日本人をはじめとした外国人観光客が多く訪れるタイの首都・バンコク。そこでは、たとえばドラァグクイーンがショーでパフォーマンスをしていたり、トランスジェンダーの方たちがレストランで働いていたりと、身近にLGBTQ+当事者たちが当たり前に存在しているように思えます。

一方で現地のクィアコミュニティの声に耳を傾けると、LGBTQ+当事者は未だに根強い差別や偏見に晒されていたり、婚姻の平等や職業選択の自由に制限があると言います。

そこでコスモポリタン日本版では、国外からは“LGBTQ+に寛容な国”というイメージを持たれているタイ社会の実態について取材。淑徳大学地域創生学部の石田仁教授をインタビュアーに迎え、タイ国内で初めてトランスジェンダーの教員となったケート・クランピブーン先生にお話を伺いました。

【INDEX】


ケート・クランピブーン先生

kath先生
Kath Khangpiboon
タマサート大学社会福祉学部教員。LGBTQ+の権利を求めるための活動もしている。

インタビュアー:石田仁(淑徳大学)
通訳:ART(スリーエスエデュケーション)


タイは本当にLGBTQ+に寛容な国?

――タイは“LGBTQ+に寛容な国”だというイメージをもっている人が多いです。このようなイメージに対して、ケート先生はどのように考えていますか?

海外の人たちから見えているタイ社会は“氷山の一角”にすぎません。LGBTQ+に関する活動やアクティビティの多くは、首都のバンコクだけで起こっています。活動が全国に広がっていないうえ、旅行者は観光のついでにそれらを見聞きすることも多いので、一見するとLGBTQ+に“寛容”な国に見えているのだと思います

たしかにタイには、国内でよく耳にする「グレンチャイ(遠慮する・身を引く)」という、寛大な心で他者を思いやる文化があります。みんな、お互いを尊重しあっているんです。

ただ、自身の性自認や性的指向をカミングアウトする行為が、当たり前に根付いているわけではありません。仮に家族にカミングアウトをしたとしても、「グレンチャイ」の精神から、打ち明けられた家族側が決定的な対立を回避しているのかもしれません。心から受け入れてもらえているかはわからないんです。「条件つきでやっと認められる」というような実態もあります。

――タイに行くとトランスジェンダーの方々をよく見かけます。「条件つきの寛容」とは具体的にどういうことでしょうか?

バンコクは比較的LGBTQ+に寛容な都市だと言えます。バンコクで見かけるLGBTQ+当事者は、バンコクに来てからカミングアウトしたのではないでしょうか。ただ、カミングアウト後に家族に受け入れてもらえず一人暮らしを余儀なくされている方も多いです。

それに、街中でよくトランスジェンダーの方を見かけるからといって、十分に社会で認められているとは言えません。ドラマやフィクションの世界でLGBTQ+の方たちが幸せに描かれていても、実際には差別や偏見があるのが現実です

特に、タイではまだまだ男尊女卑の風潮が根深く、「男性のほうが偉い」という考えが強いんです。また、性別を男女の二つのみであるとする「性別二元論」を前提とした社会であることも差別や偏見の一因と言えます。

また、LGBTQ+当事者のなかには学校へ行きづらいと感じている人も多く、必要な教育を受けられないせいで仕事に就けず、生活が困窮している方も多いです。働ける職種も限られており、ほとんどのLGBTQ+当事者が美容師やメイクアップアーティスト、キャバレー(ニューハーフショー)での仕事、セックスワーカーとして働いています。仕事があっても就ける職種が限られているような状況は“条件つきの寛容”だと言えるのではないでしょうか。

kathさん
Kath Khangpiboon

―― LGBTQ+当事者が学校へ行きづらい理由は何だと考えられますか?

学校へ行きづらく感じる理由は人それぞれですが、たとえば先生の教育が厳しくて「あなたは男の子なのに、どうして女の子みたいに振舞っているの?」と指摘されることもあると耳にしました。朝礼のときに男女で2列に分かれて並ばされるなど、様々なことがプレッシャーになってしまいます。

――タイにおけるLGBTQ+コミュニティの広がりについて、歴史的な背景を教えてください。

タイは、冷戦時代にアメリカと同盟を結んでいました。これまでの研究によると、駐留したアメリカ軍の慰安施設として「ゴーゴーバー」と言われる性風俗店やセックスワーカーの仕事が広まったという事実はあります。一方で、1960〜70年代には西洋の文化や思考を取り入れはじめ、LGBTQ+コミュニティやその権利運動が、制限がありながらも行われはじめました。

また13世紀から20世紀初頭まで、チェンマイ(タイ北部の都市)を中心とした「ラーンナー」という王朝がありました。ある時代から「ガトゥーイ」という言葉が使われていたんです。実はこの言葉は、人に対してだけではなく、形が変わっている果物や性別を特定できない動植物を形容する言葉として使われることもあります。

※一般的に、トランスジェンダー女性を指すタイ語

――LGBTQ+当事者が働くキャバレー(ニューハーフショー)が、タイの観光名所の1つとして発信されている事実もあります。当事者の方たちは、これについてどのように思っているのでしょうか?

