毎年9月23日は、「バイセクシャル可視化の日」。“バイセクシュアリティを祝う日”として始まった日が、今年で25周年を迎えました。この日はバイセクシャルの人々の存在や経験の可視化や、バイセクシャルやバイロマンティックの人々をいないことにしないための啓発などに、よりいっそう目を向けることが目的とされています。

ここでは、自身の代名詞をThey/Themと公表するセックス&リレーションシップのライターが経験したバイセクシュアリティの捉え方を、<コスモポリタン イギリス版>からお届けします。

語り:ロイス・シャーリング

セクシュアリティは“選べる”もの?

37%の人が、バイセクシャルの人は自ら“選んで”そう思っていると感じていることは知っていますか? デーティングアプリ「ピュア」がアメリカに暮らす2000人に、バイセクシャルについての意識調査を実施したところ、まだまだ間違った知識を持っている人が多くいることが分かりました。

たとえばバイセクシャルは同性愛者になるまでの“足掛かり”でしかないと思っている人が20%、バイセクシャルとしての“特権”を得るためのキャラづくりと考える人が26%(どういう特権があるのか、当事者が聞きたいです)いました。そして、3%の人は「バイセクシャルは本当は存在しない」と答えたそう。

こういう結果も出ているので改めて強調すると、もちろんバイセクシャルの人々は存在します。実際、LGBTQ+コミュニティーの中でも、バイセクシャルの人は多くを占めると言われていて、2021年のイギリスの国勢調査によれば、イギリス人の1.3%はバイセクシュアルということがわかりました。

bisexual pride flag
NATALIA DE LA RUBIA//Getty Images

「途中」の状態ではない

同性愛者であることをカミングアウトする前にバイセクシャルであるとカミングアウトする人々もいるのは事実ですが、バイセクシャルは決して「同性愛者になる前の途中地点」ではありません。

クィア(LGBTQ+コミュニティに属する人々の総称)であることが未だ受け入れられないこの社会で、自分のクィア・アイデンティティーを探し、見つけることは簡単ではありませんし、内在化したホモフォビア(同性愛への偏見や嫌悪)をときほどくのにも時間がかかります。

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KARRASTOCK//Getty Images

加えて、ジェンダー・アイデンティティーは時間とともに変わることもあります。自分がゲイ(同性愛者)だと思っていた人が、のちにバイセクシャルだと気がつくということもあるのです。

ほかにもあとからアセクシャル(他者に対する性的な惹かれが少なかったり、なかったりするセクシュアリティ)と気づいた人もいるなど、ほかのセクシュアリティも含めると、実際はもっと複雑になります。

生まれながらの性質は“本物”?

なぜこんなにも、バイセクシュアリティへの理解は遅れているのでしょうか? クィア理論家で作家のメグ・ジョン・バーカーさんは、社会にはびこる「二元論主義」に原因があると考えます。

バーカーさんによるとバイセクシュアリティの存在は、異性/同性に惹かれることや、セクシュアリティは生まれつきのもの/自分の意志で得るものといった二元論に異議を唱えているのだそう。

「現在多くの人は、“生まれながら”であることをより“本物”だと捉える傾向にあります。しかし、実際はそのように簡単に白黒つけられるものではありません。セクシュアリティを含めた人間の要素のほとんどは、“生物心理社会”なものなのです」
「つまり人には生まれながらの要素と、時間とともにに発達する要素が複雑に混じり合って存在しています。後者には、周囲の文化がもつ影響や個人の意志による選択も含まれています」

未だ「ゲイかストレートか(同性愛者か異性愛者か)」という二元論的な価値観が社会にはあり、それによってそのほかのものは“選んだもの”としてみなされてしまいます。バーカーさんは、これもまた「バイセクシュアルの消去(Bisexual Erasure)」につながると指摘しています。

