イギリスのエリザベス女王は御年91歳を迎え、存命する世界の君主のうち在位期間が最長に。その夫で5歳年上のエディンバラ公フィリップ殿下も、70年近い公務はイギリス史上最長だったそう。先日公務を引退したばかりの殿下は、ときどき「うっかり発言」をして周囲をあわてさせることでも有名。その一方で、飾らぬ性格が国民に愛されている人気者。

しかしそんなフィリップ殿下が、少年時代に多くの悲劇にみまわれ、波乱万丈な生い立ちだったことはあまり知られていません。そんな殿下の過去についてまとめた内容を、<redbook>からご紹介します。

エリザベス女王とロイヤルファミリーを描いたドラマ『ザ・クラウン』 (Netflixで配信)の第2シリーズでは、フィリップ殿下の波乱に満ちた過去が主題のひとつに。3月に行われたロンドンでのドラマについてのインタビューでは、製作者・脚本担当のピーター・モーガン氏も、「フィリップ殿下の複雑な内面が中心になります」と発表。「彼の子供時代は壮絶ですよ。これはフィクションで作れるものではない」。

住処を転々とした子供時代

フィリップ殿下は1921年6月10日、ギリシャのコルフ島で、ギリシャおよびデンマークのアンドレアス王子と、バッテンベルク家のアリス妃の息子として誕生。ギリシャ王位継承権の順位は6番目。父アンドレアス王子はギリシャのゲオルギオス1世の四男であり、ゲオルギオスの暗殺後は兄のコンスタンディノスが王位を継承済み。フィリップの祖母は、ロシア革命で赤軍に処刑されたロマノフ家の出身。そして祖父は、デンマーク王クリスチャン9世。

つまり妻のエリザベス女王と同じように、フィリップ殿下はヨーロッパ王室の王子の子供ということなのだけど、2人の人生のすべり出しはこれ以上ないくらい対象的だったよう。

「エリザベス女王の家庭は仲が良く幸せでした。1936年、エリザベスが10歳のときに起きた伯父エドワード8世の退位事件を除けばね(エドワード8世が離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するために王位を捨てた事件。「王冠をかけた恋」と形容されることも。このために弟、つまりエリザベスの父が、ジョージ6世として即位することに)」と、<Town & Country>に語るのは『Young Prince Philip(原題)』の著者フィリップ・エエード氏。

ギリシャは希土戦争に破れたことから1922年にクーデターが勃発、伯父のコンスタンティノスは王位を追われることに。当時陸軍にいたフィリップの父も、反逆罪に問われて亡命を余儀なくされる身となりました。一家はパリに逃げて10年ほど過ごしたものの、家族の生活はとても困難なものだったそう。

「両親は息子を愛してはいたのですが、落ち着かない生活の中、フィリップは幼いころはほとんど親の顔を見ずに育ちました」とエエード氏。「ギリシャからの亡命生活でお母さんの神経が参ってしまい、子供たちはしょっちゅう友人や親戚の家に預けられたのです」。

1931年には神経衰弱を起こし、スイスのサナトリウムに移されたアリス妃。「その日、子供たちは外に連れ出され、夕方に帰るともうお母さんはいなかった」とのこと。 後に妃は、統合失調症と診断されたそうです。

4人の姉たちは全員ドイツの貴族と結婚してそちらに落ち着き、父は南仏に移り、フィリップはわずか10歳でひとり残されてしまうことに。それから何年もたった『インデペンデント』紙のインタビューで、ご家庭では何語で話されていたのですかと聞かれたフィリップは、「家庭? そりゃいったい何のことだね」と答えたとか。

学校時代

フィリップ殿下は1932年の夏から1937年の春まで、母に会えず、手紙さえ1通も受けとらなかったとのこと。後に、「要するに、家庭は崩壊したのだ。母は病気、姉たちは結婚し、父は南仏にいた。自分で何とかやっていかなくてはならなかった。他にどうしようもないじゃないか」と胸の内を吐露しています。

両親不在のフィリップ殿下の面倒をみることになったのは、母方の親戚ミルフォード=ヘイヴンおよびマウントバッテン家。彼らは、イギリスの王室など多くのヨーロッパの王家とつながりの深い家柄で、殿下はイギリスの学校に通い、姉の夫が所有していたドイツの学校に少しの期間通ったことも。しかしそこは1年も経たずに辞め、イギリスに戻って、スコットランドの寄宿学校である名門ゴードンストウンに入学します。

そこにいる間にも悲劇が…。16歳のとき、姉のセシリアとその夫、2人の子供たちが飛行機事故で逝去。そのわずか数カ月後には、叔父で後見人だったジョージ・マウントバッテン卿が46歳の若さでガンのためにこの世を去ることに…。自らその知らせを告げたゴードンストウン校の校長クルト・ハーン氏は、「(フィリップ殿下は)悲しみを男らしく受け止めた」と回想しているものの、ある同級生は『インデペンデント』紙に、「感情を押し殺したんだと思うよ」とも語っているそう。

女王との出会い

学校を卒業するとイギリス海軍に入隊、叔父のルイス・マウントバッテン卿の勧めで、ダートマスにあるイギリス海軍兵学校に入学。ここで18歳の士官候補生であったフィリップ殿下が、三従妹(みいとこ)の13歳のエリザベス王女に出会うことに(2人ともヴィクトリア女王の玄孫)。7年後の1947年、2人は婚約を発表します。

英女王の夫フィリップ殿下、知られざる「孤独な幼少期」
Getty Images

幸福な時期であるはずが、同時に失ったものがあらわになった時でもありました。父は1944年に亡くなり、母は戦争中ギリシャに帰国(ナチ占領下ではユダヤ人難民を保護する活動をしたそうです)、姉たちの結婚相手はすべてドイツ人。結婚式の日、フィリップ殿下の家族はひとりも姿を見せなかった――すなわち、ウェストミンスター寺院で行われた結婚式には、誰も招待されなかったのです。

英女王の夫フィリップ殿下、知られざる「孤独な幼少期」
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しかし、その後の年月は幸福なものになりました。エリザベス王女との釣り合いを気にする人達もあったものの、エリザベス王女はフィリップ殿下の「率直さと独立心」に惚れこんでいたよう。

交際期間中の1946年夏、フィリップ殿下は未来のフィアンセである女王への手紙にこう記述しています。「戦争を生き抜いて勝利を見たこと、心身を休める機会を与えられたこと、そして心の底から深く恋をしたことで、自分のこれまでの個人的な、いや、世界中の悩みや苦しみが、全くちっぽけなことのように思える」。

英女王の夫フィリップ殿下、知られざる「孤独な幼少期」
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このような「波乱に満ちた」子供時代が、フィリップ殿下にどう影響し、今の彼を形づくったのか…。エエード氏によると、女王の王配として彼が見せてきた揺るがぬ態度の多くがそのことで説明できるとのこと。

「彼は子供の頃の心の傷を勇敢に乗りこえた。それでも家族がバラバラになり、両親から安定した愛情を得られなかったことは、フィリップ殿下が感情を表に出さない理由であると思います。それは彼の虚勢ともいえるほど落ち着いた、単刀直入な外面と同じくらいはっきり目に見えるものです」

2017年8月、96歳ですべての公務から引退した殿下。その人柄はいつまでも人々の心に残るはずです。

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: Noriko Sasaki (Office Miyazaki Inc.)

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