今月のカバーガールは、Miss COSMOコンテスト2018で見事グランプリに輝いた吉川プリアンカさん。日本とインドにバックグラウンドを持ち、ミス・ワールド2016の日本代表で、モデル・会社の社長として活躍する24歳。そんな彼女のルーツから、現在の活動、そして将来のヴィジョンまで、グローバル女子プリアンカさんのリアルボイスをお届けします!

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Cédric Diradourian

――コンテストを振り返ってみて、いかがですか?

7月までの2カ月、仕事のスケジュールの中にコンテストの予定が組み込まれていたので、けっこう大変でしたけど、すごく充実した、いい夏でしたね。夏らしいこと、何かした? と聞かれても、COSMOビューティキャンプに参加したことしか思い出せないくらい(笑)。今年の夏=コスモのコンテストみたいな印象です。コンテストを受けた理由のひとつとして、コスモのメディアコンセプト(Fun Fearless Female)がすごく好きだったからなんですが、ビューティキャンプには、それに惹かれている同性の女性が集まるわけじゃないですか。だからそういう方たちとみんなで目標に向かってがんばるということに、刺激を受けたし、すごく磨かれたと思いますね。いまだにみんな仲が良くて、たまにプライベートで会ったりもしているんですよ。

――周囲の反応などは?

グランプリをとった後は友達が連絡をくれましたね。ステージの上で賞をとるというのが久しぶりで、普通のオーディションは受かったとしても、表沙汰にはならないじゃないですか。みんな〈LINE LIVE〉などで見てくれていたみたいで、ちょっと恥ずかしかったけど、一緒に喜んでくれてうれしかったです。母にもコンテストを受けていることをきちんと話していなくて、優勝してから報告しました。

――お母様もバイタリティ溢れる女性だとお聞きしましたが、プリアンカさんの前向きなところはお母様の影響を受けているんですか?

私よりも母のほうが強いです、個性が! 私とはまた違う、別の個性を持っていて、私よりも自由な人です。物事の捉え方や感じ方に母が大きく影響しているなって、この年になってすごく実感します。母の教育は、とてもユニークだったと思います。たとえば、ったく拒否・拒絶・否定をしないんです。生まれたときから「何をしても大丈夫だよ、プリちゃんならできるよ」と言われて育ってきたんです。何でもできる気になるというか、そういうふうにマインドがセットされたんですよね。もちろん弱音をはくこともあるし、できないこともあるんだけど、テストで15点とったときでも「プリちゃんは頭いいよ」って、さらっと言うんですよ(笑)。だからいつもポジティブというか、フィアレスでいさせてくれるんですよね。両親ともに好きなことをして生きているので、自分も好きなことして、人生をデザインしてきたいなって思うようになりました。母は私の中学&高校時代、屋久島の自然に惚れ込んで移住したので、10年間くらい一緒に住んでいないんですよ。だから母というより、親友の関係が近いかも。親だけど、家族という絶対的な絆でむすばれた友達みたいな感覚で、仲はいいですし、ソウルメイト的な存在です。

――インドに住んでいたことがあるそうですね。どんな思い出がありますか?

生まれは東京なんですけど、その後、母とアメリカに3年いて、インドには小学校4年生、9歳のときに住みました。そのとき、父は日本にいて、母はアメリカにいて、私は親戚のところに預けられたんです。親戚は英語が話せなかったので、インドに行って1カ月半くらいでベンガル語を話せるようになったんですよ。私が住んでいたコルカタで一番話されている言葉がベンガル語なんですけど、生きていくために必要なものとして、すぐに覚えました。アメリカから引っ越し生活がガラっと変わったわけですが、一番の変化は、貧困を目の当たりにしたことが大きかったです。車に乗っていると6、7歳の子供が追いかけてきて、お金ちょうだいって言ってきたり、家の玄関がピンポーンって鳴って出ると、赤ちゃんを抱っこした女性がお米1杯かじゃがいも1個でいいからくださいって、日本ではそんなことないじゃないですか。そこで9歳なりに何か感じて、すごく大事な記憶となって、それが今に活きているから、人生の中で価値観が変わった第1ポイントはインドの1年間ですね。

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Cédric Diradourian

――日本とインドの違い、ほかにも感じることはありますか?

