14歳でスカウトされ、スーパーモデルへの道を歩みだしたケイト・モス(48歳)。ところがデビュー当時には、業界に蔓延る悪しき習慣によって、怖い経験や嫌な思い出が少なくないという。

BBCのラジオ番組「Desert Island Discs」に出演したケイト・モスが語ったのは、そんな当時の実態について。

1988年、バハマでの家族旅行の帰りの飛行機でスカウトされたケイト・モス。それまではモデルになろうと考えたことはなく、むしろ「モデルになりたいのは自惚れている人だけ」と思っていんだそう。それでも、スカウトで訪れた新たな機会に「一か八か、賭けに出てみよう」とキャリアをスタートさせることに。

仕事を獲得するためのオーディションには、初日こそ母親が同行していたものの、それ以降は一人で回っていたという。

「地図と住所のリストだけ与えられて、1日で8つのオーディションに参加しました。朝9時から夕方6時まで回りましたね。忙しいオフィスにモデルたち、どこを見ても美しい人たち、それに叫んでいる人たち。そんな状況をかっこいいと思ったから、母に一人で回るように言われた時も承諾したんです」
instagramView full post on Instagram

「ブラを外して」と言われ…

そんなケイトが直面したのは、業界が抱えていた悪しき習慣。下着のカタログモデルのキャスティングの現場では、トップレスになるように促されたという。

「当時は、たしか15歳でした。オーディションの現場で、上の服を脱ぐようにと男性に言われました。私は内気な性格でしたし、自分の身体にも自信がなかったのですが、仕方なく脱ぎました。そしたら『ブラも外して』と言われたんです。何かがおかしいと感じて、私は荷物を持って逃げました」
「この経験によって、直感が鋭くなったと思う。危険を察知できるようになりました」
1990年代に撮影されたケイト・モス
Aflo
デビュー当時のケイト・モス。

他にも、デビュー当時の嫌な思い出について明かしているケイト。

たとえば、1992年に公開された、俳優マーク・ウォールバーグとの共演による「カルバン・クライン」の有名広告もその一つ。当時まだ無名だったケイトは、まるで「モノのように扱われた」という。

「マークがとにかく“男性的”で、全てがマーク主導でした。大勢の取り巻きを連れてきていて、私はただのモデル。モノのような扱いをされた気分でした。弱くて、怖かった。そこを利用したような広告でした。私の、うぶで若かったところをカルバンは気に入っていました」
1990年に撮影された、ケイト・モス。
Avalon//Getty Images

「食事を与えられていなかった」

その細身な身体について、一方的に問題視されたり、憧れられたりすることも多かったケイト。当時人気だった他のスーパーモデルと合わせて「ヘロイン・シック(細身で目の下にクマがあるなどの特徴を持つモデル)」と呼ばれていたことについても言及。

「私は拒食症になったことはないし、ヘロインだって一度も使ったことがない。細かったのは、元々の体質ですし、そもそも仕事で食事を与えられていなかったんです」

現在では、モデルエージェンシーを立ち上げ、所属モデルの面倒を見ているケイト。自身の経験から、現場には必ずエージェントが付き添うように徹底しているほか、モデルが利用されていると感じた場合には、声を上げられるような環境を整えているという。