アメリカは北カリフォルニア・バークレーに生まれたライアン・タケミ・マッコイさんは、日本人の母とアイルランド系アメリカ人の父のもとに生まれ、多文化のルーツを持つトランスジェンダー女性。

子どもの頃から割り当てられた性別に違和感を覚え、女性として生きることを強く望んできたというタケミさんは、2022年4月にカミングアウトを決意し、現在は性別移行を経験しているところです。

嘘をついて生きている自分が嫌いで、自分を許せるまで時間がかかったと話す、タケミさん。二重のマイノリティに苦しんだ日々や家族との確執や和解、カミングアウトまで、彼女の軌跡を追います。


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孤独の中で「自分は変なのかもしれない」と思った

漫画やアニメに没頭していたという幼少期のタケミさん。そんな彼女が自身の性自認について疑問を抱きはじめたのは10歳頃だったと言います。テレビの画面に映し出される人の姿を見る度に、親近感を覚えるのはいつも女性だったのです。

「女性の話し方や立ち振る舞い方、身体の違い。“男の子”だとされていましたが、自分は心も身体もすべて女の子だと感じていました。性のあり方にはいつも違和感があって、“自分は変なのかもしれない”と自問自答を繰りかえしていました」

厳しい家庭環境で育ち、現地の学校と塾、日本語補修校にも通っていたタケミさん。小学生の頃には、“違い”からイジメを受けた時期も。

「女の子といる方が好きだったので、現地の学校では女子生徒とよく遊んでいました。中には、私の振る舞いを見て揶揄う生徒もいましたね。一方で日本語補修校では、“ハーフ”であることからイジメられていました」

そんなタケミさんがトランスジェンダーの存在を知ったのは、小学生の頃。日本で夏を過ごしたことがキッカケだったと言います。

「テレビで、当時は“ニューハーフ”※現在では、トランスジェンダー当事者の中には侮蔑的と感じる人もいる表現ですと、呼ばれていた人たちの姿を見た時の衝撃は忘れられません。トランスジェンダーの存在を知ったのも、その頃です」
「以前から母には、自分は女の子かもしれないということは話していましたが、なかなか受け止めてもらえませんでした。母は、私が他の子とは少し“違う”ことは分かっていても、『自分の子どもがトランスジェンダーなわけがない』と信じてくれなかったのです」
「そこで、母と叔母に覚えたての言葉で『ニューハーフかもしれない』と話してみたのですが、『タケはアメリカ人だから、日本語の意味が分かっていないんだね』と笑われてしまいました」

家族には理解してもらえず、友人に相談することもできない。時には、“ヘンタイ”呼ばわりされたことも。周囲の心ない言葉に傷つき、絶望を感じる日々が続きました。

家を出て、誰も自分を知らない街へ

「もし、家族が壊れたら自分のせい。それだけはしてはならないと自分に言い聞かせていた」と話す、タケミさん。ジェンダーに関する悩みを抱えていた10代の頃のタケミさんは、感情を抑えきれずに父親に対して反発することもあり、父親から手をあげられたこともあったと言います。

すべてを自分の胸の中に封じ込めて何もなかったように毎日を過ごすことが家族を守る唯一の方法。そう信じて過ごしていたタケミさんに、やがて限界が訪れます。

「このままここにいたら、どうにかなってしまう。本当に、自分が壊れてしまうと思ったんです。母を置いて家を出ることは辛くて悲しかったけれど、私はもう家にはいられなかった。居てはいけなかった。出ていかなくてはいけなかったんです」

家族と暮らした家を後にして、向かったのはロサンゼルス。17歳のタケミさんは、誰一人として自分を知らない街で、ひとりで生きていくことを決心したのです。

タケミさん
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外にいる時は、ずっと“男性”

ロサンゼルスという新しい場所で、自分の生き方を模索しようとしていたタケミさん。音楽とエンジニアリングを専攻し大学へ進学し、アルバイトで稼いだお金と学生ローンを利用しながら、無事に卒業まで漕ぎつけることができました。

一方で性自認については、この頃もタケミさんを悩ませ、恋愛関係にも影響を与えつづけていました。

「学生時代も就職してからも、カミングアウトすることはしませんでした。外にいる時は、男性。ずっと、本当の自分を隠してきました」
「好きになった人もいましたし、告白をされることもあったのですが、相手に自分が女性であることを告げられずにいました。性自認のことが気になって、交際することに漠然とした恐怖を持っていたんです。それに、交際に発展した場合でも、相手がイメージする“理想像”を演じていたために上手くいかないことが多かったですね」
「ある時、交際していたシスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性と自認する性が一致している人)のパートナーを信じてカミングアウトをしたことがあります。そうしたら、私の知らない間に周囲に知れ渡ってしまって。カミングアウトをする準備が整っていなかったので傷つきました」

またある時は、ルームメイトから「おまえゲイなの?」と問い詰められ、差別的な言葉を投げかけられたことも。ルームメイトが勝手に退居したことで、一時的にホームレスになってしまったと言います。

そんな状況も影響し、カミングアウトができずにいたというタケミさん。もし、誰も受け止めてくれなかったら? 助けてくれる人がみんないなくなってしまったら? みんなに嫌われてしまったら? 雇ってくれる会社が見つからなかったら…。