インド人は性格的に日本人と真逆だと思うんですよ。まわりをあまり気にしないというか、ゴーイングマイウェイなんですよね。血液型としてはB型の割合が多い国らしくて、なんでも大丈夫、大丈夫みたいな感じ。だからインディアン・スタンダードタイムって時間どおりではないですし、それでも別にOKみたいな。あとはイメージ的にカラフルで、お祭り好きだし、音楽が文化の一部なので、踊りが好きですね。ボリウッド映画って、踊るじゃないですか。あれは国民的に音楽が鳴り始めたら、踊り出しちゃう感じなんですよ。たぶん彼らはミュージカルを作っている感覚ではないんじゃないかな? 特にベンガル人というのは楽器や音楽が1番盛んな人種なんです。日本って北海道とか千葉県とか、都道府県で人種をわけないじゃないですか。でもインドって、州によって人種がわけられているんですよ。だから同じインド人が集まったテーブルだとしても、あなたはパンジャビ、私はベンガリみたいな感じで、見た目も違うし、服も、食べるものも若干違う。言葉も公的には22って言われていますけど、本当は何百とあるといいますね。ムンバイみたいな都会は東京と収入が変わらないですけど、山の奥のほうまで行くと、1日の収入が平均60円の場所もある、それくらい貧富の差がある国です。

――2年前にミス・ワールドの日本代表になられたわけですが、挑戦しようと思ったきっかけはインドの貧困を目にしたことだったそうですね。

インドから帰ってきたときくらいから、子供の貧困に特化したことをやりたいと思っていて、当時は、学生だったので、お金もないし、すごく裕福な家庭で育っているわけではないので、親にボランティアに行きたいからお金払ってといえるような環境ではなかったんです。まずは、自立できるようになったら、人のことも助けられるかなと思い、16歳のときにモデルを始めて。この世界である程度名前が知られるようになったら、自分の声もよりパワフルになるのかなと思い、21歳のときにミス・ワールドに出てみようと思ったんです。まさか自分がミスコンに挑戦するなんて思ってもみなかったんですけど、ミス・ワールドには目的ある美(ビューティパーパス)セクションというのがあって、そこでチャリティ活動することがカテゴリーに入っていてやってみたいと思い、応募しました。

――ミス・ワールドでやられたチャリティ活動は、現在にもつながっていますか?

そうですね、現在の活動にもつながっていて、子供の医療に取り組んでいるスマイルアジアというシンガポールにヘッドオフィスがある財団からお声がけいただき、アンバサダーの活動をしています。あとは、オレンジリボンという児童虐待防止を訴える日本の運動には自分から働きかけてサポーターをやっていたり、アッサム州にある団体の環境保全、野生象の保護活動にも積極的に取り組んでいます。ミス・ワールド日本代表の活動で学んだことが今につながっていると思いますね。

――プリアンカさんは象使いの資格を持っているんですよね?

それでインドの「バリパラ」という財団に興味を持ってもらえ声をかけていただいたんです! でも象使いの資格といってもギャグみたいなもので、ほんとお遊びみたいに誰でも簡単にとれるんですよ。5000円くらいの観光支援みたいな感じで、ラオスとかでキャンプをいっぱいやっているんです。ミス・ワールドを受けるときに、プロフィールに象使いって書いたら、絶対にかぶらないだろうなと思ったんですよ。6000人以上が応募していて、ファイナリストは31人だったんですけど、たとえばあと2人どうする?みたいなときに、そういえば象使いの子いたよね、くらいのフックになったらと思って。特技がないから取りに行っただけなのに、メディアにも今年の日本代表は象使い! みたいに取りあげられて、さらにかなり大きな財団のアンバサダーまでやらせてもらうことになるとは、ちょっと想定外でしたね! 象はかわいいし、優しいし、好きですけどね。小さいときはお父さんに象がほしいって言っていました。食べ物を全部象に持ってかれちゃうから、一生ご飯食べられなくなるけど大丈夫?って言われてやめましたけど(笑)。

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Cédric Diradourian

――いち女性としての人生プランみたいなものはありますか?

