俳優で映画監督のリナ・エスコが『フリー・ザ・ニップル』という題名の映画を作り、「乳首解放運動」に火が点いたのは、約10年前のこと。「女性の乳首だけが検閲されるべきではない」と抗議する運動です。

本記事では、専門家や運動家たちが語る「フリー・ザ・ニップル」の意義やこれまでの歩みについて、<コスモポリタン イギリス版>より解説します。これまで人々は女性の乳首をどう見なし、どう向き合ってきたのでしょうか。

    禁欲主義的な取り締まりの影響を受け…

    「乳首は、女性の身体の権利における重要な砦の一つ」だと話すのは、『ネイキッド・フェミニズム』の著者であるヴィクトリア・ベイツマンさん。

    「乳首をめぐる問題の原因は家父長制社会にあり、女性の身体への権利を限定することで男性たちが支配してきた」と主張します。

    「4000年前に遡れば、中東などの地域でもトップレスやヌードは当たり前の世界でしたし、中世ヨーロッパでも、画家たちによって聖母マリアがトップレスで描かれることもありました。ところがどちらの地域でもその後、宗教的な観点から禁欲主義的な取り締まりが起こります。何かの問題が起こる度に、その身代わりとして女性の身体の自由や権利が奪われることになったのです」

    乳首をめぐる“検閲”の歴史

    今でこそ大きな襟はファッションの一つですが、17世紀のイギリス(清教徒革命の時代)では、大きな襟は基本的に女性の胸を隠すためにありました。ハノーヴァー朝の時代には“胸を寄せて持ち上げるスタイル”が流行しましたが、ヴィクトリア朝に入ると道徳的な規範が厳しくなり、女性もハイネックで禁欲的な装いになっていきます。

    胸の谷間を見せるファッションは20世紀に入るまで戻ってきませんでしたが、現在でも女性が公の場で乳首を露出することはほとんどありません。

    「SNSでは、女性の乳首だけにモザイクがかかっていたり隠されていることが多い」と語るのは、ボディ・アクティビストのリンダ・ウェーバーさん。

    「乳首は、誰もが持っている体のパーツの一つです。どうして女性の乳首だけが性的に見られ、制限を受けなくてはならないのでしょうか」

    女性の乳首を“性的”な文脈に限定する悪循環

    現代では、女性が胸や乳首を露出したときに批判を受けることも少なくありません。それは、女性の胸はきわめて性的な対象として見られており、その中でも乳首は常に隠されているもので最も性的な部分として捉えられているからです。

    たとえその女性自身が胸を出すことに性的な意味合いを含まずに心地よさを感じていて、自分に力がみなぎったり、解放されるような気分になるとしても、世間からは批判的な目で見られてしまうことも。

    ベイツマンさんは、この背景にある悪循環を指摘します。

    「覆われている部分や隠されている部分は、性的な部位だと捉えられることが多いです。そのため、女性の乳首を“性的”な文脈に限定して検閲することで、女性の乳首は性的な対象でありつづけてきたのです」
    「残念ながら、フェミニストの間でも肌を露出する女性に対して厳しい目を向ける人もいます。“色気”を重視するフェミニストは、“真のフェミニスト”とはみなされないことが多いのです。『フリー・ザ・ニップル運動』は男性が見たいものを見せているだけと、家父長制に同調していると考えているフェミニストも少なくありません」
    topless bicycle demonstration in berlin
    picture alliance//Getty Images

    「社会的道徳を掲げ、性的な対象である胸を覆うことを求める動きは長年にわてって続いてきました。昨今では、鎖骨や胸まわりの露出は許容できるけれど、それでも“乳首”だけはタブー視しつづけるというのは不思議な話です」と語るのは、胸の手術を専門とする外科医のポール・バンウェルさん。

    「公の場でも身の安全を感じられること」と「ブラジャーをつけず出かける心地よさ」の両方を確保することは、現代では簡単ではありません。でも、乳首や乳房を出している人に対して批判の目を向けることをやめるという小さな一歩なら、私たちにも踏み出せるのではないでしょうか。

    続けることで、“当たりまえ”のことに

    身体の等価性を訴える一方で、トップフリー運動のイベントの陣頭指揮を執っているリンダ・ウェーバーさんは、「フリー・ザ・ニップル(乳首解放運動)」のイベントでよく見られる光景について次のように苦言を呈しています。

    「トップレスで何かを訴えるイベントがあると、多くの人がやってきて写真を撮ります。この人たちの多くは、運動や訴えを支持しているわけではなく、露出された胸を見たいだけです。そしてメディアでも、“センセーショナルなもの”として取り上げられてしまいます。ただ、この動きを当たりまえのものにするには、“普通”になるまで続けるしかないのです」

    また、「問題なのは女性の身体のパーツそれ自体ではなく、社会が植えつけたイメージ」だとも強調。

    「乳首を含め、身体のパーツ自体に何か問題があるわけではありません。自身の身体に対して慎ましい姿勢をとる女性にだけ価値があるという社会的な見方が問題です。本来ならば、それが本人の意志や自由に基づいているのであれば、身体が覆われていても露出していようとも、すべての女性が敬意に値するべき存在なのです」

    ※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。
    Translation:mayuko akimoto
    COSMOPOLITAN UK