ファッション誌の表紙だけでなく、魅力的な商品をアピールする広告や、時代に変革をもたらすキャンペーン等々、活躍はランウェイだけに収まらなかったスーパーモデルたち。1980年から2010年まで、31年間の各年を代表するスーパーモデル31人をコスモポリタン アメリカ版からご紹介します。後編では1996年から2010年までの15人をお届け!
1996年:リンダ・エヴァンジェリスタ
リンダはかつて「1万ドル(約120万円)以下の仕事ならベッドから出ないわ」と言い放っていたと言われていますが、そんな噂もあながち嘘とは思えません。何しろリンダは、1996年に老舗化粧品メーカーのヤードレー・オブ・ロンドンと数百万ドル(数億円)と言われる契約を結んだスーパーモデル。その日はきっとご機嫌でベッドから飛び出したことでしょう!
1998年:クラウディア・シファー
クラウディアが広告モデルを務めたアパレルブランド、ゲスの創立者であるポール・マルシアーノは、クラウディアの驚くほど素晴らしい広告写真が「ゲスの名をより広く世界へと知らしめてくれた」と語っています。今見ても美しい広告の数々に感謝♡
1999年:シャローム・ハーロウ
シャロームはまさにランウェイに君臨した女王でした。シャネルやマーク ジェイコブス、サルヴァトーレ フェラガモにヴェルサーチと数々のショーに出演しましたが、中でも忘れられないのはアレキサンダー・マックイーンのショー。ロボットから吹き付けられる風をドレスで受け止めながら、回転するステージの上でポーズを取り続ける彼女の姿は印象的でした。
2001年:ナタリア・ヴォディアノヴァ
モデルを始める前のナタリアは、果物を売って家計を助ける少女でした。17歳で本格的にモデルの仕事を始めると、すぐにカルヴァン・クラインのお気に入りに! その数年後には、カルヴァン・クラインやロレアルと数百万ドル(数億円)の契約を結び、誰もが認めるスーパーモデルになったのです。
2002年:リヤ・ケベデ
2002年、パリ版『ヴォーグ』誌は1誌をまるごと使ってエチオピア人モデル、リヤの特集を組みました。その1年後、彼女はエスティ ローダーの新しい顔に就任。同社の長い歴史の中で黒人モデルが採用されたのは初めてだったそう。
2003年:ダリア・ウェーボウィ
イタリア版『ヴォーグ』誌の表紙を3回飾り、2003年にはプラダの顔に。その後、ランコムと複数年に渡って契約を結びます。ダリアは、誰もが羨むような仕事を次々とものにしていきました。
2006年:ココ・ロシャ
ランウェイやCM、キャンペーンビジュアル…あらゆるところで目にした顔ではありませんか? それもディオールやイヴ・サンローランといった大手メゾン! ココはアイリッシュ・ダンサーとしても有名で、ジャン=ポール・ゴルチエのショーでは、8歳から培ってきたダンスの腕前を披露しています。
2007年:アギネス・ディーン
2007年、アギネスの中性的な外見は世界に衝撃を与えます。ランウェイを始め、服や香水の広告など様々なシーンで、このピクシーカットのイギリス人モデルに多くの人が目を奪われました。この年、彼女は『ヴォーグ』誌の「世界の次世代トップモデル」の1人に選ばれています。
2008年:カーリー・クロス
カーリーが活躍しなかった年なんてあったでしょうか? もちろんそんな年はありませんが、2008年は中でも特別。この年のカーリーは、64ものショーに出演しています。彼女の親友テイラー・スウィフトもびっくり⁉︎
2010年:ララ・ストーン
2010年以前も、ララは数え切れないほどのランウェイに登場し、カルヴァン・クラインと契約を交わすドイツ人スーパーモデルでした。そんな彼女があらためて脚光を浴びたのは、この年にプラダの香水の広告モデルがサーシャ・ピヴォヴァロヴァから彼女へと交代したときです。彼女の“パーフェクト”ではない容貌を“モデルとは思えない”と評する人たちも居るそうですが、果たしてそうでしょうか? パーフェクトとしか思えないチャーミングなスーパーモデルです!
※この翻訳は、抄訳です。
Translation:中尾眞樹(Office Miyazaki Inc.)