語り:ジェーン・シーモア

あまり認めたくはないのですが、私は72年間の人生のほとんどを誰かと過ごしてきました。4度の結婚、いくつかの長期のパートナー、数え切れないほどのデートなど、50年以上にわたってパートナーがいる生活を。

最後の別れを経験した時に、何かを悟ったのです。誰かと恋愛関係を始めるたび、私は周りから姿を消していました。私にとって、恋愛はただのロマンスではなく、キャリアや親族のつながり、結婚など「全てを叶える」ためのものでした。

20年以上一緒にいた相手と別れ…

「こういうものだよね」と言い聞かせ、目の前の問題をごまかしながら、恋愛を続けていました。自分のパワーも人生の手綱も、その時のパートナーに全て預けていました。

相手より自分の方が女優として大きなキャリアをもっていて、お金を稼いでいたのに、「私より信頼できるから」「男性だから、任せよう」といった理由で、全てを託していました。世代もあると思います。私は50年代に生まれて、そのように教えられて育ったので。

私の若い頃は、女性もちょっとしたキャリアをもつことは可能になってきていましたが、あくまで主役は男性。自分は「劣っている」「賢さが足りない」と考えていました。

10代のころから仕事をしていたので、大学には行っていません。「ケンブリッジ大学には行けなかったんだね」「ビジネスの学位は持ってないんだ」なんて言われる気がして、どこかコンプレックスになっていました。

60歳になるくらいまで、そのコンプレックスを捨てることができなかったです。「オックスフォード大学卒ではないけど、ショーを引っ張っているのは他でもない私!」と思えるまでには時間がかかりました。パートナーに依存した人生になってしまっていたと気がついたのは、離婚を経験した時。20年以上一緒にいた相手と別れ、私は絶望していました。

jane seymour portrait session
Harry Langdon//Getty Images
1985年

「ダーリン、今よ。今を生きるの! 」

1番直近のパートナーと別れた時、私はこれからはシングルとして人生を歩もうと決めました。ギリシャに行き、南イオニア海で船を借りて航海。アイスランドに行き、氷河をのぼりました。まだ元気なうちに子どもたちといわゆる「自由気ままに生きる」ということをしてみたかったのです。

私の母親はまさにそういう人でした。オランダ人の彼女は、第2次世界大戦中にオランダの植民地だったインドネシアで日本軍の捕虜になった後、生き残ることができたのです。その経験から「ダーリン、今よ。今を生きるの! 」が口癖でした。

自らの意志でシングルとして生きて、息をして、自分の大切なものに囲まれた生活は、今までにない満足感をもたらしました。人生で初めて、「カップルの片方」ではなく、「私」になれたのです。

そんな中、私がシングルだと知った友だちが「ジェーン、来て!」といきなり遊びに誘ってくれました。そのころの私は、マリブにある自宅を出ることはほとんど無くて、毎日8:30に就寝するような生活をしていました(とても退屈な日々でした)。

そこである小さなナイトクラブに誘われるがまま行きました。そしたら、ジョン・ザンベッティという男が、私を見て声をかけて来ました(私が出てた「ジェームス・ボンド」映画でもみたのかしら)。

actress jane seymour, 1972
Hulton Deutsch//Getty Images

ジョンは自分の息子が、私の息子のショーンと友だちを通しでつながっているといい、彼に電話をし始めました。そこでジョンは「なんであのジェーン・シーモアが1人で女友達とクラブにいるんだろう? 僕の彼女だったら、そんなことにはならないのに」と言うのです。

そこで、子どもたちの応援もあり、デートの約束をしました。約束の場に着くとジョンは「今日、会う予定だったよね」と言い、私は「ええ、確かそうでしたね」と返しました。初めて会った夜の写真を見返して「何か特別なつながりを感じる」、そう2人で思いました。

72歳になって“自分らしく”なれるように

ジョンと出会った時、彼が見た私は、シングルだけど幸せな私の姿でした。今までで1番ハッピーで、友だちと家族に囲まれた生活。家に招いたある時は、姉妹、それぞれのパートナー、いとこ、孫など集めて16人も集まっていました。

だからこそ、すぐにジョンは「本当の私」を見ることができました。そして、恋愛に興味がない時期だったからこそ、私と会えることをありがたがっていてくれてることがすごく伝わりました。だから、彼を私の“仲間”の1人にしたのです。

私たち自身の相性だけでなく。家族や文化、好きなものもとてもマッチしていました。正直、72歳になって、人の目を気にせず自分らしくいられるなんて思っていませんでした。特に年齢と共に“荷物”も増えていくものだからです(腰も関節も痛くなってきますし)。

でも、それも人生なので、あまり暗くならず、ユーモアを持って生きることも重要です。マッチする相手とは、マッチするもの。愛やインティマシーがあれば、それをさらに強いものにします。本当に魔法のようなものです。

最近のセックスは今まで経験した中で、1番素晴らしく情熱的。愛、経験と信頼がそうしているのだと思います。私自身のこと、自分の身体もよく知っているし、ジョンも彼自身、さまざま経験をしてきました。

若い頃は出会ってすぐにセックスをして、事後に「ああ、そういえば、最近どう? 」みたいなことがあるかもしれません。年齢を重ね、人生の山と谷を経験すると、セックスにおいても感情的なつながりを大事にするようになると思います。感じていること、喜び、悲しみ、情熱、欲望全てです。

「60歳になっても、性生活に終止符を打つ必要はない」

インティマシーは自分のためになるということも、60歳になってから気づきました。パートナーが亡くなってしまった友人は医者に「自分自身とインティマシーを体験する方法を学びましょう」と言われたそう。

年齢とともに、どのように愛をスキンシップで伝えるかは変わっていきます。しかし、インティマシーは年齢を理由に諦めるものではありません。

60歳になっても、性生活に終止符を打つ必要はないのです。結局、みんなしたいことはしたいのです。それに気づくことができれば、今よりハッピーになれるでしょう。そして、もう妊娠の可能性がないというのはプラスです(笑)。

そして、社会的なスティグマがあることに気づくことも重要です。多くの人は、閉経やセックスについて話さず、話題にあげることも諦めています。物理的に諦めているわけではなく、精神的、感情的に諦めているのです。オープンマインドで、自分の心と身体に耳を傾けることで、人生は大きく改善します。

sphere opening night
Ethan Miller//Getty Images

クレイジーなことに、私は経験豊富であると同時に、まだ16歳かのような感覚に陥ります。信じてもらえないかもしれませんが、今までで1番、性生活は充実しているのです。

複数の結婚と離婚を経験してやっとです。過去のことや他人を変えることはできないけれど、自分の選択とそれを見るかは変えることができます。自分に正直な姿で生きることは自分で決断できることです。これについて考える度、私の息子の曲「All I Know Is Now」の1文が思い浮かびます。

「あの時はあの時、今は今。そのことについて何ができるって言うのさ?」

ジェネレーション的にも、このような生き方は教わってこなかったけれど、これが今の私のモットーです。


※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。
Translation: 佐立武士
COSMOPOLITAN US