「母親になる前の生活が恋しい」と話すのは、息子を育てながらライターとしても活動している、とある女性。母親として感じる子どもへの義務感と、それによる葛藤、そして心を楽にするためのポイントを、<コスモポリタン イギリス版>からご紹介します。

“昔の自分”にさようならすること

長いこと、ずっと頭の中に残っている言葉があります。ふとそれを思い出して、ハッとするんです。

10年以上前、友人の中でも一番早く赤ちゃんを生んだ友達とコーヒーを飲んでいたときのこと。彼女の赤ちゃんが部屋中をかけまわり、行く手を阻むものをすべてひっくり返していました。激しくゆれる彼の身体を、テーブルの上の熱いカップから離し、フラストレーションで泣き出す彼の声を聞きながら、彼女は穏やかに私の目を見てこう言ったのです。

「子どもを持ったことを後悔したことは一度もないけれど、母親になったことはよく後悔するんだよね」

当時、彼女が何か意味深いことを伝えてくれたのはわかりましたが、その重大さを十分理解することはできませんでした。

その頃の私は、小さなバッグにカードとリップを放りこんで、ヒールをはき、イベントやパーティーに出かける…という具合だったのです。私が唯一しなくてはいけないことは、仕事の前にジムに行くために起きること――。でも、起きなければ、それだけのこと。いつだって、次の日がありました。ああ、自由に時間を使えた日々が恋しい!

愛しい息子を持つ母親となった今、当時の彼女のその言葉を、度々思い出し、共感します。母親であることは充実している一方で、以前のアイデンティティを失うことでもあります。そんな状況を寂しく思っている…なんて、表立って言うことはなかなかできません。オープンに語れば「わがまま」だとか、「悪い親」だと思われたり、子どもを十分に愛していない…と見られかねないのです。

SNSには、ツヤツヤ髪の素敵なママが、かわいらしい子どもたちと一緒におさまった写真があふれています。その反動で「リアルな姿を伝えよう」という人たちも現れ、鼻水で汚れた服や散らかった家などを公表するというムーブメントも。どちらに属するにせよ、私たちはこの女性たちをすべて「母親」というレンズを通して見がちです。

たしかに、母になることは大きな変化です。でも、現代においても、母親であることが私たちを判断する唯一のアイデンティティでなくてはならないのでしょうか。

 
Marina Petti//Getty Images

息子のことは愛しているけれど…

私は、母親になる前の生活を愛していました。

自由、キャリア、人間関係に、自分の労力や時間を費やしていたのです。自宅も、長年かけて自分にとって完璧な空間に作り上げていました。そして最も重要なことは、自分らしくいることを愛していたということ。

30代半ばには、すべてが整い、順調に過ごしていましたが、予期せぬ感情が沸き起こり「子どもを持ちたい」と思うようになったのです。息子が最初にあげた産声は、まぎれもなく私が聞いた中で最も素晴らしい声ですが、振り返るってみると、私はこれほど大きな変化が待っているとは予想もしていませんでした。歓迎すべき存在によって、私のすべてが変化し、愛する生活スタイル全般から隔てられたのです。

だからといって、喜びの瞬間がないというわけではありません。小さなあたたかい手が自分の手にからんでくるとき、息子が初めて私のために作ったお話を話してくれたとき。以前なら想像もできなかった喜びがあります。以前の私は、おまるがうまく使えたら、まずはそのことをネットで自慢し、喜びに踊るなんてことはありえませんでした。息子は、紛れもなく私にとって素晴らしい存在。問題は、母親業なのです。

実際に母親になってみる前は、映画などで見るような母親像を疑ったこともありませんでした。妊娠中は不思議な組み合わせの食べ物を欲しがり、眠れない夜を過ごすこともあるけれど、その間キャリアは順調で、愛する家族とともにディナーテーブルを囲む。言うまでもありませんが、これは現実ではありません。

考えていることも、スケジュールも、それまでと全く変わりました。「無償の愛は、恐怖の裏返し」だなんて、誰も教えてくれませんでした。

不安や罪悪感の波は毎日訪れます。私は生まれつきかなりやんちゃな性格でしたが、急に世の中が危険に満ちているように見えてきました。生後数カ月は、いつも息子の様子をチェックしていて、ぐっすり眠れたことはありませんでした。息子のベッドを別の部屋に移すと、一晩中眠れず、すり足で入っていっては、まだ息をしているか確かめました。息子は3歳ですが、この不眠症は今もなおりません。

そして寝不足の結果、翌日は炭水化物に手が伸びます。動くためのエネルギーを補給するためです(これがさらに私の気分や自意識に影響します)。運動をするなんで到底不可能に思えたし、仕事の締め切りであれ、4回目の洗濯であれ、息子が昼寝をしたタイミングでやるべき「もっと重要なこと」が常にありました。

出産後、私がケアしようと努めてきたこの身体は、自分のもののように感じられず、家事や栄養を与えるための器官になったような気がしました。肉体的にも精神的にもまった大丈夫ではありません。

たとえば、母乳をあげることがこんなにも苦痛を伴うと、なぜ誰も言ってくれないのでしょう? この母乳というごく個人的な行為をめぐるひどさは驚異的でもあり、公の場で母乳を与えるときの荒々しい舌打ちから、ほ乳瓶を使っているときの「母乳が最高」の大合唱までさまざま。正直、落ち込みます。実際は、どんな方法であれ、あなたが選んだ授乳のしかたがベストなのです。