不安に追い込まれていたタケミさんは、「幸せになるためなら、嘘の自分でもいい。偽りの人生でもいい」と、自分で自分をごまかしながら毎日を過ごしていました。

自分の幸せのためにカミングアウトへ

タケミさんがカミングアウトをしたのは、2022年4月のこと。

「悩み続けた結果、自分だけでなく、周りの人たちにも嘘をついていることになるのかな…というところに辿りついて。やっぱり、自分にも正直でいたかった。自分らしく生きたい、自分に優しくしてあげたい。もう、待てない…って」
「家族が受けとめてくれなくても、理解してくれなくてもいい。自分のために、自分の幸せのためにカミングアウトしようと決心して、家族、友人、職場の同僚にカミングアウトをしました」

カミングアウトをして最初に感じたことは、自由。そして最初にしたのは、クローゼットにあった男性服をすべて捨てることでした。ことのとき、「肩にのしかかっていた大きな重りが一気にこぼれ落ちた」と話します。

カミングアウトした当時は、レーザーエンジニアとして働いていたタケミさん。一緒に働いていたチームメイトからは、タケミさんの正直な姿勢にサポートの手を差し伸べてくれました。一方で、会社には保守的な風潮が残っていたため、タケミさんは退職を決意。その後、夢の一つでもあったデザインエンジニアの仕事を手に入れます。

「今、務めている会社の面接では、ノンバイナリーな服装で面接を受けました。就職のオファーをもらった時に、自分は女性であることを上司に伝えました。入社初日から2週間ほどはノンバイナリーな服装で出勤をして、その後に女性服を着て出社するようになりました」

現在、タケミさんが籍を置いている会社では、タケミさんの意思を尊重し、会社全体でサポートする姿勢であることを従業員に伝えることに。新たな環境で、これから一緒に働く同僚の目を気にしていたタケミさんにとって、この会社側の気遣いは大きなサポートになったと振り返ります。

タケミさん
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試着室に入れてもらえず涙した経験も

アメリカと聞くと、LGBTQ+コミュニティに対して寛容な社会を想像しますが、それでも当事者に対する差別や偏見の目は今でも色濃く残っている現実を無視することはできません。

2022年11月には、コロラド州コロラドスプリングスのナイトクラブで銃乱射事件が発生。その場所はLGBTQ+当事者たちが多く集う場所で、少なくとも5人の命が奪われ、20人以上の負傷者が出ました。

さらに、2015年に発表されている大規模な調査「トランスジェンダーレポート」の報告書によると、トランスジェンダー当事者の46%が言葉による暴力を受けた経験があり、9%は身体的な暴力を経験。また、トランスジェンダー当事者の47%が過去に性的暴行を受けたことがあるとも回答しています。

「特にトランスジェンダー女性に向けた差別的行為が多いという現実があります。私たちの行ける場所は限られていて、常に周りの目に対して気を配っていなければならないのです」
「私の友人が、買いものに行ったときに男性に後を追われ、殴る蹴るの暴力を受けたこともあります。友人は病院で手当てを受けましたが、警察側にもトランスジェンダー女性への偏見が残っていることもあり、通報はしたくないと言っていました。彼女は今も、そのトラウマを抱えたまま、身体的・精神的な痛みを引きずりながら生きていかなくてはなりません」

また、買いものに行く時には、トランスジェンダー当事者に対して寛容であるかを事前に調べてから向かうと言うタケミさん。

「お店によっては、トランスジェンダー当事者の来店を拒むところもあります。一度、知らずに入ってしまったことがあるんですが、店内では変な目で見られて、試着室にも入れてもらえませんでした。ただ私は、自分に合う洋服や下着を試着して、買いものをしたかっただけなのに。自分が何か悪いことをしたかのように店から出ていくしかありませんでした。店を出た後は、自然と涙がこぼれてきました。トランスジェンダー にとって、買い物は、チャレンジの一つ。試着を断られる時もあるので、いつも恐怖心はあります」

タケミさんは一方で、LGBTQ+当事者を支援する機関や団体の活動によって、トランスジェンダー当事者に対する理解が少しずつ進んできているという変化も感じていると話します。

「私には、無理やり変わらせようという気持ちはありません。自分たちにも向き合わなくてはならない部分があることも知っていますが、少しでもいいので、私たち当事者の声に耳を傾けてみてほしいなと思います」

家族の受け止め方にも変化が

今ではカミングアウトを快く受け止めてくれているというタケミさんの母は、タケミさんの選んだ生き方を誇りに思ってくれていると言います。以来、自らLGBTQ+に関する動画や情報にアクセスして意欲的に学んでいるほか、タケミさんに質問を投げかけることもあるんだそう。

一方でタケミさんの父は、カミングアウトを受け止めきれていません。それでもタケミさんは、父親が自分を愛してくれていることは分かっていて、今はそれだけで十分だと話します。

「カミングアウトする前の自分は、いつも落ち込んでばかり。いつも周りを気にして、周りの期待に答えようとしていました。周りに好かれるような自分でいようとしていたんです」

タケミさんは、カミングアウトを通して自分が好きになり、自分が見つめるべき方向が分かってきたと言います。

「狭い世界の中に自分を閉ざさずに、一歩外にでてみることも時には良いけれど、すべてを変えなくてもいいと思っています。泣いてもいいし、挫けてもいい。でも、自分だけで抱え込みすぎないようにすること。助けが必要であれば、自分から助けを求めることも大切です。自分のペースでゆっくり前に進んで、自分を許せるような生き方をすればいいと思っています」
「愛に傷つくこともあるけれど、愛は強い。今の世界を変えるには愛が必要です。自分に優しくすることは、自分に厳しくすることよりも大切だということを忘れないでほしいです」