私は大学講師をしているトランスジェンダーですが、これはかなり稀なケースです。たとえ能力があったとしても、医者や警察官、裁判官、弁護士のような仕事にLGBTQ+当事者が就けることはあまりなく、そういった仕事をしている当事者は、全体に1%いるか、いないかの状況です。

社会が職業選択の自由に対してオープンではなく、LGBTQ+当事者たちの職業を決めているようなものなんです。そもそも当事者ができる職業の選択肢が少ないので、自分たちの生活のために与えられた場所で一生懸命働くしかありません。そこでカギになってくるのが「法律」です。私たちは、LGBTQ+当事者の仕事を保障するような法律が制定されることを期待しています。

ケート先生
Kath Khangpiboon
ケート先生(真ん中)と生徒たち

タイ社会と法律の矛盾

――制度や法律について教えてください。法律上、タイでは性別の変更が認められていないそうですね。

国民が携帯を義務づけられている身分証明書では、自分が望むような姿の写真や名前にすることができます。一方で、そうしたIDカードやパスポートにおける法的な性別欄を変えることはできません。私も身分証では「ナーイ※英語の“Mr.(ミスター)”にあたるタイ語」のままです。

でもやはり、海外から性別適合手術をするために、わざわざタイに来る方がいるほど医療技術が進んでいるのにも関わらず、性別の変更が認められていない、というのは矛盾していますよね。

結局は海外の観光客に向けた、ビジネス的な発信なんだと思います。実際はLGBTQ+に関する法整備が十分になされていないので、「本当にタイはLGBTQ+の人々にとって“天国”なのか?」「LGBTQ+当事者の人権をしっかり考えているのか?」という点では疑問をもっています。

――性別変更に加えて「パートナーシップ制度」もまだ施行されていないと思います。また、婚姻平等の実現にも時間がかかりそうなのはなぜでしょうか。

「シビル・パートナーシップ法」と「婚姻平等法」は全く異なるものです。二つの法案の合意点を見出すのは難しいことですね。

シビル・パートナーシップ法では、同性同士の“結婚的生活”が認められていますが、通常の婚姻と比べて得られる権利に制限があります。現在の法律上、婚姻の対象は異性同士とされていますが、ジェンダーに関係なく婚姻が認められるように法律を改正するべきだと思います。LGBTQ+当事者の多くは、婚姻の平等を実現するために、シビル・パートナーシップ法ではなく、婚姻平等法を支持しています。

法整備に時間がかかっている理由は様々ですが、保守的な考え方をもつ国会議員が多く、LGBTQ+の課題を重視していないことが大きな理由ではないでしょうか。

一方で、今年5月に行われたタイの総選挙で多くの議席を獲得した党は、LGBTQ+当事者の議員も所属しており、婚姻平等法や性別変更を推し進めようとする動きがあります。新内閣はまだ組閣されていませんが※2023年8月20日現在、私はこういった法整備の実現に期待しています。

ケート先生
Kath Khangpiboon

――タイで長い間活動を続けているLGBTQ+の団体や、活発に活動している団体があれば教えてください。

20年ほど前から、HIVの検査や健康相談、差別や偏見による被害などに困っているLGBTQ+当事者たちをサポートするコミュニティや団体が、健康や人権のための活動をしています。これは首都のバンコクだけでなく、パタヤやチェンマイなど、大きな街でも見られました。

私自身も、大学に着任する前は「タイ・トランスジェンダー・アライアンス」という団体で活動していました。タイには徴兵制度があり、法的性別が男性であればトランスジェンダー当事者も兵役の対象となります。私は団体の一員として、性的マイノリティの当事者が入隊したときに差別や偏見を受けないよう多くの人に理解してもらうためのサポート、当事者への支援、家族の受容問題などの対応をしていました。

また、ここ2~3年でLGBTQ+に関する活動には変化があり、昔と比べて活動が多様化してきた印象です。健康面だけではなく、LGBTQ+の学生が学校に行くときに、好きなファッションや髪型で通学できるようサポートをする団体もあります。

政治に対してだけでなく、社会に対してジェンダーやLGBTQ+の諸問題について訴えかけるようなデモも行われています。ナプキンの無償化や性暴力の撲滅、 LGBTQ+当事者の職を守るためにセックスワークの合法化を主張する団体など、様々な主張をする団体が増えてきました。

――団体に所属しているのはどういった方たちでしょうか?