決めたがりではありますね。でも決めても変わるから、変わることも受けて入れていて、設計はするけど、28~32歳くらいで、みたいな感じでアバウトに設計しています。40歳の自分はまだ想像できないですけど、30代も最高、40代も最高って、年を重ねるのが楽しいライフスタイルにしたいと思っていますね。だから今ががんばりどきというか、ふんばりどきというか、20代はキャリアに専念して、結果を出したいと思います。子供は30歳くらいまでに授かればうれしいです。子供を育てるためにも、自分の個人的な野望は今のうちに消化しておかないと!

――キャリア面での今後の目標は?

モデルの仕事はどの撮影も毎回が勉強で、まだ自分に表現が足りないことなどをすごく痛感しています。これからCOSMOを通じて頑張っていきたいです。最近、ステージでトークショーなどをするときに、自分は話すことが向いているってわかったんです。仕事で世界をまわるのが夢なんですよ。何の仕事で世界ツアーができるんだろうって考えたら、得意な話すことだと思って。イベントで話したりしながら、インスピレーションを与えたり、自分の活動を通して誰かのモチベーションをあげることができたりすれば、そんな最高なことはないですよね。全部アドリブで話し始めたのがちょうど2年半前。海外のインタビューも台本なしで話すようになったんですけど、すごく楽しいし得意なので、そういう仕事をもっと広げていきたいですね。自分の言葉を届けられる人を増やせるようにヒンディー語とスペイン語と中国語を習いたいですね。

――明確な目標をお持ちのプリアンカさん。年収の目標もあるそうですね!

大きいことを目指したほうが小さいことをクリアできるという思考なので、前は1億とか言っていたんですよ(笑)。でも1億って、すべてを犠牲にしないと無理だし、そういう生活を私は求めてないし、理想として、1度は見てみたいという願望はあるけれど、冷静に考えて、3000万あれば、十分余裕かなって思ったんです。お金でみじめな気持ちになりたくないというか、裕福な家庭で育ったわけではないので、お金コンプレックスがあるんですよね。もちろんお金がたんまりある必要はないけど、お金がないからという理由で、夢や選択肢の幅の広さみたいなものを制限されたくないし、自分の子供にはそういう思いをさせたくないと思っています。この社会は物事を数字化して結果にするじゃないですか。だから数字を出せて、がんばった! と1回思えれば、仕事=数字で目標を達成できた証みたいに感じられる気がするので、今は3000万くらい稼ぎたいという思いがあります。実際には稼げないかもしれないけど、目指す分には自由じゃないですか(笑) 私、データマーケティングの会社をやっているんですよ。今はまだ勉強中なんですけどね! いつかこの仕事がもっと軌道に乗ったら、ボディケア商品のラインナップを作りたいと思っています。海外でモデルをしたり、話しをするという仕事と並行してできるといいなと思っています。

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Cédric Diradourian

――では最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。

人生1回きりだから、楽しく、前向きに! 前向きになれないときは落ちるだけ落ちてもいいと思うけど、前向きじゃないと損だし、毎日いろんなチャンスがあって、それが見えているか、見えていないか。チャンスをつかんで、それに向かって、チャレンジすること。変わることに恐怖を抱くのではなくて、辛いこともむしろ、楽しんでほしいなと思いますね。私もコスモポリタンのコンテストを受けるとき、新しいことに挑戦するということがけっこう怖かったんですよ。でもやってよかったと思うし、やらずに後悔するのは絶対によくない。いやだったらやめればいいんですよ! 本当にフィアレスだったら、やめるという選択肢も持てるはずだし、人にNOということも怖くないじゃないですか。自分の心が楽しいと思うことをフォローしてほしいなと思いますね。

コスモポリタンでの初撮影は、キュートな笑顔からセクシーなポーズまで多彩な表現を見せてくれたプリアンカさん。「ドレスを着て撮影するのはミス・ワールドのとき以来なので、大丈夫かなと、久しぶりに緊張してしまいました」というのも信じられないほどの堂々たるモデルぶりでした。これからがますます楽しみなプリちゃんを、ぜひ応援してくださいね!

撮影/Cédric Diradourian ヘア/Kazuki Fujiwara メイク/Maki Ihara スタイリスト/町野泉美 モデル /吉川プリアンカ 取材・文/江口暁子

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