バイセクシャルに対する偏見やレッテル

昔から「バイセクシャルは存在しない」と言い張る人々が多く、それを立証しようとする研究も多くあります。

たとえば2005年に<ニューヨーク・タイムズ>紙は、全ての男性は「ゲイ、ストレートか嘘つき」の3つに当てはまるといった内容の記事を配信しています。本当に信じられないような発言が出版されていました。

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Qi Yang//Getty Images

「バイセクシャルの人は信頼できないとレッテルをはられ、ありのままで十分だと思えなくなるように、アイデンティティーにも影響している」と、「Bisexual Men Exists(バイセクシャルの男性は存在する)」の著者であるヴァニート・メフタさんは言います。

バイフォビア(バイセクシャルの人々に向けられる嫌悪・ヘイト)には、バイセクシャルの人々は優柔不断で、恋愛対象の性を決めることができないという間違った認識があるのです。

それによりバイセクシャルの経験は信頼できないばかりか、モノセクシャル(1つの性が恋愛の対象となる人)の人がよりセクシュアリティについて理解しているのだというステレオタイプが生まれてしまっています

心身の健康にも影響

こういったステレオタイプは、バイセクシャルの人々の日常にネガティブな影響を及ぼします。バイセクシュアルの人々は心と身体の健康に悩む可能性が高いことがわかっており、その原因のひとつには医療現場での「バイセクシュアリティの消去」もあります。

ロンドン在住ジャーナリストのケイティー・ボイデンさんは、ヘルスケアの現場での理解の乏しさに悩んだ経験のあるバイセクシャル当事者の一人です。彼女は心理カウンセラーに「バイセクシュアリティは個人で選んだこと」だと言われました。

その経験をボイデンさんは、以下のように思い返します。

「カウンセラーが私のセクシュアリティに対して、居心地が悪そうにしていたことはすぐにわかりました。彼女は私が女性と付き合っている理由が、男性との恋愛がうまくいかず、男性を避けているからだと思っているようでした。女性への恋愛感情は消去法ではなく、私の脳はそんなふうに考えていないのです」

“Born This Way”を考える

当事者を悩ます、セクシュアリティは生まれつきものまたは自分の意志で選ぶものだという二元論は、思わぬところにも影響します。たとえばレディー・ガガの曲でも知られる、LGBTQ+の人権運動などで使われてきたフレーズ「Born This Way(私はこのようにに生まれてきた)」について。

こうなる運命のもとに生まれてきたというLGBTQ+のプライドをにじませるフレーズですが、これは“勝手に起こったもの”だから権利や尊重が確約されるべきことというニュアンスが生まれることも。当事者たちも“変えられるのであれば変えたい”という風にも捉えられます。

「そもそも、セクシュアリティや性的指向というのは時間とともに変わることがあります。それを自然の流動性と捉えるか、個人の意志と捉えるかに関わらず、人権は尊重されるべき」とバイセクシャルとパンセクシャル・コミュニティに特化した弁護士のヘロン・グリーンスミスさんは述べます。

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Viktoriia Miroshnikova//Getty Images

「複雑で多面性のあるもの」

バイセクシュアリティは、“個人の選択”ではありません。それぞれのセクシュアリティのメリットやデメリットをリストアップして、「どれにしようかな? 」なんて決めている人なんていませんよね。

バイセクシャルも、ゲイやストレート、アセクシュアルといったさまざまなセクシュアリティと同様に、自然で美しく、素晴らしい個性で、複雑で多面性のあるものなのです。

私は自分のバイセクシュアリティを通してすてきな仲間たちを見つけ、親友に出会い、恋に落ち、恋に破れ、アクティビストとしての活動も始めました。自身のセクシュアリティは選ぶものでは決してありませんが、もし37%の人が言うように「バイセクシュアリティが自分の意志で決められるもの」だったとしても、私はバイセクシャルであることを選ぶでしょう。

※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。
Translation:佐立武士
COSMOPOLITAN UK