現在25〜40歳の「ジェネレーションY」に属する人たちが多いです。(既成勢力に対抗する)政治に関わっているのも35〜45歳なので、ほとんどこの世代に含まれています。

一方で、デモ隊を見ると若い世代が多いように見えるのは、SNSを活用して参加者を集めやすくなっているからでしょう。若い世代は、SNSを利用して情報収集をしたり政治的な発言をしたりしている場合も多いんです。

5万人以上が参加したバンコク・プライド

――団体が主催するイベントや運動を支援するスポンサー企業などはあるのでしょうか?

2023年6月4日(現地時間)に行われた「バンコク・プライドパレード2023」には5万人以上が参加し、私も「時代が変わったな」と驚いたほど大規模なイベントでした。

スポンサーは、タイで有名な「セントラル・デパート」といった大企業をはじめ他にもありましたが、メインの支援者はバンコクの自治体です。バンコク知事のチャチャートさんは、交通規制をして道路を閉鎖し、参加者が歩けるようにサポートしてくれました。

people carry a flag in a parade to kick off bangkok pride

―― 首都バンコクのような観光地以外でもパレードやイベントが開催されているのでしょうか?

スポンサーや資金が十分に集まらない場合もあるので規模は小さいものの、ナコーンラーチャシーマーやハートヤイといった大きな町でもパレードやイベントが行われています。なかには県知事や市町村長を招待するような取り組みもあるようです。

また、国境に面している都市のムックダーハーンやメーホーンソーンなどでも、小さいながらパレードが行われています。

ほかにもパタヤでは、プライドパレードが2つ開催されています。1つ目は「セントラル・デパート」のような大企業をスポンサーにつけて行うもの。

2つ目はバーなどで働く方たちが店舗に集まり、LGBTQ+のコミュニティ内だけで行うものです。こういった人たちはビジネス的な考えや資本主義から距離をとっているので、そのパタヤのプライドパレードのような運動に対して「どうしてデパートでやるの?」という疑問をもっているようです。

変わりつつあるタイ社会

――昔と比べて、タイの人々のLGBTQ+に対する捉え方に変化はありますか?

プライドパレードには表層的な部分もありますが、たしかに昔と比べると、LGBTQ+の存在がだいぶ認められるようになったのではないでしょうか。私たちは法律の成立に期待しています。

また若者はSNSを駆使しているので、今LGBTQ+当事者に対するいじめや差別があれば、すぐにSNS上で拡散されて加害者への批判が殺到します。そういった面を見ても、だんだんとLGBTQ+への理解が深まってきたのだと考えられます。

若者だけでなく中高年のなかでも、LGBTQ+の存在を認める人たちが増えてきました。LGBTQ+当事者に対する差別意識だけでなく、「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」という規範の押し付けを改める人も増え、今まさに文化の革命が起こりつつある、と言えるかもしれません。

ケート先生
Kath Khangpiboon

―― コロナ渦が収束に向かってきてタイに訪れる観光客も増えてきたと思います。ケート先生は、旅行者にどういう「タイ」を見てほしい、あるいは考えてほしいですか?

これは個人的な話ですが、たとえば私はレストランに行ったときにLGBTQ+の方たちを見かけると、「応援したい、励ましたい」という気持ちになります。職業の選択肢が少ないなかで、差別や偏見を乗り越え、面接を受けて――大変な道のりを歩んできたからこそ今の姿があるんだろうな、とその方の身に起こった出来事をあれこれと想像し「応援したい」という気持ちに駆られます。

タイを訪れるときは、タイの文化や習慣、マナーに関心をもったうえで、様々な面を見ていただければと思います。タイは「微笑みの国」と呼ばれていますが、実際は寛容とは少し違う状況もあり、時間が守られない、道の渋滞がひどいなど、これまでもっていたイメージとは異なる姿を目にする場面もあるはずです。是非、心をオープンにしてタイを見てほしいです。


インタビュアー:石田仁 教授

石田仁先生
石田仁
淑徳大学地域創生学部教授。博士(社会学)。専門はLGBT等性的マイノリティの戦後史と現在。主著に『はじめて学ぶLGBT』(ナツメ社)、編著に『躍動するゲイ・ムーブメント』(明石書店)、『性同一性障害』(御茶の水書房)など。

通訳:ART

バンコク出身。チュラロンコーン大学文学部日本語学科主席卒業。現在、スリーエスエデュケーションおよびJAYAランゲージセンターにてタイ語主任講師を務める。