭デモに、私も参加しました。

友人たちは私に「同性婚姻には賛成だけど、わざわざデモにまで行く必要はないんじゃない?」と言いましたが、私はデモに行く必要はあると考えています。

デモに行くのはおしゃべりするためではなく、社会に向けて「これだけの人々が、この課題を大切に思っている」ということを見せるため。

政治家たちにこのデモの規模を見せて「こんなにたくさんの人々が、同性婚姻の合法化を大切に思っている。あなたは支持してくれなくてもいい。私たちもあなたに票を入れない。あなたが支持してくれるなら、私はあなたに票を入れる」と伝えるためなのです。

支持を行動に移すことはとても大切なんですよ。街頭デモは最も実感を持って相手に伝えることができる方法だと思いますが、日本でよく行われている署名運動もまた、良い手段だと思います。

activists seen carrying a big rainbow flag during the 2020
SOPA Images//Getty Images
▲コロナ禍の2020年10月に台北で行われた、東アジア最大規模の「台湾同志遊行(台北プライド)」。13万人以上がパレードに参加した。

――ご自身のジェンダーに関して自認したのはいつ頃でしたか?

子どもの頃から漠然と「男の子になりたい」と思っていたけれど、大学生の頃に「自分は特に“男”にも“女”にもなりたくないんだ」と気が付いたんです。それで「自分はノンバイナリーなんだ」と自覚しました。

夫はそれを理解してくれていますが、自分の母親にはまだしっかりと伝えられていません。価値観が大きく違うから、なかなか難しいですよね。

子どもたちはそうした他者からの影響をさらに強く受けてしまうので、特にケアが必要だと思います。台湾では2000年に起きた「葉永鋕(イエ・ヨンヂー)事件(女性らしい振る舞いが原因で、当時中学3年生だった葉永鋕がいじめを受け、学校のトイレで転倒して頭を強打し、翌日未明に亡くなった事件)」がきっかけでジェンダー教育への議論が高まり、2004年に「ジェンダー平等教育法」が制定・施行されました。

今でも毎年、葉永鋕事件が起きた4月になると、彼を偲ぶ報道が繰り返されています。

行動することで社会は変えられる

――法律の制定はジェンダー平等の推進に効果があると思いますか?

私自身もそうですが、何かおかしいと思うことがあっても、他の人たちが「仕方ない」と思ってやり過ごしている様子を見ると、「おかしいと思う自分の方がおかしくて、間違っているのでは」と考え始めてしまうんですよね。価値観が違う中でも、少なくとも法律では権利が守られている、後ろ盾があるというのは大きいです。

台湾は「本当に変えたいと願って行動すれば、変えることができる」という成功経験があるから、今の若者たちは希望を持って行動し、法律を改訂したり、作ったりすることができています。

本当に変えたいことがあって行動している人が、仲間を増やし、政治家と協力したりして目標を達成できるように、デモへの参加や投票というのは本当に大切なことだと思います。

LGBTQ+に関することも、今は他人事だと思っている人もいるかもしれませんが、自分の子どもがいつかカミングアウトする可能性だってあり、いつ自分事になるかわからないのです。

――台湾は投票率が高いことで知られています。

投票権を行使しないのは本当にもったいないことですね。

民主的な社会は、世界各地の先代たちが努力し、血を流して獲得してきたもの。今でも多くの人々が手にすることができず、苦しんでいます。

多くの人が投票権を持っているのにそれを惜しむことなく、行使しないのは贅沢なことなんです。自分たちの未来は自分たちが決めることで、誰かに決めてもらうことではないと思っています。

日本人の友人たちと「自分は何人なのか」について話していたら、「両親が日本人だから、自分も日本人だ」、「パスポートが日本だから、自分は日本人だ」と言っていて、まるで誰かから与えられるもののように感じました。一方で私たち台湾人は、小さい頃からずっと自分が何人なのかを考え抜いています。これは自分でジェンダーを選ぶことにもつながると思います。

私は本当に日本が大好きで、日本語も独学で習得したし、日本の大学に交換留学したこともあるので、日本での就職を考えたこともありました。

ただ、当時の日本では“女性は女性らしく振る舞う”ことが期待されていました。私もそのように振る舞っていましたが、次第に自分が失われていくような気がして、怖くなって諦めました。

democratic progressive party celebration in taipei
NurPhoto//Getty Images
▲2020年の総統選挙の投票率は74.9%。蔡英文(ツァイ・インウェン)が再選した。

――「女性はこうあるべき」という同調圧力が強いことは、日本でも感じている人が多いと思います。

でもそれは、「我慢強い」という長所でもあるんです。日本は皆が選挙権を持つことができている国ですし、女性は国民の半数くらいいるわけですから、選挙権を行使すれば、きっと変わることができるんですよ。

日本に比較したら台湾も多様性がある社会だといえるかもしれませんが、私が今暮らしているシリコンバレーはもっと先進的です。免許証の性別欄でさえも、「X(男女に限定しない性別)」を選べるのです。

でも、ここで暮らしているのはほとんどが海外から移住してきたエンジニア。彼らもやはり、母国のジェンダー観を持ったままやって来て、サンノゼの先進的なジェンダー観に触れて「ジェンダーってそういうものだったんだ」と理解を深めていくんですよね。

アメリカに移住して改めて感じたのは、国家や文化背景が違ったとしても、人々が直面する壁はとても似ているということでした。それは私がずっと国際交流に従事している原因でもあります。異なる国や歴史、経験を互いに学び、より良い社会を創り出していきたいからです。

今私がサンノゼで参加している「San Jose Woman's Club」も、もともとは女性が投票権を獲得するための先駆者となった人々が集まった場所でした。2019年に台湾で始まった、香港・日本・韓国との共同プロジェクト「herstory」なども、そうした取り組みの良い事例だと思います。

林冠妤さん

2019年にアジア初の同性婚姻合法化を実現し、2020年には国会議員の女性比率がアジアトップとなる4割を突破。ジェンダー平等はアジアでトップとされる台湾。今回はジェンダー史に関する共同プロジェクト「herstory」を立ち上げ、ノンバイナリーであることを公表している台湾人の林冠妤さんに話を聞きました。
林冠妤


1989年台湾台北生まれのノンバイナリー。台湾国立政治大学法律部卒、大阪大学法学部交換生。幼少の頃から日本の文化が好きで、インターネットを通じて日本語を独学で習得。大学時代から10年間以上日台交流活動に励む。2016年からはオードリー・タンも参加するシビックハッカーコミュニティ「g0v」「vTaiwan」などのシビックテックプロジェクトや国際交流活動に注力。台湾・香港・日本・韓国の共同プロジェクト「herstory」に翻訳者として参加し、各国におけるジェンダー史を時系列でまとめている。2021年よりシリコンバレーの中心・サンノゼへ移住。ベンチャー企業の海外進出や政府系法人のコンサルティングに従事。サンノゼ「San Jose Woman’s Club」メンバー。