あまり知られてないダイアナ妃のトリビア17
最初にチャールズ皇太子と付き合っていたのは姉だった?
世界中から愛されたダイアナ妃の死から19年。その美しさと悲劇的な人生はもうすでに語り尽くされた感があるけれど、そんな中でも、彼女のあまり知られていない選りすぐりのトリビアをコスモポリタン イギリス版が集めました。あなたの知らなかったダイアナ妃の一面が見つかるはず。
※この翻訳は、抄訳です。
Translation: 山下 英子
9歳までは家で家庭教師が教育
実はダイアナ妃が初めて学校に行ったのは、両親が離婚した9歳の時。ノーフォーク州にある、当時は女子のみ入学が許される花嫁学校だったリドルズワース・ホール校に入学したそう(現在は男女共学)。普通のイギリス人が小学校に入学するのが4~5歳なので、かなり遅めの学校デビュー。その後、12歳の時に寄宿女子校であるウェストヒース校へ。ウェストヒース校は普通の学校教育に馴染めなかった生徒や、メンタル問題などを抱える生徒の受け入れ校としても知られる。
将来の夢はバレリーナ
子供の頃バレエに熱中し、いつかバレリーナになるのが夢だったダイアナ妃。が、背が高くなりすぎて断念したそう。しかし、バレエ熱は冷めることはなく、王室のメンバーになってからはイングリッシュ・ナショナル・バレエ団の強力な支援者に。その支援活動は亡くなるまで続いた。
祖母がエリザベス女王の母の侍女だった
祖母のルース(レディ)・ファーモイは40年間王室の侍女を務め、エリザベス女王の母エリザベス皇太后の友人でもあったのだとか。ダイアナ妃とチャールズ皇太子はレディ・ファーモイとエリザベス皇太后が引き合わせたのでは、という噂もあったが、それは本人たちが否定している。しかも、ダイアナ妃とレディ・ファーモイは口もきかない仲だったとか。
最初にチャールズ皇太子と付き合っていたのはお姉さんだった
最初にチャールズ皇太子とデートをしていたのは、ダイアナ妃の姉、レディ・セーラ・スペンサーだったんだそう。スペンサー家にやってきたチャールズ皇太子に初めて出会った時、まだダイアナ妃は16歳だった。
婚約指輪はカタログショッピングで
今ではキャサリン妃が所有する有名なサファイアの婚約リング。実はロンドンの老舗宝石商「ガラード」のカタログからチョイスしたそう。王室の婚約指輪はカスタムメイドが普通なので、当時は異例のことだったよう。ちなみに14個のダイヤに囲まれた中央のサファイヤは12カラットで、台座はホワイトゴールドなんだとか。
ウェディングドレスのトレーンは英国王室史上最長の7.62メートル
ダイアナ妃の有名なウェディングドレスは、シルク素材を刺繍や1万個の真珠で飾られており、非常に重たいものだったそう。しかもトレーンが7.62メートルもあり、ダイアナ妃は本番の前に何度も歩く練習をさせられたのだとか。
チャールズ皇太子への「服従宣言」を拒んでいた
イギリス王室に嫁ぐ女性たちは、パートナーへの服従を宣言しないといけないという風習があったそうだけど、ダイアナ妃はこれを拒んだのだとか。30年後、ウィリアム王子とキャサリン妃もこれに倣い、服従宣言はしないことにしたそう。
大好物は「ブレッド&バタープディング」
イギリス王室のシェフ、ダレン・マグレディさんによると、ダイアナ妃はしばしば料理中に台所を訪れ、ブレッド&バタープディングの上に乗ったレーズンをつまんで行ったのだとか。マグレディさんが王室のために作った料理の数々は、レシピ本になって出版されている。
子供たちを、ロイヤルファミリーの子供たちが行かない場所に連れて行った
マクドナルド、ディズニーランド、AIDS診療所、ホームレス保護施設…ダイアナ妃は王室の子供たちが普通は行かない場所に、自分の子供たちを連れて行ったのだとか。
ダイアナ妃の姪たちはダイアナ妃に似た美人揃い
ダイアナ妃の弟、スペンサー伯爵の3人の娘たちはみんなダイアナ妃を思わせるような美人揃い。ミラノ・ファッションウィークで目撃されたレディ・キティは叔母のダイアナ妃を思わせるようなゴージャズな美女に成長しています。
とても熱心なゴッドマザー(後見人)だった
ダイアナ妃は友人の娘でダウン症を患うドメニカさんのゴッドマザーで、彼女に対してとても親身になっていたのだそう。ダイアナ妃が亡くなった時はまだ幼かったドメニカさんも今は20歳、ブライトンで学ぶ学生なのだとか。
ダイアナ妃のお墓はスペンサー伯爵の館の、閑静な「小島」にある
ダイアナ妃が埋葬されているのは、生家でスペンサー伯爵家の所有するオルソープ邸の、敷地内の湖に浮かぶ小島。元々はスペンサー伯爵家ゆかりの教会の墓所に埋葬予定だったが、最終的には静かで平和な場所が選ばれることになった。