2014年7月、芸術家のろくでなし子さんが、自身の女性器を3Dスキャンし、そのデータを配布したとして、逮捕されました。罪名は「わいせつ電磁的記録等 送信頒布罪」と「わいせつ物電磁的記録 記録媒体頒布」。

同年12月には、女性器をかたどった作品「デコまん」を店頭に陳列したとして、今度は上の2つの罪状に加えて「わいせつ物陳列罪」で再逮捕。デコまんとは、手型を作る時のように、女性器を型に押し当て、石膏で固め、それを地形に見立ててジオラマのようにし、絵の具やパーツでデコレーションしたもの。

今年5月の判決で、デコまんに関しては無罪が言い渡されましたが、3Dスキャンのほうは罰金40万円の有罪判決となりました。弁護側は不服として、即日控訴しています。

体の器官のひとつである女性器。これは本当に無条件で「猥褻」なのか。私の体には、見たいという人に見せるだけで警察に逮捕されるような、物騒なものがくっついているのかー。

ある日、記事を読んでいたら、私が学生のときに美術史を教わった、上智大学国際教養学部の林道郎教授が、なんと弁護側の証人として出廷していました。これは直接話を聞かねば!と、取材してきました。

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上智大学国際教養学部 林道郎教授

―今回、証人として出廷された経緯を教えてください。

彼女が2回目の逮捕で拘留されたときに、警察と検察に対し、美術評論家連盟の有志で「不当逮捕である」という声明を出しました。裁判が始まるときに、本人と弁護士さんから意見書を書いてもらえないかと頼まれ、そのまま出廷することになりました。

実は僕は、彼女のことを「すごい作家だ」とまで思っているわけではありません。むしろフェミニズムアートの歴史からいうと、既視感さえある。今回証言台に立ったのは、本当に不当な扱いを受けた彼女のためということもありますが、同時に、判例主義の日本で、今後の表現者たちに影響が降りかかってくるのを危惧しているからです。

―「頒布罪」で起訴されていますが、不特定多数に配布していたのでしょうか。

データが渡った9人は、ろくでなし子さんの活動をサポートしていた人たちでした。5人はクラウドファンディングで出資していた人たち。あとの4人は、新宿の個展で、「ミニまんボート」というオブジェを買ったおまけとして、データをもらっていた。

要は、ろくでなし子さんのアートに関心を持って、支援している人にしかデータは渡っていない。そういう意味では、不特定多数とは言えないですよね。例えば道でいきなり性器を露出して、見たくもない人に見せた、という話ではない。

―今回、デコまんは「直ちに女性器を連想させない」「性的刺激が緩和されている」から無罪、3Dデータは「性器を忠実に再現している」から有罪、との判決でした。ただ、実際の3Dデータを見ると、ぱっと見、あまり性器という感じはしないのですが…。

そう。3Dスキャナーで性器をスキャンすると、肌の色も陰毛も写らないので、単なる医学標本のような、のっぺりとしたデータになります。僕が実際にプリントアウトを見たときは、地形図のような印象を受けました。こういったニュートラルなデータを人に渡しただけで罪に問われるというのは、不条理に感じます。

―日本では、わいせつの定義として、59年前にチャタレイ事件で示された「わいせつ3要件」が今も使われています。(①いたずらに性的興奮または刺激せしめ、②普通人の正常な性的羞恥心を害し、③善良な性的道義観念に反するもの)なにをもって「いたずらに」「普通」「正常」「善良」としているのか、検察や裁判官は答えられるのでしょうか。

いや、答えられないでしょう。そんな定義はできないので、なんとなく使い続けているっていうだけの話。今回の裁判でも、弁護側はまずこの刑法175条の違憲性を指摘しています。すごく曖昧で、どうにでも解釈ができるし、どう適用するかについては、裁判官個人の主観的な判断になるため、非常に問題がある。

社会通念というのは常に変化するものですよね。今の社会通念からは逸脱しているものでも、数年後にはそれが「普通」になっていることなんてざらにある。それを常に念頭においておくのが「表現の自由」です。今の社会通念を絶対的なものとする、あるいは裁判官個人の主観を判決に当てはめるというのは、表現の自由とは相容れません。

印象派にしたってピカソにしたって、最初に出てきたときは「あんなもの絵じゃない」と言われていました。印象派は典型的な例で、セザンヌがデビューしたときなんか、みんなに「狂人の絵」と言われていた。新聞や批評家にも、散々こき下ろされていたにも関わらず、10年、20年経つと、世界のスタンダードに。そういうことが芸術の世界ではもう何度も繰り返されている。美術というのは、へんてこりんなものを許容できる器であってほしい。そこを、普通人の感覚で全部取り締まっていくとなると、表現の自由という考え方そのものを殺すことになります。

