「こんにちは!」

フランス北部の街、ストラスブールのカフェで取材の待ち合わせをしていると、パリっとしたシャツにデニムを着こなす長身の爽やかに微笑む男性が現れた――。

彼こそが、日本代表の守護神として南アフリカ、ブラジル、ロシアと3度のワールドカップ 出場を果たした、ゴールキーパーの川島永嗣選手。

まだ日本人選手の海外移籍が珍しかった2010年に、27歳ですべてを投げ出す覚悟でサッカーの本場欧州へ渡り、ベルギー、スコットランド、フランスの5つのクラブで「日本人ゴールキーパーの可能性」を証明し続けてきた。

しかし彼の活躍の裏には、過激な海外サポーターからの野次、所属クラブが見つからなかった浪人生活など、数多くの辛い経験があった。そんな一つ一つの試練に耐え、異国の地で“心の体力”を鍛えてきた川島選手の経験を綴った著書『耐心力 重圧をコントロールする術がある』もコスモ世代には参考になるだろう。

進化をするために、どんな困難な状況も乗り越えることができる…そんな“術”を知りたい! そこで『コスモポリタン日本版』は、現在RCストラスブールに所属する川島選手を直撃。

ハードな練習後にも関わらず、始終、すべての質問に誠意を込めて答えてくれた川島選手。彼の“真”の言葉からは、「自分を成長させたい」すべての人へのレッスンが詰まっています。

――川島選手はJリーグから欧州に活躍の場を移されて、もうすぐ10年になります。まず、27歳の頃に「海外で挑戦する」と決意した経緯を教えてください。

きっかけは、18歳の頃にイタリア留学をしたこと。それ以降、「海外でゴールキーパー(以下、GK)として挑戦したい!」という思いを、ずっと自分の中に秘めていました。でも当時は、日本人サッカー選手が海外に移籍するということは、すごくハードルが高いこと。さらに、GKはひとつしかないポジションなので非常に難しい。

それでも、渡航を決意したのは27歳の頃でした。「積み重ねてきたものを一度全部なくしてでも“今”行かなければ、これから先は海外で挑戦できないだろう」と、自分の中で悟ったからです。当時川崎フロンターレに所属をしていたのですが、まったくツテがなかったベルギーに行きました。幸い、2010年にW杯に出場したことが世界に向けてのアピールとなり、ベルギーの一部リーグ、リールセSKと契約をすることができました。

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――念願の欧州でのクラブ入団後、日本と海外でプレーすることにどのような違いがありましたか。

海外に出て、結果を残せなければ意味がない。結果を出すためにはどうすればいいか、常に考えていた

まず、サッカーに対しての文化が違います。日本とベルギーでは、サッカーの“当たり前”の基準が違うので、今まで自分が正解だと思っていたことが通用しない。でも、その答えを自分は持っていないので、それを日々探るという作業が最初は大変でしたね。

例えばGKにおいて、日本ではボールを止めるのはディフェンダ―とGKの提携が大切だと教わっていました。だけどベルギーでは、ボールを最後に何が何でも止めるのはGKの責任。

現地での試合中には点を取られるたびに、サポーターから前のGKの名前を呼ばれたり、街に買い物に出かけても「チームから出ていけ」と知らない人に言われたり、車がパンクさせられたこともありました。

でも、これは自分が選んだ道。新しい道を行けば、そういう困難に直面するのは“当たり前”だし、仕方がないという感覚をもって乗り切っていました。

それに海外に出て家族や友達と離れ、最後に残るのは“サッカー”のみ。そこで結果を残せなければ、自分が海外にいる意味はない。だから「結果を残すためにどうすればいいか」ということを常に考えさせられる環境でした。

――2015年には約半年間、無所属という不安定な状態を経験。日本代表のメンバーリストにも名前が載らなくなってしまうなど、先が見えない“辛い時期”があったそうです…。

当時はベルギーで5年間プレーをしていたので、新しい経験をしたいと強く思っていました。いろいろ契約の話は頂いていたんですけど、自分自身が「このクラブで成長できる」と納得できるところがなかった。そこで、上手く話がまとまらずに浪人生活という不安定な状態が続きました。

当時は自分でクラブに直接コンタクトを取ったり、クラブが見つかるか見つからないかで一喜一憂していていましたね。

希望のクラブで自分では「やれる!」という感覚があっても、実際に目の前に突き付けられる現実は違う――。そのギャップに、「自分を信じる」ということを深く考えさせられた時期でした。それを乗り越え、最終的にはスコットランドのクラブと契約することができました。辛い時期でしたが、欧州に残って、「日本人のGKが世界レベルで活躍できる」ことを証明したい、その信念が心の支えになっていました。

