7月のカバーガールは、「COSMOPOLITAN SUMMER Party」のライブステージにも登場する沖縄出身の女性ラッパー、Awichさん。高校卒業後、アメリカ・アトランタの大学に留学中に結婚、出産、そして夫の死という経験を経て帰国し、2017年に満を持して発表したアルバム『8』でブレイク。起業学とマーケティングの学士号を持ち、10歳になる娘さんのママでもあるラッパー兼ビジネスウーマン、Awichさんの、スピリチュアリティやピースフルなマインド、そしてタフでポジティブな生き様に迫ります。

――まずは、留学をしようと思ったきっかけを教えてください。

留学したのは19歳のときなんですけど、ずっとアントレプレナーシップ(起業学)に興味があって、高校の頃から大学生が行く起業家セミナーみたいなものに行っていました。もともと勉強が好きなんですよ。遊びも好きで、ここでは言えないくらい遊んでいましたね(笑)。遊んでいるけどセミナーにも行く、みたいなギャップも自分的に気持ちよくて。それで起業とかビジネスを学ぶなら、やっぱり本場はアメリカだと思い、もう作られてしまっているLAやNYより、当時急速に成長していたアトランタに行くことを選びました。そこで旦那さんとなる人と出会ったんです。

――旦那様とはどうやって出会ったのですか?

登校中に出会って、完全にナンパでした(笑)。私が住んでいたのはアトランタの中でも物騒なところで、治安も悪かったんですけど、彼は悪いことをいっぱいやっている人だったんですよ。その人と恋に落ちて、結婚して、子供を産みましたが、それで大学をやめるとか、そういう考えはまったく頭になかったですね。ずっと学校には通っていて、妊娠後期のお腹パンパンな状態で期末試験を受けたりしていました。しかも妊娠5カ月目くらいに旦那が刑務所に入って、家にいなかったんですよ。3カ月後くらいに出所したんですけど、出産まであと1カ月くらいあると思っていたら、彼が出てきて3日目に生まれたんです。早産だったけど健康で、未熟児とも判断されず、元気な赤ちゃんでした。

――そこからのいきさつを教えてください。

ちょうどその頃、旦那がまずい状態になっていて、名前を出したら何の仕事にもつけないような状況だったんです。なのでアトランタを出て、彼のお母さんが住んでいるインディアナポリスへ行くことにしました。そこでも起業学に特化したいい学校を見つけて通い、学士号をとって、卒業したのが2011年5月。でも翌月に旦那が殺されてしまって…。彼が亡くなる前にずっと沖縄のことを話していて、彼もそういうところで畑とかやりながら生活したいみたいなことを言っていたんですよ。とりあえず私が日本でいい仕事を見つけて、お金を稼いで、そうやっている間に彼の性格とか生活を変えてもらおうと思って。わざとちょっと辛くあたって、変わらないなら別れるみたいなことを言っているような時に殺されちゃったんです。ずっとケンカもしていたし、関係は悪くなってはいたんですけど、彼が変わってくれたら沖縄で家を持って生活する計画をしていた矢先だったので、衝撃ではありましたね。24歳で未亡人になりました。でも、危ないことはそれまでにもいっぱいあったんですよ。娘が寝ているときに家に発砲されたこともあるし、車を撃たれていたこともあります。銃が当たり前のところで生きている人たちってすごいなと尊敬する反面、怖かったですよね。日本で平和に暮らしていると、それが普通になって命の価値がわからなくなることも。でも家族を失った経験がある人には、「日本はすごく平和なんでしょ、銃がないんでしょ、すごいね」とか言われるんですよ。日本に住んでいると、それを改めてすごいなんて思うこと、ないですよね。その感覚が違いすぎて、すごくマインドを開かされたというか、いろんなことを思ったし、考えたし、今となってはいい経験と思うしかない。でもやっぱり悲しいと思っていたときもあったし、鬱っぽくなっていたときもありました。

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Cédric Diradourian

――悲しみを乗り越えるために支えになったのは?

娘や音楽はもちろんなんですけど、一番力になったのは自分が昔から書きためていた詩ですね。そういうものの中にも沖縄のスピリチュアリティというか、"すべての根本はひとつ"というコンセプトがあるんですけど、エネルギーは作られもしないし、壊されもしない。一生まわっているだけなんですよ。そう思うことで、旦那の魂も私のまわりを取り巻くものに還元されていったから、別れではないかもしれないと思ったり。その人を失ったって考えたら手放すだけだけど、形が変わって、その力が私に宿ったと思えば、得ることができるって。旦那は愛に溢れる人だったけど、ものすごく悪くて、だらしないところもあって、いいのか悪いのかわからない人だったんですよ。だから彼のことを考えて、自分の魂が浄化されていくような気分になるときもあれば、次の瞬間は怒りで爆発しそうになるときもあったし、もし生きていたら殺したいって思ったことも何度もあって、私、全然スピリチュアルじゃないと思ったことも…。そんな思いの繰り返しでした。死について、いっぱい考えて、いっぱい自問自答しました。そんなとき彼の荷物を整理していたら、「言葉は一番の絆」って英語で書かれた紙がでてきたんですよ。もともと詩を書く人だったので、「言葉が絆を作れないときは、俺の魂をその前に捧げます」って詩っぽく書かれていたんですね。彼のいとこに聞いたんですけど、旦那が亡くなる2時間前くらいに話をしたらしくて。普段、男同士ではポジティブな発言をする人で、リーダー的な存在だったのに、そのときは疲れたとか、もう終わりにしたいとか、全然彼らしくないことを言っていたそうです。刑務所で警察に暗殺されそうになったこともあるし、誘拐されて山奥に埋められそうになったこともあるし、それでも生きてきていた、すごい人なんですよ。家族全員がこいつは何があっても絶対死なないって言っていたのに、もう、いいやと諦めたとしか思えない最期だったんです。だから、彼はいろいろなしがらみを変えるために、形を変えたのかなって。