―今回の判決は、データの中身が芸術かどうかは関係ない、というスタンスでしたよね。

それはある意味正しいとも言えて、「これは美術なのか、わいせつなのか」というのは、実はハッキリと分けられるものではないんです。これが事態を複雑にしている部分。

僕は美術史の専門家として証言したけれど、「美術だからわいせつではない」なんてことを言うつもりはない。彼女の活動について、専門家でも「あれは美術ではないからほっておく」という人もたくさんいます。でも今回の裁判に限っては、彼女の作品がアートかアートでないか、なんてことは本質的な議論ではない。彼女の作品について、良いか悪いか議論できる自由な空間を守る、という話だから。そこを分けられない人がすごく多い。

1人の人間が、何かを社会に訴えようとしている。それを、刑法175条で簡単に取り締まっていいのか?という、表現全体の問題なのです。

―インターネットがある今、裸でもなんでも無料で丸見えなわけで、この時代にこの刑法を適用することは、現実的なのでしょうか。

現実的ではないでしょうね。ただひとつ、見たくない人の権利というものもあり、それは配慮しなくてはいけない。しかるべき「ゾーニング」は必要だと思います。美術館でいうゾーニングとは、過激なものは囲った部屋に入れて、「子どもには不適切」などと警告を出した上で、展示をすること。ポルノも同様で、偶然見えてしまうようなところには置かず、「18禁」と社会的に警告を出しておくなら、表現の自由として守られるべきだと思っています。ろくでなし子さんは、そういう意味ではまっとうな人で、3Dデータにしてもデコまんにしても、ランダムに誰にでも売るような形にはせず、成人の支援者にだけ渡すなど、注意深く活動している。別に露出狂ではないんですよね、彼女は。

―以前MoMAに行った時に、ちょうどマリーナ・アブラモヴィッチの展示をやっていて、まさにゾーニングしていました。中に入ると、生身の人間の男女が裸で作品の一部になっている。

そう、欧米なんかは、ゾーニングした上で割と過激なものも展示していますよね。日本もそうなって欲しいんだけど。

この事件と並行して、愛知県立美術館で写真家の鷹野隆大さんが、ご本人ともう1人の男性の裸体の写真を展示していたら、警察が介入して、取り下げないと逮捕すると言ってきた。あらかじめゾーニングしてあって、警告も出した上で飾っているのに、いきなり警察がやってきて逮捕すると言われたことは、美術界では大きな衝撃でした。結局、鷹野さんと美術館側で相談して、下半身だけ白い布をかけて、検閲があったことを明示するような展示方法に変えました。

―ということは、日本の警察からすると、ゾーニングしていようがしていまいが同じ、という判断?

そうなりつつある。この傾向は割と最近始まったもので、10年前、20年前はもうちょっと自由でした。この3、4年で、現場への介入や自己検閲がすごく増えてきていて、社会が息苦しくなっている風潮がある。7月下旬には、美術評論家連盟で、美術と表現の自由に関するシンポジウムを開くことになっています。

―ろくでなし子さんの件でも鷹野さんの件でも、被害者が存在しない事柄に、当局や国が介入したところで、社会にとってメリットがあるのか、疑問なのですが。

ないと思いますね。ろくでなし子さんは別にメジャーな作家でもなかったわけで、なぜ彼女なのか、というのは不思議なところ。3Dスキャナーという新しい技術が出てきて、その応用方法はまだ実験段階ですよね。その中で、彼女はそれを使って性器をスキャンしてしまった。国としては、一旦牽制しておかねば、という見せしめの意味もあったと思う。

彼女は一部有罪になったことに対して即日控訴していて、それは予想通りだったけど、そのあと検察も控訴しています。検察が控訴すると、今回無罪になったものも見直されて有罪になる可能性がある。そこまでやるのか、という感じはする。裁判でも、ろくでなし子さん側は、僕のほかに、美術界で影響力のある人たちが無罪を主張した意見書を6通提出していました。検察側が出したのは、1ページの意見書一通のみ。刑法学者が書いたものだけど、検察のために多く意見書を書いている人のようです。内容も、「普通人の正常な〜」と3要件を述べただけ。

―彼女は自分の作品について「ばかばかしいもの」としつつ、「女性器タブー問題」を声高に訴えていますよね。

彼女のやってきたことは、前の世代のフェミニズムアートとの繋がりの中で見ることができるし、美術の文脈で十分判断できると個人的には思う。ばかばかしさの中に、何か重要なメッセージがあることもありますよね。彼女のばかばかしさは、僕としては割とそういうものを感じる。

