幼少期から晩年まで!マリリン・モンローの秘蔵写真集27
誰もが知っているあの人の、知られざる一面がここに
「マリリン」という名前を聞いて誰もが思い浮かべるのは、魅力的で、色気たっぷりな伝説の女優、マリリン・モンロー。
ブロンドのセクシーな容姿と、数々のセレブとのロマンスで、マリリンが世界で最も有名な女優の1人になるまでにかかった時間はわずか数年。精神的な問題を抱え、私生活は安定しなかったけれど、やわらかな声と穏やかな振る舞い、美しい笑顔で世界中のファンを魅了しました。
映画業界に革命を起こしたマリリンの知られざる姿を、秘蔵写真とともに、<グッド・ハウスキーピング> からお届けします。
マリリン・モンローの本名はノーマ・ジーン・モーテンソン(当時母親が結婚していた相手の姓)といい、1926年6月1日にこの世に生を受けました。
生後わずか2週間で里親の元へ連れて行かれたのは、母親のグラディス・モンローが精神を病み、入院することになったから。グラディスはその後もずっと入退院を繰り返したため、マリリンは何人もの里親に育てられたり、孤児院に入ったりした上、15歳で高校をドロップアウト。
その後、第2次世界大戦中に軍需工場で働いているところを陸軍の報道部員に見出され、ピンナップモデルとしてキャリアをスタートさせることに。
そして1946年に最初の映画出演契約にサインすると、まもなく芸名をつけ、ブルネットの髪をブロンドに染めて、誰もが知るマリリン・モンローへと変貌を遂げたのです。
1926年:母親の手に抱かれて
こちらは、母グラディスに抱かれた、娘のノーマ。生後2週間で里親の元に連れて行かれます。その後もグラディスは娘に会いに行っており、妄想型統合失調症の診断を受けて入院する直前には、一緒に暮らしていたこともあったそう。
1927年:最初のポートレート写真
生後6カ月の頃のこの写真が、生まれて初めての正式なポートレート写真。
1929年:ビーチでのひととき
里子に出した初期の頃、グラディスはよく娘を訪ねていたとのこと。
1933年:近所の犬と
ノーマは犬好きで、晩年まで犬を飼っていました。
1940年:ティーンエイジャーに
ポートレート写真の撮影のためにドレスアップ。
1942年:家族とのひととき
里親に育てられながらも、実の親戚に会うこともあったノーマ。こちらはレストランでの会食風景で、右から数えて2番目にその姿が。
1942年:最初の結婚
船員だったジム・ドハティと最初の結婚をしたのは16歳の時。結婚生活は1946年まで続きました。
1945年:モデルのキャリアをスタート
ヘア用品の広告に起用されて。
1947年:女優のキャリアをスタート
映画会社の20世紀フォックスと契約をしたばかりのこの時期は、広報の撮影に忙しい日々。芸名をつけたのは、この頃のこと。マリリンというのは当時人気のあった名前で、モンローは母親の旧姓。
1948年:「マリリン・モンロー」のルックが誕生
スクリーン上でのアイコニックなメイクも、この頃に完成。
1950年:オーディションへ
女優の仕事に本気で向き合っていたマリリン。舞台のオーディション会場で撮られたスナップでも、真剣に台本に向かう姿が。同年マリリンはジョン・ヒューストン監督の映画『アスファルト・ジャングル』に端役で出演して話題を呼び、その後は映画『イヴの総て』でベティ・デイヴィスと共演し、映画評論家のみならず、多くの観客の注目を浴びました。
1953年:プレミアに出席
『ナイアガラ』(1953年)、『紳士は金髪がお好き』(1953年)、『百万長者と結婚する方法』(1953年)、『ショウほど素敵な商売はない』(1954年)などに出演してマリリンの人気は急上昇。たちまち有名人となり、国際的なセックス・シンボルに。こちらの写真は、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコールとともに『百万長者と結婚する方法』のプレミアに出席した際のマリリン。
1953年:手形と足形を刻む
この年、ロサンゼルスにあるグローマンズ・チャイニーズ・シアターで手形・足形を残したマリリン。同行したのは『紳士は金髪がお好き』で共演したジェーン・ラッセル。
1953年:ボブ・ホープのパーティーに出席
マリリンは俳優でコメディアンのボブ・ホープの休日のパーティーに出席。写真に写っているのは、ボブ・ホープ、陸軍軍人のウィリアム・ディーン、そして野球スターのジョー・ディマジオで、ディマジオは間もなくマリリンの2人目の夫に。
1954年:2度目の結婚
マリリンはこの年の1月にジョー・ディマジオと結婚。こちらは結婚式を挙げた直後に裁判所から出てくるところだけど、年内には離婚する結果に。
1954年:韓国の駐留米兵を慰問
朝鮮戦争のために韓国に駐留する米軍を慰問した際の1枚。彼女の登場に軍人や記者たちも大喜び。
1955年:ニューヨークへ
「頭の悪いブロンド娘」というお決まりの役柄に疲れたマリリンは、役者の勉強をしにニューヨークのアクターズ・スタジオへ。マリリンがひざに乗せているのは愛犬のマフ。
1956年:30歳の誕生日
車の中(?)で記念すべき30歳のバースデーケーキのロウソクを吹き消すマリリン。
1956年:3度目の結婚
ピューリッツァー賞を受賞した『セールスマンの死』で知られる劇作家、アーサー・ミラーと結婚。