戦後間もない1952年に、25歳にしてイギリスの女王となったエリザベス2世の波乱の半生を描いたドラマ『ザ・クラウン』 (Netflixで配信)で明かされているのは、若き女王が直面してきたさまざまな困難。

実は王位につく前にも、自ら選んだ男性と結婚するまでに多くの障壁があったのだそう。そのお相手こそが現在の夫、遠縁のフィリップ殿下。<TOWN&COUNTRY>によると、1947年11月20日に行われたロイヤルウエディングへの道は平坦ではなかったようで…。

エリザベス女王が、愛する人と結婚するまでの紆余曲折
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エリザベス王女がフィリップ王子に一目ぼれしたのはわずか13歳のとき。両親に連れられてダートマスのイギリス海軍兵学校を訪問したエリザベス王女は、すでに将来は女王となることが決まった身。この時、王女のお世話係をつとめたのが18歳のブロンドの士官訓練生、"ギリシャのフィリップ王子"だったのだそう。2人は文通を始め、エリザベス王女はフィリップ王子の写真をベッドサイドに飾っていたほど!

エリザベス女王が、愛する人と結婚するまでの紆余曲折
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実はふたり、共に大英帝国に君臨したヴィクトリア女王の玄孫。ただし、エリザベス王女が温かい家庭で育ったのに対し、フィリップ王子は無一文同然だった上に、両親とは何年も会っていない状態だったそう。

デンマーク王家の分家で、長くギリシャを統治していたフィリップ王子の家系。ところが第一次大戦後にクーデターで伯父コンスタンティノスが王位を追われることになり、一家は亡命。二度とギリシャに帰ることはなかったそう。やがて母が精神を病み、父は愛人と暮らすために南仏へ。そんな理由から、フィリップ王子は寄宿学校で育つことに。

海軍士官として、地中海や極東で勇敢に責務を果たしていたフィリップ王子。その間もエリザベス王女にせっせと手紙を送り、機会があれば直接会って、愛情を育んでいったそう。1946年にはスコットランドでプロポーズをし、エリザベス王女は即座にイエスと返答。しかしそこから、2人のロマンスにはさまざまな試練が…。

まず、エリザベス王女の父ジョージ6世が、20歳になったばかりの娘は結婚には若すぎる、婚約発表は数年待つべきと主張。さらに、フィリップ王子の陰口が囁かれるように…。魅力的な彼を「金髪のギリシャ神アポロン」とか「ヴァイキング」、「映画スター並みのハンサム」と讃える人がいる一方で、「がさつ」、「傲慢」、「貧乏人」呼ばわりもされたそう。

一番まずかったのが、第二次世界大戦の記憶も新しい当時、彼が「ドイツに近すぎ」たこと。実はフィリップ王子、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家の出身。彼自身は子供のころにイギリスの親戚に引き取られたものの、姉たちは全員ドイツ貴族と結婚しており、義兄のうち3人もがナチスの党員。エリザベス王女の母エリザベス王妃も、フィリップ王子が義理の息子にふさわしいとは思えなかったらしく、身内だけのときは彼のことを「フン族(ドイツ人の蔑称)」と呼んでいたとか。

エリザベス王女&フィリップ王子ウェディング
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しかしエリザベス王女の結婚への決意は固く、とうとう両親も折れることに。そこで1947年、フィリップ王子は3カラットのダイヤをあしらった婚約指輪を贈って改めてプロポーズし、王が2人の婚約を正式に発表。フィリップ王子はイギリスに帰化し、姓も「マウントバッテン」に変更。結婚式の直前には、エディンバラ公の称号も与えられました。

ただ、国民の多くはこの結婚を歓迎しなかったそう。ある新聞が読者の投票を募ったところ、「王族同士が国を超えて結婚する時代は終わった」などの意見から、40%の人が反対だったとか。

それでも徐々に、若くチャーミングなカップルのロマンスは人々の心をつかんでいきます。結婚式の日取りも決まり、残る問題はお金だけ。戦争の影響で物資が不足していたイギリスにはまだ食料配給制度があり、ガソリンやタバコ、紙の輸入が制限されていたそう。

よって、結婚式はごく質素なものに。ドレスの材料を買うのに配給クーポンを使わなければならなかった王女に、政府はクーポンを200枚追加してくれたのだとか。そんな中で何とか美しいドレスが仕上がります。アイボリーホワイトのシルクのドレスには数千個の小粒真珠が縫いつけられ、星型のパターンをほどこしたトレーンは長さ4メートル。ボッティチェリの1482年頃の作品『プリマヴェーラ』にインスパイアされたとも言われています。

「質素」を文字通り実行したのはフィリップ王子の方だったよう。もともと服装に興味がなく、倹約好きだったエディンバラ公は、海軍の制服にブラシをかけただけで結婚式に臨み、靴下には繕いがあったという話も。

エリザベス女王が、愛する人と結婚するまでの紆余曲折
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花嫁が式に向かう途中には、ダイヤのティアラが折れてしまうというアクシデントが。この時は母の王妃が周囲の騒ぎをしずめ、落着いて王室づきのジュエラーを呼んで対応。「すぐに直りますよ」という王妃の言葉どおり、ティアラは修復されたとのこと。

未来の君主の結婚式ですから、ひっそりと、というわけにはいきません。式の一部始終はラジオで中継されて数百万の人々が聴き、ウェストミンスター寺院に集まったゲストは6人の王と7人の王妃を含めて2500人。

その後新郎新婦はウェストミンスターからバッキンガム宮殿に移動し、祝賀朝食会へ。幸せな2人の姿は、まばゆいばかりだったそうです。

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: Noriko Sasaki (Office Miyazaki Inc.)

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