日本社会が持つ女性器のイメージの問題、またそこに法が介入してくることに対して、あっけらかんと、ユーモアを交えながら、「やっぱり私はおかしいと思う!」という批判精神がある。ただばかばかしいだけなら、裁判にまで持っていかないですよね。裁判はストレスもお金も労力もかかるわけで、信念がなければ、罪を認めて、略式起訴で何十万か罰金払って終わりでよかったんだから。

―変に隠すことによって、逆にいやらしくなる感じはありますよね。ろくでなし子さんみたいにバーンと出しちゃうと、個人的にはわいせつというイメージとは真逆の感じ。

そうそうそう。かなまら祭(性器を祀るお祭り。性器の形のグッズも販売される)ってあるでしょ。朝日新聞の人が検察に、「どうしてあれは取り締まらないの」と聞いたら、「あれはサイズが違うからいいんだ」と言われたと。確かに、ろくでなし子さんの「まんボート(女性器の形のボート)」は起訴されてない。サイズが実物と違って大きければいい、ということらしい。よくわかんないでしょ(笑)。結構適当なんですよ。

―ダビデ像は、裸だけど、あれはリアルに見えてリアルじゃないからOK。あれが3Dプリントしたものだったら、わいせつ物。セックスドールも、実在の人間がベースになっていない場合はOKで、3Dプリントだとダメってことですよね。

そうなんだよね。AV女優の身体をスキャンして、それを彫刻として美術館に並べる人が出てきてもおかしくないわけで。そういう時にどうするのか。そういう色々なことが起きてくる可能性を検察側はやっぱり考えたんじゃないかな。

―新しい技術に法律が追いついていないっていうだけですよね、単に。

そうです。「電磁的記録 頒布罪」というのも、4、5年前に足された法律用語なんですよね。データでわいせつ画像を売り買いした場合に、従来の「印刷物」ではないので、新しく用語を追加した。

―過去の欧米のフェミニズムアートだと、パフォーマンスアートもたくさんありますが、実際に当局が介入してきたり、といったことはあったんですか。

あるケースもあるけど、ほとんどないかな。キャロリー・シュニーマンジュディー・シカゴも逮捕されてないし。ただヴァリー・エクスポートっていうオーストリアの作家は、映画館に入って行ってゲリラ的に自分の性器をいきなり見せちゃう、という変なパフォーマンスをする人で。彼女は確か1回ぐらい公然わいせつかなにかで捕まってると思うな。

一昨年オルセー美術館の、クールベの「世界の起源」という女性器の絵の前で、いきなり座って自分の性器を見せた女性の作家がいて、彼女はその場で一応捕まって警察に連行されたんだけど、観客はみんな拍手してたね。何人かサクラがいたのかもしれないけど、なんとなく周りの人の反応がいいなあ、という感じだった。YouTubeで見れますよ。

日本はやっぱり美術館側が敏感に自主規制してしまう風潮がある。問題の1つは、公立美術館の多くの館長が行政から降りてくる人だということ。上とつながっているから、たたき上げではない場合が多くて、学芸員が表現の自由に関して声をあげても、館長は守ってくれない。欧米だと館長レベルでも連帯して戦ってくれますけどね。

プッシーライオットの時も同様だった。「たいしたバンドじゃないから(無視する)」という人が僕の周りには少なからずいたんだけど、そういう問題じゃない。自分にも降りかかるかも、という危機感がない。問題が起きたときに、いろんな人が声をあげてくれるぞ、という連体感があれば、作家も学芸員も頑張れると思うけど、それがない。いざとなったらみんな傍観者になっちゃう、となるとなかなか挑戦できない。

―今後も裁判には参加されるんですか?

一審は証言台に立って、メディアでも色々発言していますが、二審では同じ人がいいのか、別の人が証言した方がいいのかは、弁護士さんの戦略次第ですね。

―証言したことでフィードバックはたくさん来ていますか?

取材に関しては、朝日が来ましたが、他のメディアはなぜかノータッチで、あなた方が初めてです。うちの学部の教授たちはリベラルな考えの人が多いので、「I'm so proud of you!」「You did a good job!」とみんな言ってくれています。


今回のケースは、被害者が誰もいません。そこに、税金を使ってあえて国が介入する。さらに前例主義の裁判所が、戦後間もない時代に定められた「わいせつ」の曖昧で主観的な定義を元に、一人の国民に有罪判決を下す。これが果たして公益と言えるのでしょうか。「先進国」のあり方なのでしょうか。今後の裁判の行方に注目です。

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