「セレブ斜め愛」の連載が始まって以来、あらためて、おばあちゃんにとって“理想のセレブ”とは、どんな存在なのかを考えるようになりました。…で、出てきた結論はこういうものでした。

「圧倒的な才能とキラキラ感の中に、なぜか少しだけ“マヌケ感”がブレンドされている。そのほんの少しの“マヌケ感”こそが、愛さずにはいられない絶妙なスパイスになっている」

その意味でマライア・キャリーは、おばあちゃんにとって理想中の理想、完璧なセレブです。

デビュー曲の『Vision Of Love』が大ヒットしたのは1990年。「まだまだアメリカにはとんでもない実力の歌手がいるものだ」と、日本でも大変な盛り上がりでした。

Mariah Carey Portrait Session
Deborah Feingold//Getty Images
1990年に撮影された、当時20歳のマライア・キャリー。

シンガーとしてのその後の活躍は言うまでもないことですが、その後の“セレブ”としてのお騒がせっぷりも、あたくしや友人たちを惹きつけてやみません。この連載コラムのタイトルは「セレブ斜め愛」ですが、“斜め愛”にもっともふさわしい存在がマライアなのです。

今でもはっきり覚えているのは15年ほど前…。超ショート丈の白いトップスを着て、おへそを含めたお腹部分をガッツリ見せてステージに立っていたマライア。そのお腹は見事な“シックスパック”になっていました。でも不思議なことに、脇腹は“ムチムチ&段々”状態。

当然、「そのシックスパック、本物じゃなくて描いただけじゃね?」と騒がれたのですが、おばあちゃんと友人知人の間では、マライア株は下がるどころか天井知らずの高値をつけたものです。「こんな面白い人、そうそういるもんじゃない!」と。

それ以来、3人掛けくらいのソファにきちんと座るのではなく、あえて寝そべるように座り、「アイシテマース」と挨拶してから友人とのおしゃべりをスタートさせるのを「マライアスタイル」と名づける習慣が始まりました。ボリューミーになった後でも恋人のブライアン・タナカにビーチでガッツリお姫様抱っこをさせている姿に「アメリカってのはやっぱりすごい国よ。勝てないわ!」と叫んだり。つまりは、ますますマライアに斜めな愛を捧げていったのです。

HBO's Official 2017 Golden Globe Awards After Party - Inside
Jeff Kravitz//Getty Images
2016年頃に、ダンサーとして活躍するブライアン・タナカとの交際が発覚。一度は破局報道が出るも、現在(2019年8月時点)でも交際は順調のよう。

ちなみにおばあちゃんは“プラスサイズ”のカテゴリーに入っていまして、「7kg増量までは誤差」のスローガンのもと、日々美味しくご飯をいただいています。なので、マライアがヘタすりゃ「25kgまでは誤差」と言わんばかりのゴージャス&ボリューミーな変貌ぶりを見せてくれていたのは、本当にありがたかったのです。

もちろん、胃のバイパス手術を受けて劇的にウェイトダウンしたマライアも大好きです。なぜならボリューミーだった頃と“見せ方”がまったく変わっていないのですから。「とにかく胸の谷間は強調し、ボトムはパンツであれスカートであれ超タイトに」というマライアは不変。25kgどころか「40kgまでは誤差」と言わんばかり。素晴らしい…!

むしろおばあちゃんは、「すべてのサイズは美しい」という記事を載せている一方で、「マライアが美ボディに変貌」的なタイトルをつけてマライアのウェイトダウンを記事にするような報道にプリプリ怒っていたくらいです。「言ってること、矛盾してない?」と。マライア自身(の、少なくとも内面)は変わっていないのに、と。

最初にも述べた通り、おばあちゃんは、マライアのシンガーとしての素晴らしい才能だけでなく、ある種の“マヌケ感”、浮世離れしたツッコミどころの多さを愛しています。好きなセレブは他にもたくさんいますが、マドンナは少々ストイックすぎ、ビヨンセは少々スキがなさすぎ…、マヌケ感という点ではおばあちゃん的に申し分ないキム・カーダシアンやちょっと前のパリス・ヒルトンは「お仕事の実績、才能」とのバランスが少々寂しく、ナオミ・キャンベルはプライベートのマヌケ感の中に武闘派な要素が多すぎる。対して、マライアはどこまでもポジティブにスキだらけ。本当に得難いセレブです(その意味でおばあちゃんが猛烈に期待している最近のセレブは、カーディ・B)。

なんだかんだ言っても、ポジティブなのは本当に大事。マライアにはこのまま浮世離れで、どこまでも安心感の漂う“お騒がせ”を貫いてほしい。で、実際そういう予感100%だからこそ、愛さずにはいられないのです。お騒がせの果てに、ホイットニー・ヒューストンやエイミー・ワインハウスのような悲劇が起こるのは、おばあちゃんはもう知りたくないのです…。