――競争率が高く、厳しい欧州のサッカー界で勝つために、日々どのような努力をされていますか。

現地の選手と同じレベルで練習をしていたら絶対に勝てない。日本人選手としてプラスアルファで何が出来るかということを求められているので、その基準値を自分の中で高く保つようにしています。例えば練習外のトレーニングでは、日本人選手特有の素早さや器用さをより伸ばすことに加え、現地の選手のダイナミックさやパワーにどのように勝っていけるか…そういった部分を試行錯誤しています。

――川島選手は海外でサッカーをプレーするうえで、“語学力”や“コミュニケーション力”も大切だとおっしゃっています。実際にご自身も6か国語を操り、スポーツを通した英語スクールのアンバサダーも務められるなど、“グローバルに活躍する日本人”の育成にも携わられています。

GKにとって語学は絶対必要です。ただ指示を出すだけでなく、GKがチームの中でどういう存在でいるかというのはすごく大切。信頼感を築いていくうえで、言葉が話せると相手との距離感も変わってきます。僕は、18歳の頃から毎日スペイン語、英語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語のテキストを買って少しずつ勉強していたのですが、それが今ヨーロッパでの選手生活で活かされていると実感しています。

海外にいて感じることは、日本人の長所はすごく認められているということ。だから、世界の中でリーダーとなる日本人がたくさん出てほしい。そこで「グローバルアスリートプロジェクト」を発起し、現在関東圏で英語を使ったサッカーとチアリーディングのクラスを開いて次世代のグローバル人材を育てています。

また、言語以外にコミュニケーションにおいて大切なのが、相手を理解すること。こちらで生活をしていると馬鹿にされたり、正当な評価を自分が受けていないと感じる時もあります。でも、こっちの人たちの見方を理解出来たら、必要以上に深く受け止めることがない。

例えば、ベルギーのクラブでGKをしていたときも、サポーターから「SUSHI!」と呼ばれることがあって。でも、彼らはただ言ってるだけで、深い意味はない。逆に、「それだけ寿司が認識されているのはいいことだ」と、とっています。

言葉の表面でなく、裏に何があるか。それが理解でき、逆に自分が返せるユーモアを持つことが大切なのかと思っています。

――欧州で体得した「仕事哲学」と「人生哲学」を教えてください。

“結果”にこだわって、フォーカスして取り組めるのが真のプロ

ヨーロッパでの経験を通し、仕事では“結果”、人生では“過程”が大切だと学びました。

今、ストラスブールに来てから試合に1度しか出ていないんですけど、残ってトレーニングをしていると周囲から「お前はプロだな」と言われる。ただ、毎回そう言われる度に違和感があって。僕は、過程で満足せず、どれだけ“最後である結果”にこだわってフォーカスして取り組めるのかが真のプロだと思っています。それは、こっちで結果を求められ続けたからこそ感じること。

逆に人生においては、自分の夢や目標に対して“過程をいかに楽しめるか”が醍醐味じゃないかと。海外で挑戦できるという、貴重なチャンスを自分がどう活かしていけるか。もし上手くいかなかったとしても最大限に追及して挑戦したという過程は、確実に“人生の大きな財産”になるし、それをたのしめることが大切かと感じています。

――最後に、読者にアドバイスをお願いします!

実際にやってみないと、“自分の経験”にならない

夢を持つことで、今まで自分が知らなかった自分、それまで出会うことのなかった人、人生のさまざまな瞬間という新しい景色に出合うことができます。そして、その楽しさは“夢を持った瞬間”からはじまる。

また、海外に出れば新たな価値観にも出合えるし、それを持って帰国することで、本当に自分が考えていることがより理解できると思います。実際にやってみないと、“自分の経験”にならない。だから、若い人にはいろんな経験をしていってほしいです!

【世界で活躍するカッコイイ日本男子】厳しい環境に耐え抜く、川島永嗣選手の「強い心」の秘訣
©︎BRIDGEs

インタビュー先のカフェの窓から、川沿いに可愛らしい家が並ぶストラスブールの街並みを眺めながら、「ここは街もキレイで、人もオープンで気に入っています」と語る川島選手。

「僕の仕事は、契約ごとに毎回場所が変わっていく。だから、一日一日充実できるよう、毎日を大切に過ごしています!」

毎日という“時間”に真摯に向きあう――。それこそが、ベテラン選手である川島選手が初心を忘れず"フレッシュ”に、進化し続ける秘訣なのかもしれません。