自分の時間をとることに罪悪感がある

他人の干渉がなくても、母親の気苦労は相当です。それは本能的で、すごく辛いものです。働いているかどうかは関係ありません。

私は今も、自分の時間をとることの罪悪感から抜け出せません。もはや本当の意味での「休み」もありません。夜更かしした日の翌朝、どうしても布団のなかからデリバリー注文をしたかったとき、私は何がなんでも起きなくてはいけないのだと気がついてハッとしました。だって、息子に食べさせ、着替えをさせてやる必要があるのですから。これは毎朝、その後数年にわたって続きます。

朝ゆっくり寝ることは、パートナーと役割分担の交渉をして勝ち取るか、有料の保育によって得られる特権であり、たまに夜出かけても、子どものことが頭から離れることはありません。

…というより、いつでも緊急の連絡を受ける可能性があります。生後数カ月の頃、初めて子どもを置いて外出したときには、10分もすれば、ベビーシッターから、息子がソファーやじゅうたん、壁に吐いたというメッセージが。私たちはまだ飲んでいないマティーニを置き、時間はもう自分の都合では進まないと悟りました。自分の人生の主人公でもないのです。

そういう瞬間、私はこれまで培ってきた何十年という日々が恋しくなります。自分が育てているこの小さな人間によって、私の決断が影響されなかった日々が恋しいと言うこと、そして、その状態が長く続くことがきついということを、堂々と言っても許されるべきです。

こうした感情と闘うことは、いたって正常なことだと認識されるべきですし、ときには、ほんの数日だけでも、長らく忘れていたアイデンティティをとり戻す必要があるでしょう。

息子が2歳のとき、5日間出張に出ることになり(息子とこんなに離れて過ごしたことはありませんでした)、私は苦悶しました。そんな時に私を救ってくれたのは、仕事で遠くに出かけることのあった隣人のエマの言葉です。

「母親がどう感じるべきか、ということばかり言われるけれど、出かけてもいいし、仕事を好きでもいいと思う。だからって、子どもを愛していないことにはならないよ。子どもたちは、私たちが仕事を楽しんでいて、離れていても大丈夫なんだってことを知らなくちゃいけない。あなたが出かけて、子どもに会わなくても大丈夫だとしても、それでもいいんだよ」
 
Marina Petti//Getty Images

親になることの理想化はやめるべき

最近では、親になることを選ばない友人もどんどん増えています。「母親になるタイムリミットが来る」という考えに苦しんでいる人から、親になることについて聞かれるたびに、私はこう答えています。「私は、おすすめしない」と。

それは、子育てが最も素晴らしい選択だとおすすめできないから。私は、親になることであなたやあなたの人生が完成するとか、それがあなたを規定する唯一の特徴であるべきだという思い込みを変えたいからです。

親になることを回避することは、一つの選択肢をなくすことになるかもしれませんが、他の多くの選択肢を持つことでもあります。

旅行をしたり、よりスムーズにキャリアを築いたり、健康を保ったり、フィットネスを楽しんだり、友情を育んだり。多用なライフスタイルの選択肢が徐々に受け入れられる時代に「良い人生には子どもを産むことが不可欠だ」とする考え方は、時代遅れです。

私たちは皆これだけちがうのだから、「正しい選択」が誰にでも正解であるわけではありません。だからこそ、親になることの理想化はやめなければならないと思うのです。

つまり、子どもに対する無償の愛は美しいものだけれど、それは、あなたの身体や時間、睡眠、友情、そして精神の健康という、多大な犠牲とともにあるということ。私のように、子どもを激しく愛しながらも、以前の自分にはあった自由を惜しむことは起こり得ることです。

事前にベビーシッターを頼まなくても、ふいに飲みにったり、その気になったらランニングに出かけたり、海外での仕事のオファーを受け入れる自由が恋しいのです。保育園のお迎えのためにミーティングの途中で退席するとき、心配でたまらない気持ちで一晩中病気の赤ちゃんをあやしているとき、かつての無頓着な生活がとても昔のことのように思えます。

子育ては素晴らしい経験だし、光栄なことですが、それによって幸せが約束されているわけではないことも覚えておいてください。

母親になって学んだこと

覚えておくと気が楽になること、そして理解しておくべきことは…

  • 決めつけはやめる。誰にでも当てはまることですが、他人を決めつけないこと。自分を決めつけないこと。
  • 本を読み、自分にとって役立つアドバイスだけもらう。でも、子育ては誰にでも当てはまるわけではないことは忘れない。もし絶対的な正解があるのなら、こんなにたくさんの育児書はないのだから。
  • 近くに、同じくらいの子どもを持つ、信頼できる友達を作ること。苦労も分かち合えば半減するはず。
  • できるときは、スケジュールの中に少し「自分の時間」を組み込む。休んだり、友達に会ったり、散歩に出かけたりすること。他人に栄養を与えることができるくらい、自分にも栄養を。
  • 助けが必要なときは、躊躇せずに頼むこと。友達でも、家族でも、プロのサービスでも。特にプロは、あなたが経験しているようなことはすべて見聞きしている。自分が今どんな気持ちであろうと、そういう気持ちになったのはあなたが初めてではないし、あなただけでもないのです。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:mayuko akimoto
COSMOPOLITAN UK