本記事では、とあるバイキュリアス(相手の性別を問わず、セクシャリティを探求することに興味・関心を持つ人のこと)の女性が語った、「初めての女性同士のセックスから学んだこと」を、<コスモポリタン イギリス版>からご紹介。

※バイキュリアスの在り方については、議論を呼ぶこともあります。真剣な交際関係を築きたい一部のクィアの人が、バイキュリアスの人の「一時的な相手」として利用されたように感じてしまうことや、バイキュリアスという用語が時にクィアコミュニティ全体を「一時の感情」かのようにミスリードしてしまうことも懸念されています。

語り:フランキー・クックニーさん

セーラ(仮名)との初デートのきっかけは、他の相手と同じ。マッチングアプリで意気投合し、実際に飲みに行くことに。

ワインが1杯から2杯へと増え、最後にはボトルを注文。仕事、旅行、音楽、食ベ物、中でも好物のファラフェル(中東料理のひよこ豆コロッケ)について、会話は盛り上がった。私のお気に入りの中東料理店がすぐ近くにあることにふと気づいて運命を感じ、その店でディナーを食べてから、私たちはキスをして、誘われるがままに彼女の家へ。

うだるような暑さの小さなアパートの一室で、お互いに手や口を絡ませ、肌を重ねた。彼女のダークな色の髪が、私の顔にふり掛かったのを覚えてる。裸でベッドに横たわりながら手足を絡み合わせていたとき、彼女にある質問をされ、驚いて答えがすぐに出てこなかった。

「どんなふうに触られるのが好き?」

初体験を終えてから10年は経っていたし、ちゃんと答えがあってもおかしくないはずなのに。その時、これまで一度も聞かれたことがなかったことに気づいたのだ。

自分の欲求を探る重要性

10代の頃から男性にも女性にも惹かれることに気づいてはいたけれど、特に気にかけたことはなかった。小さな町で育った私は、クィア(ジェンダーやセクシャリティの在り方において既存の枠組みにとらわれない)な女性との出会いがなかったため、恋愛関係となる相手は必然的に男性だった。

20代後半になってその状況に疑問を抱き始め、マッチングアプリのプロフィールを更新して、性的指向の設定を変え、何度か右スワイプをして現れたのがセーラだった。

デート当日はとてつもなく緊張した。でも、すぐに打ち解けたし、なんの抵抗もなく触れ合えたので、セックスも自然な流れでできるものと思っていた。けれど、自分と相手が同じような性器を持つからといって、どう動くべきか分かっているわけじゃない。幸いにもセーラは、自分の望みをためらうことなく私に伝えてくれた。彼女の要求に、きっちり応えられたと信じたい。

ところが、彼女が私に注意を向けた途端、どうしていいのかわからなくなった。

自分がどんなことに興奮するのかはわかっていたけど、それを上手く言葉で表現できなかった。これまでに関係を持った人たちは、たいてい試行錯誤の末に正解を導き出し、その過程に一切会話はなかった。セーラに何をして欲しいのかを知るために、私は自分の身体と欲求と向き合う必要があったのだ。

女性同士あるいは女性器を持つ者同士のセックスは「オーガズムに達しやすい」とも言われているけれど、何か秘策があるというわけではない。その日は「初体験」から来るアドレナリンと興奮、大量に飲んだワイン、私のぎこちなさが組み合わさって、とてもオーガズムに達するような状況ではなかった。でも、それで構わなかった。

そのせいでムードがぶち壊しにならないか心配したけれど、セックスは必ずしも一連の流れとしてやる必要はなく、途中で会話を挟んだり、一休みしたり、水を一杯飲んだりしてまた始めればいいもの。

初回はオーガズムに至らなかったけれど、それはそれで教訓に。なぜこれまでの相手たちとはお互いの快感ポイントについて話し合ってこなかったのか、不思議にさえ思えてきた。もちろん、私はこれまで関係を持った男性たちだけを責めているわけじゃない。だって、私も彼らに同じ質問をしてこなかったのだから。

セーラとのセックスは、性行為における“慣習”から私を解放してくれた。私たちがお互いに惹かれたのは、単なる目新しさからではなく、誠実さ、ユーモア、好奇心、共感力、会話力といったお互いに思う相手の良さから生まれた真のケミストリーのおかげ。

バイキュリアスだった私は、セーラと向き合った経験からバイセクシュアルであることを自信を持って自認するための最初の一歩を踏み出すことができた。そしてもちろん、今ではどう触れられるのが好きか、はっきり説明できるのだ。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation: Kate Sawahara(Office Miyazaki Inc.)
COSMOPOLITAN UK