自分がどう生きたらいいか悩んでいるとき、自分と同じような人がどのように生き抜いてきたのかを知ることで光を見出せる人も少なくないはず。その点では、先人たちの軌跡や生き様が読み取れる“歴史”にアクセスしづらいことは、生きづらさに繋がると言えます。

本記事では、主に性的マイノリティ女性がよりよく生きるための学びの場を共有する、ボランティア団体「パフスクール」で活動を続ける筆者が考える、「レズビアンの歴史を学び、残すことの重要性」について、自身の経験を交えて綴っていきます。


【INDEX】


文:山賀沙耶

見えづらくなりがちな「L」

2015年に東京都世田谷区と渋谷区で同性パートナーシップ制度がスタートし、メディアで「LGBT」の文字を見かける機会が増え、いわゆる「LGBTブーム」が起こって約7年。以来、それまでバラバラで活動することの多かった性的マイノリティが、LGBTとしてまとめて語られることが多くなりました。

でも、L、G、B、T、Q、その他のアイデンティティ、その間にいる人たちなど、それぞれが抱える問題は同じではなく、また個人によっても違う。LGBTとまとめて語られることで、それぞれの問題や、その間にあるパワーバランスが見えにくくなりがちです。

特に「性的マイノリティ」「女性」という2つのマイノリティ性が重なったとき、その生きづらさは倍増し、声を上げることが難しくなります。声を上げられないと、情報が必要な人に届かず、残らず、問題も解決していかない。

そこで、私たちはトークイベント「日本Lばなし」をスタートし、その記録を講演録冊子に残すだけでなく、今回はクラウドファンディングという方法を使って、より多くの人に活動を知ってもらいたいと動き始めたのです。

hands of unrecognizable lesbian female couple with lgbt rainbow bracelet
Alvaro Medina Jurado//Getty Images

ロールモデルを探し求めていた10〜20代のころ

私自身、中学生で同級生に淡い恋心を抱き、自分は女性が好きかもしれないと思い始めたとき、とにかく何でもいいから自分と似た人の情報を知りたいと思いました。

当時見つけたのは、両性具有や同性愛、何かのきっかけで性別が変わってしまうキャラクターなど、性を超越した存在が描かれた小説や漫画などの“ファンタジー作品”。高校に入ると、松浦理英子さんの『ナチュラル・ウーマン』など、純文学作品の中にも女性を愛する女性が登場するものを見つけて、読むようになります。

実家から遠く離れた大学に進学し、インターネットを自由に使えるようになってから、世界は一気に広がりました。当時はスポーツ観戦、特にテニス観戦が好きで、女子プロテニス選手の中にカミングアウトしている人がいることを知ります。

また、レズビアンの集うサイトを通じて札幌にレズビアンバー(「レディースバー」と銘打っていた)があることを知り、初めてリアルにたくさんの仲間たちと出会うことができました。さらに、文学部での研究を通して、近代女性文学者の中には女性同士で生活していた人たちが少なくないことも知りました。

なぜあれほどまでに、自分と似た人の情報を求めていたのか。それは、「自分が何者なのかを知りたい」、そして「こうやって生きていけばいいんだと思えるロールモデルを見つけたい」という気持ちからだったと思います。

近代女性文学者の中に見つけたリアルな先輩の姿

「ビアンバー」で仲間たちに出会うことはできたものの、そこにいたのは20〜40代が中心で、60代、70代、80代と年を重ねた人の話を聞くことはなく。自分はどのように年齢を重ね、最期を迎えることになるのか、まったく想像ができませんでした。

大学の卒業論文では、生涯女性と添い遂げた吉屋信子という小説家を取り上げ、「レズビアンの歴史」についても、過去の文献を漁って調べました。ところが、女性同性愛に関する資料は男性同性愛に比べても極端に少なく、ほとんど研究もされていないに等しい状態

それでも、近代の女性文学者たちや女学生たち、1970年代のウーマンリブの活動家などが、女性同士のつながりを大切にし、助け合って生き抜いてきた事実を知ることは、私にとって大きな力になりました。

それに、近代女性文学者の研究を通して知った、ロシア文学者で小説家の宮本百合子と愛し合った湯浅芳子さんの伝記『百合子、ダスヴィダーニヤ−湯浅芳子の青春』がきっかけで、ロールモデルと呼べる人にも出会うことができました。それが同作を執筆した著者であり、現在活動している団体「パフスクール」の代表でもある、ノンフィクションライターの沢部ひとみさんです。

saya yamaga
Saya Yamaga

レズビアンの歴史が残りにくい理由

なぜ、「レズビアンの歴史」は残りにくいのでしょうか。ここからは、考えられるその理由を3つご紹介します。

歴史の中で軽視される「女性」「同性愛者」の存在

一つ目の理由は、“個人的なこと”は社会の中で軽視されがちだから。

特に「女性」の歴史、「性的マイノリティ」の歴史は、「家の中」のこと、「性」のことと見なされ、プライベートな領域の事柄として、「正史」には残されにくいのです。それに加えて、残すべき歴史を選ぶ立場にいるのが、マジョリティである「男性」「異性愛者」がほとんどということもあります。

