多様性を尊重することの大切さが謳われる現代では、ジェンダーやセクシャリティ、人種などグラデーションがあるなかで、誰もが社会的な視点から見た「自分」を表せるようになるために、さまざまな新しい言葉が世の中に出てきています。

それらの言葉が「ラベル」となって個人を表す一方で、個人の価値観に基づいた偏見、社会で常識とされている通念、こうあるべきという規範など、区分されることで社会における力関係が見えてくることも。

今回は、ラベリングがどのように社会に影響を及ぼすのかを社会言語学者の中村桃子さんに取材。言葉が持つ働きを見つめ直し、誰もが快適に過ごせる社会を考えてみましょう。

監修:中村桃子さん

ラベルの持つ意味

そもそも「ラベリング」の本来の意味は、ラベルを貼り付ける・分類する・名前を付ける、ということ。

そこから派生し、最近では“社会的に”ラベルを貼ることを意味する場合もあります。ラベルを貼ることで、相手がどのような人なのかを言葉で区分し、その言葉が持つ社会的な意味や規範に、心理や行動を従わせる力を持つのです。

たとえば、「あなたはお姉ちゃんだから、しっかりしなさい」と周囲の人に言われたときに、「長女」という区分に分けられ、「わたしは長女だ」という意識が生まれます。そこから妹や弟に優しく振る舞ったり、責任感を覚えたりと、いわゆる社会的に見た「長女」という言葉が持つイメージに沿ったマインドに導き、行動にまで影響を与えます。

「ラベリングとは、現実を体系のなかで区分して名前を付けて分類していく行為です。単に名前をつけるだけではなく、どのような言葉にも暗に含まれる意味や『いい・悪い』といったような価値観が付属します。価値観は人それぞれなので、誤解が生まれる可能性もある。そこがラベリングの危険性と言えるでしょう」
family of six
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ラベリングには力関係が存在する

本来ジェンダーや人種など、人の属性や特性にはっきりと境目があるわけではなく、それぞれのグラデーションになっています。

言葉によって分類されるということは、対象を他のものと比較したときにその存在が認識されるということ。たとえば、男女二元論で「男」という存在が認識されるのは、それ以外の「女」という、違う存在と比べたから。

「言葉を使った区分には対立構造があり、言葉を普及させる力を持っている人やメディアによってラベルが広まっていく」と中村さんは話します。

「広辞苑の初版から『同性愛』という単語が載っていたのにも関わらず、『異性愛』が載ったのは、ごく最近の話。異性愛という言葉が必要がないくらい性愛関係は男女の組み合わせが当たり前で、それが正しい考えとさせることで特権的地位を与える意識が社会にあったのではないでしょうか」

不快なラベリングに対する抗議の重要性

一般的に「ラベル」は当事者ではなく、属性や団体とは関係のない部外者が決めている場合が多くあります。

関係のない他者からのラベリングを不快に感じている人がいるなかで、「ラベリングに対する抗議がとても重要です」と中村さんは言います。

「これまでLGBTQ+コミュニティは、声を挙げて抗議することが難しい場合が多くありました。公の場で特定の人たちに対する非難に対し、『ラベリングをされて嫌な思いをしている』と伝えていくのは大切な循環です」
multiple speech boxes
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ラベルによって存在を伝えられることも

使い方や意図によって、持つ意味が違ってくる「ラベル」。力関係が存在したり、不快なラベリングがある一方で、自分を正当化する道具として扱われているケースもあります。

たとえば、最近目にすることが多くなった「ヘテロセクシャル(異性愛者)」や「バイセクシャル(両性愛者)」といったような言葉。こういった「ラベル」が広まっていくと自分の存在を伝えることができる人もいます。

ただし、「ラベリングをすることは、権力にもなり得ます。すぐに言葉の意味は変わるので、注意して言語化しなければなりません」と中村さんは警鐘を鳴らします。

「面と向かって相手のことをラベリングするのは、失礼な行為になりえること。また、個人の意識よりも重要なのは、言葉の意味を印象付けやすいメディアや発信力の大きな人。言葉の意味を操作しやすいので、慎重に言葉を選んでいく必要があります」

ラベルと正しく向き合うために

個人間でのコミュニケーションにおいて、相手にラベルを押し付けられた、もしくはラベルに基づいた態度が自分にとって不快な対応だとしても、その気持ちや本当の自分らしさを伝えるのはなかなか難しい場合が多いでしょう。

まずは「正しいラベルはない」という意識を持ち、わたしたちは言葉を紡いでいく必要があります。

「人は現実をラベル付けすることによって、存在を認識します。ラベルは必要ですし、なくなることもありません」
「新しい言葉が認識されるといい面もありますが、どういう価値や属性、区別を与えてしまうのかを考えなければなりません。自分の存在を正当化するためにラベリングを利用するのではなく、力があるからこそ救わなければならない、という方向に社会全体が向かっていく必要があると思います」

社会言語学者 中村桃子先生

 
中村桃子
関東学院大学教授。専門分野はことばとジェンダー。上智大学大学院修了。博士。著書に『「自分らしさ」と日本語』(筑摩書房)、『新敬語「マジヤバイっす」——社会言語学の視点から』『翻訳がつくる日本語——ヒロインは女ことばを話し続ける』(白澤社)、『女ことばと日本語』(岩波新書)、『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房、第27回山川菊栄賞受賞)、『〈性〉と日本語――ことばがつくる女と男』(NHKブックス)、『ことばとフェミニズム』『ことばとジェンダー』(勁草書房)など。訳書に、『ことばとセクシュアリティ』(三元社)など。