クラシック女優の生き方に学ぶ⑩ジェーン・フォンダ Jane Fonda

名優ヘンリー・フォンダの娘であり、名門ヴァッサー大学出身。『コールガール』『帰郷』で、2度のアカデミー賞主演女優賞に輝くジェーン・フォンダ。最初の夫ロジェ・ヴァディム監督作『バーバレラ』でセクシー女優の仲間入りをした後、ベトナム反戦運動に傾倒。その後80年代はエアロビクスビデオを発売し、女性たちの「痩せたい願望」をビジネスにして大成功――。一見、輝かしい人生を歩んだように見えるけれど、そんな彼女も、実は悩みだらけだった。

まず、長く確執があった父親ヘンリーとの関係。彼はアメリカで広く愛され、尊敬された俳優だが、恋多き――というより、浮気癖がひどく、生涯の結婚歴は5度。ジェーンの母親フランシスとは2度目の結婚で、ジェーンとピーター(彼も俳優)の2児をもうけるも、夫の浮気に苦しんだフランシスは精神を病み、自殺。ジェーンはそれが許せず、自分の結婚も知らせないほど、長きに渡って関わりを持たなかったという。

次に、彼女を一躍、有名にしたポップでキッチュな『バーバレラ』。セクシーなヒロインを演じたジェーンだったが、当時の夫ヴァディムは「ジェーンは周りが思っているほど、自分を美人だと思っておらず、まして身体にはまったく自信がなく、『バーバレラ』では彼女が服を脱ぐことを辛がった」と回想している。映画の中では、キュッと締まった素晴らしいボディラインを披露しているだけに意外! それでも「鋼鉄のコルセットで締め付けたり、宙吊りになったりと、大変な撮影だったけれど、ジェーンの忍耐と勇気のおかげで現場は最後まで気持ちよく進んだ」と彼女のプロフェッショナルな態度を称賛している。

ジェーン・フォンダpinterest
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『バーバレラ』のジェーン

そして、反戦運動。1972年に北ベトナムを訪問した際、高射砲に座って笑った写真をきっかけに"ハノイ・ジェーン"と言われ、保守派からは「売国奴」などと非難されることに。もちろん反戦の主張は変わらないものの、この時のことを、ジェーンは後に、「一瞬だけ笑った瞬間を撮られてしまった。祖国への裏切り行為で自分の判断が誤っていた」と釈明、後々まで"ハノイ・ジェーン"という言葉に悩まされたのだそう。

光あれば陰あり。成功の裏にはさまざまな葛藤がもりだくさんだが、それでも、それを乗り越えようと努力したのがジェーン。

父親ヘンリーのために、戯曲『黄昏』の権利を買い取って映画化。この作品はヘンリーの遺作になったのだが、悲願のアカデミー主演男優賞をもたらし、父娘の距離を縮めた。

さらに、ヴァディムが言うように「自分に自信がなかった」ジェーンは、実は摂食障害を患っていることを告白。この病気を克服するために、40代にして肉体改造を決意してエアロビクスビデオを作ったのだ。健康美を心がけたことが、ビジネス的にも成功したよう。ちなみに、摂食障害を告白したセレブは彼女が最初。

ジェーン・フォンダとロジェ・ヴァディムpinterest
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ジェーンと最初の夫ヴァディム

また反体制のシンボルと化したときも、非難されようが、何度逮捕されようが、CIAFBIの監視対象になろうが、活動を辞さない"強さ"を貫き通した。

人生の難題を克服するために、勇気ある行動を続けられるジェーンは、やっぱり"強い女"なのだろう。