けれども、フェミニズム運動のスローガンにもあったように、「個人的なことは政治的なこと」。どことどこが戦争したとか、誰が何を作ったとかだけが歴史ではありません。

人間が歴史を残す目的の一つは、過去の出来事や先人から学ぶため。でも、私自身がそうしたいと思ったとき、自分が知りたい「レズビアンの歴史」はほとんど見つけることができなかったのです。

大事な「歴史的資料」を本人が隠滅してしまう

「レズビアンの歴史」が残りにくい理由の二つ目は、本人が隠そうとすること。

大学時代、ビアンバーでたくさんの仲間たちと出会って、この場こそが自分のコミュニティだと感じました。そこで自分の生き方に自信が持てたからこそ、大学の仲のいい友達にもカミングアウトして恋人の話ができるようになりました。

けれど、それは地元が遠く離れていたからこそできたこと。「両親には言えない。知られたら勘当されても仕方がない」とずっと思ってきました。若くして自死した友人の葬儀で、彼女の父親が「娘がお嫁に行く姿を見ることができず…」とスピーチしたときも、私たちは沈黙するしかなかった。

就職して社会に出ると、またカミングアウトが難しくなりました。噂として広まって、自分の知らないところで陰口を言われて、居心地が悪くなったら…。もしも、それが原因で待遇が悪くなったり、解雇されてしまったりしたら…。そう思うと、毎日顔を合わせる仲のいい同僚でも、なかなか言うことはできませんでした。

パートナーシップ制度のある自治体が200を超えた今でも、家族や職場にはカミングアウトできない、していない人のほうが多いのではないでしょうか。

本人がレズビアンだと疑われる可能性のあるものを隠したり、捨てたりして証拠隠滅をしてしまうと、貴重な資料や歴史は残っていかないのです。

自分が「レズビアン」なのか確信が持てない

「レズビアンの歴史」が残りにくい三つ目の理由は、「レズビアン」という言葉にアイデンティファイ(自認)するのが難しいこと。

私自身、女性のパートナーがいても、自分が「レズビアン」であるとは思えず、ずっとそう名乗ることができずにきました。人から「レズビアン」だと言われて否定するつもりはない。けれど、誰かにカミングアウトするときは「私のパートナー、実は女性なんです」といった歯切れの悪い表現を使ってしまいます

なぜ私が、自分自身を「レズビアン」だとはっきりアイデンティファイできないのか。それは、日本ではレズビアンがポルノのモチーフとして、性的な話としてしか受け取られないことがあるから。

セクシュアリティはたくさんあるアイデンティティの中の一つであるにもかかわらず、「レズビアンである」と名乗った瞬間に、“女と寝る女”という性的な存在としてしか見られなくなる、と感じることがあるのです。

また、そもそも自分をいわゆる「女性性」としてアイデンティファイできないという問題もあります。

女は髪が長く、化粧をし、スカートを穿く」「女は男に愛されたい」「結婚・出産するのが女の幸せ」。日本社会で求められるステレオタイプな“女”のイメージは、どれも自分には当てはまらない。だから、自分がレズビアン=「女を愛する女」なのか確信が持てません。

自分を指すはずの「レズビアン」をはっきり名乗れないことは、アイデンティティの確立を難しくします。そうなると、「レズビアンである」とカミングアウトすることも、レズビアンとして自らの歴史を語ることもできないのです。

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Getty Images

「L」とは誰なのか――。

私たちが「レズビアンの歴史」を残したい理由。

それは、私自身がそうしたように、特にマイノリティが「自分は何者なのか」「どうやって生きていけばいいのか」と悩んだときに、この社会を生き抜くためのヒントやロールモデルを見つけてほしいから

もう一つには、今までポルノの中で“女と寝る女”としておとしめられ、また一般的には“女を愛する女”と捉えられてきた「レズビアン=L」の意味を定義し直したいから。

さまざまなゲストのライフヒストリーを聴きながら対話を重ねていくと、私たちが考えているのは単に性的指向の問題ではなく、「誰とどう生きていきたいか」の問題なのではないかと気づきました。「日本Lばなし」の企画を通して、私たちは「L」を「女性にエネルギーを向け、女性とともに生きる女性」、つまり「女と生きる女」である、と考え始めたのです。

女性に恋愛感情を抱かなくても、女性と寝なくても、パートナーがいなくても、出生時や戸籍上の性別がどうあれ、私たちは「L」であると言えます。

アメリカの人気ドラマ『Lの世界』(原題“The L Word”=Lから始まる言葉)のように、私たちはこの「L」に、Love(愛)、Lust(欲望)、Liberty(自由)、Life(人生)などなど…さまざまな意味を持たせることだってできるのです。

現在、日本のLの歴史を語り継ぐ「日本Lばなし」講演録冊子第2弾を作成し、この活動をより多くの人に知ってもらうため、クラウドファンディングを実施しています。この企画に共感していただけたら、ぜひ応援よろしくお願いします!


クラウドファンディング情報

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「パフスクール」とは

性的マイノリティのQOL(生活の質)を高めるための学びの場として、2007年から活動しているボランティア団体。2015年から、仕事や活動に自分らしく生きる多彩な「L」の方々をゲストに招き、ライフヒストリーを語ってもらうことでLの歴史をつないでいく連続トークイベント「日本Lばなし」を計20回開催。