――悲しみだけじゃない葛藤から、どうやって立ち直れたんですか?

自分勝手かもしれないけど、私のために変化してくれたって思うようにすれば、傷つけられていたことも、いっぱいウソをつかれていたことも、怒りや憎しみとしてとらえなくなると思ったんです。私のために変わってくれたなら、私も変わりたい。じゃあ、どういう風に変われるか、私にも死が必要なのかって自分に聞いたこともあります。でも私には死は必要ない。娘もいるし、彼が残してくれた力を利用して、変わるしかないって思うようになりました。立ち直るまでに、1年以上はかかったし、本当にエネルギッシュに動けるようになるまでには2年くらいかかっていると思います。最初は何もできなくて、本当に魂の抜け殻みたいで、このままいったら死ぬかもと思っていたんですよ。そんなとき父に「おまえ、何やってんだ」って言われました。父は沖縄の人で、終戦直後みたいな時代を生きてきたんですよ。その頃の私はもう悲しみに浸っていたから、「だって、旦那が死んだんだよ」って、ケンカになったんですけど、「それはわかるけど、もういいんじゃないのか? とっとと立ち直れ。俺だって戦争を見てきたし、家族もいっぱい死んだし、そこから立ち上がっていくのがウチナンチュ(沖縄人)だろ。いつまでも浸ってんじゃねえ」と言われて、そのときに「自分、ダサ」と思ったんですよ。そこからポジティブになりましたね。これを経験として活かしていくしかない、次に何ができるかが一番大事だからって。

――日本にはいつ帰ってきたんですか?

そういうことが起こったとき、私は東京で就活をしていて、娘は旦那とアメリカにいたんですよ。殺されたときは現場にはいなかったですけど、娘もおばあちゃんと一緒に駆けつけて、現場を見ているんです。娘はおばあちゃんがめっちゃ泣いてたって、うっすらと覚えているみたいなんですけど、私がアメリカに戻ったときは誰も娘に状況を説明ができていなくて。私、子供をウソで喜ばせたりするのは大人の都合だと思っていて、あまりウソをつきたくないんですよ。だってちゃんと話せば、子供は大人よりも何にでも対応できるし、何にでも夢を見つけられるから。とりあえず本当のことを話そうと思って、娘が泣くまで話し続けました。そしたらものすごく泣いて、でも泣くだけ泣かせて、そこから、この先どうしようかという話をしたんです。それで沖縄に帰ってきて起業しようと思ったんですけど、なかなか体が動かなくて、いろいろ動き出したのは、帰ってきて2年くらい経ってからだと思います。

――そこから音楽活動はどういう流れで始められたんですか?

本格的には最近の『8』のアルバム制作ですね。これまで歌詞はずっと書いていたし、自問自答も「書く」というか、ライティングの中に入るし、何かの怒りだったりをはき出したりするのも「書く」だし、辛いときも「書く」のだけはやめなかったですね。書き溜めてきた言葉をパフォーマンスで披露したこともあるし、レコーディングも機会があればやっていたし、何かしら音楽はやっていたんです。でもこれがどう形になるか、全然わからなかったんですよ。それでもまわりには応援してくれる人がいて、絶対にやったほうがいいって言い続けくれたし、一緒に何かをやろうよと誘ってくれる人たちもいました。あるイベントに呼ばれたときにYENTOWNのラッパー、kZmと会ったんです。曲を聞かせたら「ヤバイ、ヤバイ!」って、速攻でYENTOWNのプロデューサー、Chakiさん(Chaki Zulu)を呼んできてくれて、そこでまた「ヤバイでしょ」ってなって、2人とも私のパフォーマンスを見にイベントに来てくれたんですよ。そこからChakiさんがいっぱい力を貸してくれて、どんどんいい方向に物事が動いていって、アルバムもできたという感じです。

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CÉDRIC DIRADOURIAN

――AwichさんのMVは歌詞つきで、日本語訳もついていますが、歌詞に込めた思いとは?

すべてに意味があるということを伝えたいです。遊びにも意味があるし、悲しみにも、怒りにも意味がある。悲しみや怒りを感じて、悩んでいる人もいると思うし、立ち止まっている人、受け入れられない人、イヤだと思っている人もいると思うんですけど、すべてには意味があるから、それもエンブレイスする(=愛情を持って抱き締める)というか、大事にしてほしいと思うんです。たぶんそういうもの、すべてをエンブレイスできることを見せるのが、アートだと思うんですよ。音楽もそのひとつだし、私にとっての武器はやっぱり言葉だから、歌詞をつけるとか、訳をつけるとか、そこはすごく重んじています。言葉の意味を理解した上で、表情だったり、動きをつけたり。だから真面目な話しだけではなくて、エロいことだったり、バカみたいなことだったりも、後ろめたい気持ちもなくしたいんです。遊ぶことも大事、セックスも大事、自分が持っているフェティッシュも大事、すべてに意味がある。だからすべてをエンブレイスしてほしいです。

――目標にしているアーティストはいますか?

今はいないかな。でもヒップホップという音楽自体に影響はされていますね。ラップどうこうではなくて、自分のルーツをかっこいいだろ?っていうのがヒップホップなんですよ。自分の源を大事にするというのが、彼らがいちばん教えてくれたことだと思っていて、私的には自分がやっていることの根本はそこだと思っています。みんなかっこいいと思うし、みんなヤバい! 私は基本、誰でも好きなんですよ。Chakiさんに絶対ウソでしょって言われるんですけど、私、嫌いな人がいないんです。嫌いって思うのって、好きってことでしょって思うし、人のことを嫌いになるっていうのがわかんないですよ。でもたぶんコツがあって、その人のストーリーを知ったら、絶対に好きになっちゃんです。だから嫌いと思っている人がいたら、その人のことを知ってみる。バックグラウンドだったり、生い立ちだったりを知ったら、好きになるというか、絶対に嫌いなままではいられないと思いますね。

――撮影中も女性目線のかっこいいエロスを感じましたが、Awichさんにとってエロスとは?

エロスは命の源だと思います。そこから人間は生まれてくるし、生きるエネルギーだと思うし、私が鬱のときもそのエネルギーが救ってくれたんじゃないかなと思います。たぶんエロスがある人って、死より生を選ぶと思うんですよ。エロスが生きる力になるというか、ポジティブな方向性に導いてくれる気がします。私はエロスが好きですね。それがすべてのベースにあると思っていて、女はそれを理解するべきだし、否定してほしくはないです。恥ずかしさは人それぞれにあっていいと思うんですけど、基本的には好きであってほしい。エロスというコンセプトを自分なりに強みにするというか、武器にしてほしいです。

――今後の目標は?

仙人です!(笑) 自分なりのメッセージみたいなものは持ちつつやっていて、それを伝えるためのツールのひとつが音楽なんですけど、映画も好きですし、今後もしできるのであれば、いろんなツールを使って、みんなが持っている時間や思いを豊かにするためのお手伝いというか、ひとつのアートとかなにか、媒体を作り続けられたら幸せかな。そしてそういう女性たちが増えて、そんな女性たちに魅力を感じる男性たちも増えて、みんなが自分のなりたい自分になっている世界があったら、楽しいんじゃないかなって思っています。今やっていることのすべては、そのためです。

――では最後に読者の皆さんへのメッセージをお願いします。

もっとワクワクしてほしいですね。悩みって、悩めば悩むほど終わらないから、それは手放して、ワクワクすることをたくさんやってほしいと思います。エロスのベースにあるのはラブだし、クサいかもしれないけど、愛がすべてだと思うんですよ。私が立ち直れたのも、好きなことをやらないといけないと思ったからだし、娘に対する思いも愛だし、音楽に対する思いも愛だし、愛はたくさんあったほうがいいんじゃないかなと思います。愛とエネルギーは無限なんですよ。愛もエネルギーのひとつの形で、もったいないとか思った時点で、その思いは有限になるわけじゃないですか。愛を惜しみなく与える人って、惜しみなく返ってくる。あげればあげるほど受け取れるって、すごいことですよね。そう思えば、特に人間関係の悩みとかは解決するんじゃないかなと思います。

若くして結婚、出産、そして壮絶な経験をしながら、悲しみや辛さと同時に存在した憎しみや怒りとも向き合って、立ち直ったというAwichさん。言葉とリズムとエロスでスピリチュアリティや愛を表現する力強いパフォーマンス、「好き」というシンプルな気持ちを原動力にしたエネルギッシュな生き方はFun Fearless Femaleを目指す私たちのお手本です!

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Awich - Remember feat. YOUNG JUJU (Prod. Chaki Zulu)
Awich - Remember feat. YOUNG JUJU (Prod. Chaki Zulu) thumnail
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撮影/Cédric Diradourian ヘア&メイク/LISA スタイリスト/町野泉美 モデル /Awich 取材・文/江口暁子

ベアトップ/28,000円、デニムパンツ/26,000円、ネックポーチ/18,000円、ベルト/22,000円(ポニーストーン/H3Oファッションビュロー) シューズ/134,000円(ジミーチュウ) ピアス/19,000円(ジーヴィージーヴィー/k3 オフィス) ブレスレット/本人私物 ※全て税抜価格